higasi 情報化シンポジウム・イン・東京
  「情報化シンポジウム・イン・東京」開催報告  
 
人工知能、ロボット、IoTは社会、経済や企業に何をもたらすのか? 〜30年後の未来社会の行方を大いに語る〜
    日本生産性本部情報化推進国民会議は去る3月16日、日精ホールにて、「情報化シンポジウム・イン・東京」を開催した。このシンポジウムは、情報化推進国民会議が毎年全国各地で開催しているシンポジウムの1つで、「人工知能、ロボット、IoTは社会、経済や企業に何をもたらすのか 〜30年後の未来社会の行方を大いに語る〜]をテーマに約250名が参加した。

松尾氏
   はじめに主催者を代表して日本生産性本部理事、情報化推進国民会議委員長の児玉幸治から開催挨拶があり、引き続き、東京大学大学院の松尾豊特任准教授より、「人工知能の進化の先にあるもの〜」と題した基調講演が行われた。
    60年前から研究され始めたAIは、今3度目のブームになっている。これまでも色々なことができると期待が膨らんでは失望を繰り返しており、過剰な期待を持たないようにしたい。今できることは10年前にもできており、逆に10年前にできなかったことは今もできない、というのが基本的な理解である。そうした中で、ディープラーニングだけは別格であり、この技術を使えば、10年前にできなかったことがここ2〜3年でできるようになっているが、世間一般ではAI全体が重要と拡大解釈されている。ディープラーニングは非常に大きな可能性を秘めており、いくら期待しても期待しすぎることはないくらいだ。

    ディープラーニングは何ができるかというと、認識、運動の習熟、言語の意味理解の3つである。
1.認識について。イヌっぽいとかネコっぽいという、特徴量自体を人間は学習できる。今までの画像認識は人間が特徴量を定義するしかなかったので、精度があがらなかったが、2012年頃より精度が上がり始めた。それは、画像をたくさん(数万枚)見せることで複雑な特徴量を学習できるようになってきた。認識のエラー率も、はじめ28%くらいだったのが、16%→11.7%→6.7%→4.9%→3.1%と下がっており、人間のエラー率5.1%を2015年に初めて上回ってしまった。つまり、コンピュータが画像認識率において人間の精度を超えたわけで、このようにディプラーニングの技術は、相当大きな産業的、社会的な変化をもたらすと思っている。人間の仕事の中で眼を使って認識している部分はかなりあり、それがすべて自動化機械化できる可能性が出てきたといえる。

2.運動の習熟について。これはロボットや機械に熟練した動きができること。人間と違い、機械はいくら練習しても上達しない。うまくいったことを繰り返していき、「報酬」が得られると、事前の行動を強化していく。ディープラーニングで出てきた特徴量を使って、状況に応じた行動を学習していくと、ロボットや機械でも熟練した動きができるようになる。

 1980年代よりモラベックのパラドックス(子供のできること程難しい)が言われてきた。医療の診断や、チェスをする、数学の定理を証明する等は当初からある程度できていたが、3歳児でもできる画像の認識や積み木を積む、といったことが一向にできなかった。それがここにきてようやくコンピュータができるようになってきた。ここに第3次AIブームの技術的なエッセンスがあるといえる。
      このように、ディープラーニングの技術的な進歩は、目で見てわかる→体の動かし方がわかる→言葉の意味も分かってくる、というように子供の発達過程と似ている。こういうことが2030年までに起こるのでなないかと思っている。しかも、2025年までにはできないと思っていた言語の意味理解が、自分の予想を超えてすでにでき始めている。

3.意味の言語理解について。これは単純化していうと、文章から画像や映像を生成すること、つまり、思い浮かべること。画像や映像から文章を生成すること、つまり、考えたことを述べること、といえる。今後10〜15年後くらいには、例えば、英語の文章から画像を作り出し、それを日本語に変換する、という自動翻訳(意訳)ができるようになるだろう。こうなれば、言葉の壁がほとんどなくなり、ビジネス上の会話や海外マーケットへの進出なども含めて、日本経済に大きなインパクトを与えるであろう。

