第二次大戦後、アメリカは戦災で打ちひしがれた西欧諸国の経済再建のため巨額の経済援助「ヨーロッパ復興援助計画」(マーシャル・プラン、1948年から52年)を実施しました。その援助の一環としてイギリスにおいて、経済再建には「アメリカ産業の生産性の高い秘密を解明し、イギリス産業に応用することが近道である」との結論で、この仕事を行なう機関として民間に生産性センターが設立されました。この活動の成果があがって、イギリス経済の再建が軌道にのるにつれて、西欧各国にイギリスをモデルとした生産性センター設立の機運が高まりました。更に、この機運に拍車をかけたのがアメリカの援助です。アメリカは巨額なマーシャル・プランを打ち切り、援助を少額でしかも効率的な生産性運動に切り換えたのです。これにより西欧諸国に生産性センターが次々と設置されました。また、これら西欧諸国の生産性センターの情報交換、技術交流の計画実施本部として1951年にヨーロッパ生産性本部が創設されました。(OECDに吸収)
西欧諸国に拡がった生産性運動の目的は「国民の生活水準の向上」です。生産性向上によってコストを引き下げて企業家の利潤を増大させ、投資家への配当を増加させ、一方労働者の手取を増大させ、生産品の価格を引き下げて一般消費者を満足させ、究極において国民の生活水準の向上、国民所得の増大を目指した運動でした。
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