第14回 「生産性論争」を展開―「日本生産性新聞」創刊
連載「JPC 70th クロニクル」⑭ 「生産性論争」を展開
生産性意識の昂揚が不可欠

の第1号(1956年7月16日付)
1面では「生産性論争」が反響を呼んだ。
日本生産性本部の創設初年度(1955年度)の事業計画には、「一国の生産性を高めるためには国民全体の生産性意識の昂揚が不可欠の要件である」として、機関誌やニューズの発行頒布、ラジオによる啓蒙宣伝、映画やスライドの作成上映、ポスターやパンフレットの作成など国民運動事業(広報活動)が掲げられた。
機関紙「生産性向上ニューズ」は55年4月27日に第1号を発行(月2回刊)。副会長・中山伊知郎の論稿や視察団出発のニュース、資料編(日米交換文書本部設立趣意書、本部機構、55年度事業計画)などが収録され全36頁だった(第2号から全8頁)。
旬刊の「生産性向上シリーズ」も55年4月に発刊(59年4月、「月刊生産性」の創刊で閉刊)。そして、56年7月、広く国民に呼びかける機関紙として「日本生産性新聞」(82年4月に「生産性新聞」に改称=本紙)が創刊された。
論争で「確信深化」
第1号1面には、総評事務局長・岩井章と本部専務理事・郷司浩平による「生産性論争」が掲載された。
岩井は「労働者に犠牲を強いるもの――現実の生活こそが問題」として「私には生産性向上運動が労働者に幸福をもたらすという理屈が理解できない」と批判。一方、郷司は「われら繁栄への唯一の道――労使関係の近代化を実現」として「生産性向上運動こそが本当に日本を近代化し、日本国民の生活を豊かにし、明るくする唯一の道だと確信している」と主張した。
新聞では十数回にわたり、「生産性論争」の場を提供。労使中立各界の代表や読者も参加して賛成・反対の意見を掲載した。創刊から1年後。57年7月15日付で、郷司は1年前の「確信」について次のように記した。
「あれから一年経った今日、私はこの確信を一層深めてきている。」
(文中・敬称略)
【参考文献】『生産性運動50年史』(社会経済生産性本部、2005年)、『実録 生産性論争』(日本生産性本部、2022年)
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