    人間を生物の一種とすると、生物は現実世界の環境から観測し、処理し、行動する、というサイクルを回しながら生きている。その上に人間は記号(言葉)のシステムを載せた。それにより、言葉によって任意の状況を想像し、考えていることを言葉として発することができるようになった。人間はさらにその外側に「社会」をつくり、自分が考えたことを文字に残して人に伝えたり、後世に残すことができるようになった。これが知能の全体象といえる。
    生物の生存にはパターンの処理が直接関わっており、ものすごく大変な処理をしているが、それが今のコンピュータのパワーとデータ量によってできるようになってきた。つまり、昆虫や爬虫類レベルの知能がディープラーニングによってようやく作れるようになってきた、といえる。ただ、ディープラーニングができるのはパターンの処理だけで、人間のやっている言葉や知識の処理などはまだできていないが、今後、パターンの処理をベースにしてできるようになってくるだろう。

    生物が眼をもつことで、逃げようとか、捕食しようとかいう生存戦略が多様化し、それにより種が多様化した、といえるが、全く同じことが今後機械やロボットの世界に起こることになる。高度な眼を持った機械がたくさん出てきたとき、日本がこの領域を抑えることができるかどうかが日本経済にとっての大きな分岐点となるだろう。
    人類の工業化の歴史は眼の見えない機械を使っていかに自動に仕事をさせるか、という工夫の積み重ねといえる。工場や鉄道などと異なり、農業、建設、食品加工、調理など自然物や天候など環境を制御できない分野では自動化や機械化かできていない。たとえば、トマト収穫ロボットのように、眼がなくてはトマトがどこにあるかわからないから作れない。
    日本はアマゾン、グーグルなどIT分野では世界に勝てないが、ものづくりが強い面ので、そこを起点に眼のある機械を作っていけば海外と戦えるはずだ。

      最後に、人工知能学会では、人工知能が社会に広がった時の不具合の問題や、人工知能を使った軍事利用、人口知能が知財を生み出す場合の権利などについて議論しており、人類の平和、安全、公共の福祉のために人工知能を活用する最大限の努力をしよう、と宣言している。少子高齢社会の日本でチャンスをとらえるには、正しく早く動くことだ。ディープラーニングの人材を育成し、事業・産業がどう変わっていくかを早期に検討し、社会全体で新しい未来像を描いていくことが重要だと強調した。

公文氏
    続いて、「文明の進化とAI」と題して、多摩大学情報社会学研究所の公文俊平所長より特別講演があった。
    私は、人工知能の発展を近代文明社会の進化の中でどう位置づけ、どう理解するかを研究している。近代は10世紀ころから世界各地に出現し、16世紀後半に西欧と日本で急激に展開した文明だ。基本的な特徴は2つあり、1つは世の中は良くなる、という進歩主義。2つ目は適切な手段やパワーを使えば、世の中を良くしていくことができる、という手段主義。10世紀ころの西欧の封建制と日本のイエ(武士)社会は16世紀に出会い、日本はGOD(キリスト教)とGUN(鉄砲)を受け入れ、急速に普及したが、どちらもやめてしまう。西欧と日本の2度目の出会いは19世紀にかけてで、IMPERIALISM(軍事的世界)とINDUSTRIALISM(富国強兵)の推進を受け入れたが、後者の富国強兵の方は捨ててしまった。このように、西欧と日本はほぼ並行して近代化(広義の)してきた。

    これに対して、西欧主導の近代化を3つの局面にわけて考えている。まず主権国家とそこに属す領民が生まれ(=国家化、平和追求)、約200年たつと(18世紀後半)機械を使ってものを作り、商品として売り、雇われて働いて賃金を得るようになり(=産業化、繁栄追求)、さらに200年経つ(20世紀の後半以降)と、ネットワークを介して人々がつながり、商品を売り買いするよりシェアする、といった知的発展を遂げるようになる(=情報化、快楽を追求)。しかしながら、3つの局面は時系列的に出現するのではなく、「国家化」の枠組みに中で「産業化」が起こり、その2つと並行して「情報化」も起きており、3つが相互の作用しながら展開している。

