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■人的資源管理コラム:学校法人における教職員の評価制度のあり方について
「第1回 能力主義の理想と現実」<2011/10/26>
1.はじめに
 1970年代移行、多くの日本企業は、職能資格制度という能力主義にもとづく格付け、評価及び育成・処遇の枠組み(等級制度)を導入・運用してきた。しかし、90年代後半以降、急速な景気の悪化に伴い、年功的な運用になりがちな職能資格制度の見直しが進み、仕事基準による役割主義あるいは職務主義に基づく等級制度へと転換する企業も少なくない。企業によっては、非管理職層は能力主義、管理職層は役割主義といったように、一つの組織の中で階層によって使い分けているところもある。その意味では、日本企業における人事制度は混乱期とも変革期ともいえるし、いまのところ、これが日本的人事制度の新スタンダードだといえるようなスタイルが見い出しえていない状況ともいえる。
 一方、大学をはじめとする学校組織では、近年ようやく人事制度(評価制度)が導入され始めた状況であり、能力主義評価の是非についての議論をするのはやや早すぎるかもしれない。私自身は、この10年間、大学あるいは附属校も含めた学園全体など、学校法人における教職員の人事制度構築・導入・定着といったコンサルティングに携わってきた。そうした経験を踏まえると、大学の事務職員に対する人事制度は能力主義をベースにしたものが比較的適しているのではないかと考えている。もし能力主義が機能しないのであれば、恐らく、問題の所在の一つは「能力」というものの捉え方にあるのではないだろうか。そこで本稿では、なぜ能力主義がうまく機能しないのか、そして、どうすればうまく機能するようになるのかといったことについて論じてみたい。

2.「能力」とは何か?
 そもそも「能力主義」と言う場合、そこでの「能力」をどのようにとらえるかは人によってまちまちであろう。例えば、こういった会社の紹介文をよく目にすることがあるのではないだろうか。
「我が社は能力主義を徹底しています。入社に際しては、大学卒であろうが高校卒であろうが、新卒であろうが中途採用であろうがなかろうが、そんなことは、一切関係ありません。能力があればだれでも昇進もするし給与も上がる、やりがいのある仕組みとなっています。」
 ここでいうところの能力主義の「能力」とは何を意味しているのだろうか。おそらく、能力の代わりに実力やスキル、あるいは成果、業績など色々な言葉を入れ替えても十分通じるのではないだろうか。つまり、それだけ日本人にとって能力といった場合のイメージに幅があるのである。もし自校に能力主義評価を導入するのであれば、単に「能力主義評価を導入します」というのではなく、何を「能力」とみるか明確にしないと、聞き手によって様々に解釈され混乱を生ずる恐れがある。
 ちなみに、日本語の「能力」を和英辞典でひくと “ability”と出てくるが、これはあくまで「〜ができる」といった手腕や技量を示す言葉であり、これ以外にも英語では、 “potentiality”(潜在能力)、“talent”(才能)、あるいは近年日本企業で大ブレークした“competency”(競争力)など、日本語で言う「能力」に包含される様々な意味合いの言葉を使い分けている。
 日本企業の人事制度において初めて能力主義という言葉が公になったのは、1969年、当時の日経連(現日本経済団体連合)が出した『能力主義管理-その理論と実践』であろう。もちろん、それ以前にも個々の企業において能力主義という名称を様々な意味合いで使っていた企業はあっただろうが、この本が出されたことで、能力主義について一定の定義や考え方の整理がなされたといえる。
 当時の日本において、年功序列制度やそれに連動した電産型賃金体系は労働力の確保には役立ったものの、これから求められる国際競争力の強化には役に立たないという認識が高まってきていた。そのとき、日経連が改革指針として提示したのが「能力主義」というキーワードだった。社員一人ひとりの能力を最大限に活用し、学歴、年齢、勤続年数などにとらわれず、個人の能力発揮度に応じて公正で納得性の高い処遇を行なうことによって、少数精鋭主義を実現しようというのが、その基本理念であり、それを境に能力主義による人事考課が年功序列制に替わって徐々に採用されていったのである。
 この報告書で言うところの「能力」とは、「企業目的達成のために貢献する職務遂行能力(職能)」を意味する。そのため、その後、多くの企業で取り入れられている職能資格制度の中核概念はこの本が元になっているとの指摘もある。さらに、報告書を読み進めると、職能には、顕在能力(営業成績等の具体的な業績)のみならず、潜在能力(企業・上司からの期待)、知識(研修、国家・公的資格取得など)、態度(性格・意欲など)、経験などの色々な要素が含まれた概念としてとらえられていることが分かる。
 評価本来の考え方からすると、顕在能力に焦点をあてて評価すべきところではあるが、実際には顕在能力のみを見ることは不可能であり、どうしても顕在能力から潜在能力を推し量ることになる。しかしながら、潜在能力を見るための基準を設定することも難しく、結果として潜在能力の代理変数として経験年数を見ざるを得ないということになる。そして等級ごとの標準滞留年数などを定め、経験年数にもとづき昇格させていく運用をすることで、職能資格制度は形を変えた年功制度ではないかとの批判を浴びることになるのである。
 この批判に一つの新しい光を当てたのは、後述するが90年代後半に成果主義とともに日本に大ブームを巻き起こした「コンピテンシー」である。コンピテンシーとは、継続的に高業績をあげる人材固有の行動特性を抽出し高業績者の行動モデルとして評価項目や着眼点を作成して、これを共有化することで全体を意識付けし、底上げするという考え方である。ある企業ではこうした考えのもと、「発揮能力評価」として、発揮された能力=目に見える能力のみを評価するという仕組みを取り入れている。また、別の企業では「成果創出行動評価」として、能力というよりは成果につながる行動を評価するという仕組みをとりいれている。
 ただ、コンピテンシーも実際に導入しようとすると、何が高業績者固有の行動特性なのかを明確にするのは難しく、結果としては職能と何が違うのか判然としないとの意見もあり、能力評価をめぐる論争はいまだ結論はついていない。
 能力を把握し、評価するには、このような困難さがある。しかし、私は先に述べたように大学の事務職員の職務特性を考えると、やはり能力主義に基づく評価が相応しいと考える。大学の事務職員が担当する多くの職務は、定量的な業績や結果が明確に見える業務はあまりなく、むしろ、教員や学生、あるいは事務職間での調整や折衝といったプロセスを通して、業務が円滑に遂行できるようにすることが求められている。こうした能力は短期間で身につくものではなく、同じ職場内の業務分担替えや部門をまたがるローテーションなどを通して、各部署・部局の業務について経験を積み重ね、関連法規などの知識を習得し、あるいは教員との人間関係を構築していく過程で、中長期的に能力を蓄積し、発揮していくことが求められていると考えられる。その意味では、大学の事務職員の評価に適しているのは、やはり職務遂行能力であろう。職能を評価することに伴う、様々な問題や課題を完全に解決できる方法はないが、制度や運用上の工夫の余地はあるといえる。

(日本生産性本部大学人事戦略クラスター上席主任研究員 東狐 貴一)

注 *1:公益社団法人 私学経営研究会「私学経営」(No.437 2011年7月号掲載)

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