第13回 「時代を先取りした視点を持って活動」―「全労生」設立
連載「JPC 70th クロニクル」⑬ 「時代を先取りした視点を持って活動」
労組幹部による海外視察団

日本生産性本部は創設初年度の1955年5月に海外視察団の第1陣をアメリカに派遣。団員のほとんどは経営側だったが、労組幹部も一人だけ含まれていた(川崎製鉄労組連合会中央執行委員長の北村勝雄)。
56年には「労働団体生産性視察団」の第1次が6月に、第2次が8月に渡米、いずれも6週間にわたって視察。当初は総同盟と全労系のみで構成されていたが、その後、回を重ねるごとに総評系、中立系組合にも広がるようになり、視察内容も「調査」「教育」「労使協議」など専門的な傾向を帯びるようになった。視察参加者は帰国後、生産性運動の第一線に立つ役割を担うことになった(『全労生40周年記念誌』、2000年7月)。
「実践」に意義
生産性運動が進められる過程で、労組自身が主催者となって、運動を組合に広げ、その組織化を図る動きが起きた。58年11月には、総同盟や海員組合、電労連、自動車労連など約230組合参加のもと各地で開かれた地方集会の集大成として「全国労働組合生産性中央討論集会」を開催し、時の問題について議論。これを基盤として、59年4月、「全国労働組合生産性企画実践委員会」が設立された。委員長には総同盟あつし副会長の古賀専、副委員長には電労連事務局長の佐藤仲を選出。企画だけでなく、労組自身が「実践」するところに意義があるということで名づけられた。
同委員会は総評系や中立系労組からの参加が増す中、生産性運動の調査研究活動や討論集会・研究会を通じた協働活動を展開。68年に同委員会は発展的に「全国労働組合生産性会議:略称=全労生」と改称、現在の活動につながっている。 「企画実践委員会が総評、全労、同盟等の枠を越えた構成となり、かつ常に時代を先取りした視点を持って活動展開を図ってきたことから、後年の労働戦線統一の流れをつくったことは紛れもない事実である。」(前出『40周年記念誌』) (文中・敬称略)
【参考文献】『生産性運動50年史』(社会経済生産性本部、2005年)
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