    さて、私が思う人工知能の定義だが、人間の眼から見て何か知能を持っているように見える存在、または、人間がやるとすれば、かなり頭を使わなければならないことを人間以外の機械がやること、と考えている。ホモ・サピエンスは4つの特徴を持っていて、1.心身二元論(魂との肉体は別)、2.心の理論(他人の心を推測)、3.ストーリーテリング(事態の連鎖を解釈・記憶)、4.擬人法(生き物や無生物も人と同じ存在で理解しあえる)、さらに自分について語り、自由意思を持ち、自分の中に矛盾を許容する、という5番目の特徴がある、と考えている。

    人間の心は、ものである人間のような知能を持たない生物の進化の過程として産まれてきたのであって、心が全然別のところでできて人間に乗り移ったのではない。そうだとすると、今の技術では、人間と同じように意味で心を持ち考え発展していく存在は作れない。にもかかわらず、弱い人工知能や特化した人工知能は大変な勢いで進歩している。人間と同じように意味で心を持ち考え、人間を乗り越えていくような人工知能を作りたいのであれば、今のコンピュータサイエンスとは別のアプローチが必要となる。そうであるならば、10年や20年ではどう頑張っても強い人工知能は生まれないであろう。
    その意味では、今の弱い人工知能や特化した人工知能は、近代文明の成熟過程で起きている産業化の中核をなしているといえる。それに対して、もしも人間と同じような心や意思を持ち、自律性を持った人工知能が出現するならば、それはもはや近代文明ではなく、別の文明の話であろう。いわばポスト近代文明は人間の文明とは限らないし、人間が人工知能をコントロ−ルできなくなっていると思われる。そういうタイプの人工知能は考えたとしても、本気で作るのはやめた方が良いと思う。万一できたら、それは人類の破滅につながる恐れがある。そのあたりは人工知能学会の倫理委員会でよくよく考えてもらいたい。

    日本は失われた20年といわれているが、これから先の状況は良くなる可能性が充分ある。幕末以来約60年ごとに、日本は西欧で起こった国家化、産業化、情報化のプロセスを追いかけてきた。第1の歴史勃興期では、世界の列強に伍してきた。第2の歴史勃興期では、経済を復興させ、日本を世界のトップレベルに押し上げた。第3の歴史勃興期では、近代化の成熟を中心にした進展が今始まりつつあって、我々の眼にも見えるようになってくるであろう。
    次の時代の高度な発展の元になる政治や経済面を中心とした2000年代体制はできており、産業化を中心にして上方に突き抜けていくことを期待したい、と締めくくった。


  パネル風景
    以上の基調講演、特別講演を受けたパネルディスカッションでは、松尾特任准教授、公文所長に、サイバー大学の前川教授を加え、日本経済新聞編集委員の関口氏がコーディネーターを務めた。テーマは「人工知能、ロボット、 IoTは社会、経済や企業に何をもたらすのか〜30年後の超情報社会の行方を大いに語る〜」
    関口コーディネーターからは新しい情報化が社会、経済、政治のしくみや人間の生き方にどのような影響を与えるのか、一方で、AIやロボットに対する拒否感が想定されることから、それらをどうやって解決していくか、について議論していきたいと思う、と趣旨を述べた後、当該テーマに関連して、情報化推進国民会議の特別委員会が2月にとりまとめた提言「「人と機械との共生」〜 AI・IoT・ロボット・データ基盤が促すヒューマンイノベーション 〜」について前川教授より報告された。
生産年齢人口の減少によって経済成長が減速すると考えるのは早計に失する。むしろ生産性の向上によって新たな職業が生まれ、所得が増え、経済が成長し、社会が豊かになってきたのではないかという認識の元、以 下3項目の提言をとりまとめた。

1.シェアリングエコノミーの拡大により経済を活性化せよ!
2.AI・IoT・ビッグデータの活用を促す「攻めの規制改革」を進めよ!
3.オープンイノベーションによる迅速な研究開発体制を構築せよ!


