第2回 経営、学識、労働による三者構成―JPC創設前史<下>
連載「JPC 70th クロニクル」② 経営、学識、労働による三者構成
労働組合の考え方が変化

郷司浩平が1953年の欧州視察で感銘を受けたことがもう一つある。労組の考え方が戦前と大きく変わっていたことだ。西ドイツで郷司は労組幹部と会合を重ねた。「かつてのドイツの労働組合は、イデオロギーで政治闘争にまきこまれて、さかんに喧嘩した。労働組合は三つに分裂し、力が弱くなったところへ、ヒットラーが出てきてつぶされた。(中略)しかし、今日のわれわれ(ドイツの労働組合)は、労働者の日常の生活を改善するための経済団体である、という原則をもって貫かれている、そういった考え方を懇々と聞かされた。」(「郷司浩平回顧談」)
日本と同じ敗戦国。その西ドイツが奇跡的と言われる復興を果たしたのは、労使が利害関係を超えて一つの目的を持ったことにある。労組の経営参加という進歩的な枠組みの中でも、労組の根本原理が、経済主義に一貫していること、「これこそがドイツ再建のカギである」と郷司は認識を新たにした。
労資協力で経済再建
郷司は西ドイツに続いて英国へ。英米生産性協議会を前身とする英国生産性協議会を訪問する。1948年に発足した英米生産性協議会は欧州に広がった生産性運動の発火点だ。ここでも印象づけられたのは労組の姿勢だった。
「一番わたしが感心したのは、この運動(引用者注:生産性運動)に率先して音頭をとったのが、TUC(イギリス労働組合会議)。これが一番協力した。やはり根本の思想は、労資が協力して、立ちおくれた、あるいは戦争でもって消耗されたイギリス経済を再建するという、そういう高い目標だと聞いている。」(「同回顧談」)
今日、日本生産性本部は経営と学識、そして労働の三者で構成されている。その源流がここにある。(文中・敬称略)【参考文献】『生産性運動50年史』(社会経済生産性本部、2005年)
- ※文中・敬称略。【参考文献】『生産性運動50年史』(社会経済生産性本部、2005年)
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