健全な情報社会をめざして
 情報化レビュー・電子版
 第211号

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巻頭言

「安全を安心につなげるために何が必要?
−信頼がリスク議論の混乱を解く鍵」


情報化推進国民会議 委員
リテラジャパン 代表
筑波大学 非常勤講師
  

西澤 真理子

   「安全安心」という言い回しをよく聞くようになりました。しかし、このフレーズを聞く度に何かが欠けていないかな、と感じます。「信頼」という言葉です。
   私の専門はリスクコミュニケーションで、これは科学的な事実を分かりやすく社会に伝えるというものです。欧州で10年間研究し、日本で起業しながら8年間その実践を続けていますが、やればやるほど「安心してください」と言っても、どれだけ信頼がないと上滑りしてしまうかを感じています。

   人には「この人は信頼できるから安心だ」と思う感覚があります。相手を信頼していないけれども安心、いうことはまずありません。震災の際の情報発信がまさにその典型です。
   「○○が危ない!」とあおる雑誌の見出しをよく目にします。「あなたは少し不安ではないですか?」と聞かれると「全く心配がありません」と自信を持って答える人がどれだけいるでしょうか? そして不安情報に反応して社会は「安心」を求めます。

   その一方、安心のコストについて関心は高くありません。自分の財布が痛まないことについては過大な要求も。でもその費用は税金、もしくは、製品を作る人が負担してください、となりがちです。「安心」という言葉は客観的、科学的事実をオブラートにも包みます。事実が伝わりにくくなってしまう弊害も出てきています。
   不安情報に敏感な日本では、「安心」を前に出したい気持ちはよく分かります。でもやはり「信頼」というところにもう少し目を向けていけなければ、食品や健康情報の混乱を改善できない。どこかでこの連鎖を切らないと、安心のコストがどんどんと積み上がっていくのです。

   どうしたらよいのでしょうか。一つの切り口は安心のコストをどこまでかけるのかについて社会で議論していくということです。「安心社会」から「信頼社会」への転換です。
   社会心理学者の山岸俊男氏が『信頼の構造』『日本の「安心」はなぜ消えたのか』と、素晴らしい本を書かれています。『「信頼社会」では組織は外に向かって開きながら、弱い結びつきでお互い対話を通して信頼関係を作っていく。確かに裏切られることもあるかもしれないが、それでも多少のリスクを覚悟でやっていく。それが新しい信頼社会の形であり、そういうことをやっていかなければならない』と、提言されています。

   人気経済番組『カンブリア宮殿』で司会を務める作家の村上龍さんのエッセイに「安心社会は非常に日本的なものだ」とあり、印象に残りました。「安心社会は日本標準」とも。
   科学的評価、経済判断に基づき、リスクを出来る範囲で小さくしよう、との現実的なリスク対応がこれからの社会では必要です。リスクコミュニケーションが大切になる場面が増えていくでしょう。リスクコミュニケーションでは相手に分かるよう丁寧にリスクの大きさを説明し、その作業を通じて互いの理解、信頼感を高めていくことを積み重ねていくのです。

      ※ 著書のご案内: 西澤真理子著 『リスクコミュニケーションの誤解(仮)』
         エネルギーフォーラム新書から発刊予定です。