      提言の詳細:http://www.jpc-net.jp/cisi/tokubetsuiinkai_28.html


   まず、人工知能における日本の今の立ち位置について。
      松尾先生はグーグルやフェイスブック等のアメリカのIT企業に比べて、人工知能の研究開発は圧倒的に遅れている。その原因は、顕在化していないニーズを顕在化させるイノベーションを日本人(均一的な民族)は苦手としているからで、ニーズは昔から変わらないが、技術的な問題がクリアされたことによってできるようになるディープラーニング(性能向上)はすごく日本人向きだ。例えば、医療画像から病気を判断する、トマトを安く収穫することや、産業ロボット分野、ものづくり・IoTの分野などは日本人に向いている。日本は人工知能の重要性に気付くのが遅かったが、それでも2〜3年くらいの遅れと思う、とした。公文先生はこれまで遅れていたが、今ようやく走り始めたところで、今後大きく進展するポテンシャルはある、と述べた。
    ウーバーなどシェアリングエコノミーサービスなどは、これまでのリソースを皆で活用して全体としての経済効果を上げていくものだが、日本ではたくさんの規制や慣習があり、事業化がうまくいってない点について、松尾先生は、規制や慣習はそんなに簡単には変わらない。少子高齢化の中で、リスクテイクできにくい社会になっている。海外に自動運転の実証実験を持っていくとか、進め方の作戦を考えたほうがよい。

      シンギュラリティについて。松尾先生は、専門家に言わせると、今の技術からは想像もできないこと。人類が火星に移住して、爆発が起きたらどうする?と心配するようなもの。だから社会と対話して、技術のことを理解してもらうしかない。人が死ななくなるとか、遺伝子工学でいろいろな生物が作れる方が先に実現しそうで、シンギュラリティについてはリアリティはないと思っている、と述べた。
    公文先生はシンギュラリティは2045年にはやってこないと思う理由について、その定義にもよるが、今の弱い人工知能がこれから急激に発展していくことは確かだが、だからと言って、機械が人間のような心を持ち、人間を上回る意思を持つことは考えられない、と述べた。
    前川先生は、知能が人間を上回ることはあり得ると思う。人間より少しすぐれた人工知能が更にすぐれたものを創りだし、それが繰り返されると、大変な進化が起きる可能性はあると。この点について松尾先生は、コンピュータウイルスのように、自己複製できるシステムができると、そういうことも言えるが、生命というものの力強さは過小評価できなくて、生物が滅亡の危機を乗り越え、長い時間をかけて発展してきた進化のシステムには人工知能は到底及ばない、と語った。

  シンポジウム風景
    AIやビッグデータを活用して日本の産業競争力を高めるにはどうすべきか、について。前川先生は、コンピュータに関連する部分でなく、商取引など人間が作った仕組みの方が問題だ。また、農業、介護、建設現場、外食産業などで人が機械に置き換わるとしても、人間はもっと創造的な仕事をしていくべきだ、と述べた。
      関口コーディネーターは、製造業の今後が相当心配だ。フルに稼働するカーシェアリングが1台あると、23台の新車が売れなくなるという統計がアメリカにある。そこに自動運転が加わると、飲んだ人が呼んだタクシーがやってきて目的地まで運び、その後フルに稼働すると、自動車が売れなくなる。次の時代のビジネスモデルを考えておかないと、家電業界の凋落と同様なことが起きる、と警告した。また、人工知能を上手に活用してものづくりとうまく融合するには人材育成が重要であり、トヨタがシリコンバレーで巨額の投資をしているのも人工知能の人材育成のためで、それに関連して松尾先生は、付加価値に見合う成果報酬制度をつくれば、いい人材は増えてくるはずで、日本社会のように。若い人にお金を与えることをものすごく嫌っているようではだめだ。前川先生は2000年以来の「未踏プロジェクト」のように、少数だがとびぬけた人材はいても、世界に伍して戦える様ないい人材やビジネスモデルはできているかというと、そうなっていないことが問題だ、とした。
      最後に公文先生は、日本ではしてよいことしかしない傾向があるが、してはいけないと書いていない限り、まずやってみることが肝要だと強調した。前川先生は、世界を変えるんだという野心のある若い人が出てきてほしい、と結んだ。