第3回 北欧型積極的労働市場政策推進を 2名の有識者にインタビュー

連載「生産性改革 Next Stage」③ 北欧型積極的労働市場政策推進を

生産性を巡る最前線の改革や今後の展望などを探る新連載「生産性改革 Next Stage」では、「マクロ経済・産業政策」をテーマに、日本総合研究所理事長で、内閣官房「新しい資本主義実現会議」構成員の翁百合氏と、経済産業研究所(RIETI)理事長で一橋大学経済研究所特命教授の深尾京司氏がインタビューに応じた。

新機軸実効で実質賃金1.3%増

新しい資本主義の三位一体の労働市場改革(「リ・スキリングによる能力向上支援」「職務給、ジョブ型人事の導入」「労働移動の円滑化」)について、翁氏は「トランプ関税で不確実性が増しており、多くの企業が影響を受ける可能性もある。北欧型の積極的労働市場政策の推進は喫緊の課題だ」と指摘した。
そして、「賃金が上昇する効果的なリスキリングやキャリア選択、円滑な労働移動には、適切なキャリアアップの支援とともに、ジョブ・タグ(職業情報提供サイト)の拡充など充実した職業・賃金の情報の見える化も必要だ」と述べた。

三位一体の労働市場改革

また、経営戦略と人材戦略を関連付けた人的資本の開示の充実を促すことや、不本意非正規労働者の支援強化、男女賃金格差の解消、ディープテック・スタートアップ支援の強化、最低賃金の引き上げの加速化などの政策を総合的に進めることが重要であるとの考えを示した。
翁氏は「北欧が危機のたびに生産性向上を実現している背景には、生産性が低い分野から生産性の高い分野への労働移動を支えるリスキリングを行っていることがある。『守るべきは競争力をなくした仕事でなく、個人である』という考え方が浸透しているからだ」と話した。
一方、深尾氏は、持続可能な成長を実現するため、政府が打ち出している「経済産業政策の新機軸」について語った。新機軸は日本経済の低迷を脱却するための新しい産業政策で、産業構造審議会の経済産業政策新機軸部会で議論を積み重ね、深尾氏はオブザーバーで参加している。
「国内投資の拡大」「イノベーションの促進」「国民所得の向上」の循環を実現し、成長エンジンとしての産業政策の展開を目指す。RIETIでは十数名の経済学者が連携し「2040年に向けたシナリオ」に関する産業構造推計モデルを構築した。
新機軸ケースでは、人口減少を前提に労働投入は減少するが、国内投資拡大(官民目標2040年度200兆円=名目4%増)を実現すれば、資本装備強化を通じて労働生産性が上昇し、2040年においてGDPは名目3.1%増(実質1.7%増)、賃金は名目3.3%増(春季労働交渉5%増相当、実質1.3%増)となると推計した。
深尾氏は「新機軸を進めた2040年の日本は、購買力平価で諸外国の現状と国際比較すると、人口1億人未満の中規模国と比べてGDPは大きく、実質賃金はフランスやイギリスと同程度になる」と指摘した。

カギ握るAI・ロボット普及

深尾京司 経済産業研究所理事長

2040年シナリオを議論

深尾京司 経済産業研究所理事長

産業構造審議会経済産業政策新機軸部会では、昨年春から「人口減少であっても豊かになれる2040年シナリオ」の作成を本格化し、ここ1年の関連政策(GX2040ビジョンや第7次エネルギー基本計画等)も踏まえて、シナリオを精緻化し、今年6月に第4次中間整理を発表した。
新機軸ケース(新機軸の積極的な経済政策の強化を前提に、潮目の変化における国内投資・賃上げを継続)とベースケース(過去30年と同程度に国内投資・賃上げが停滞)の二つを示している。
RIETIはこの将来推計の基礎となる2040年産業構造推計モデルを経産省と共同で開発した。政府による将来推計としては、内閣府の「中長期試算」や厚労省の「財政検証」があるが、それらは産業構造の変化を考慮しないマクロ経済モデルを使っており、TFP(全要素生産性)の上昇(労働生産性上昇のうち資本蓄積の寄与以外の要因)を過去の実績を参考に外生的に仮定している。
これに対して2040年産業構造推計モデルでは、人口高齢化による需要の変化やAI・ロボット技術の進展により、産業構造や就業構造が今後どのように変化し、それが経済成長や賃金上昇にどのように影響するかを経済原理に基づいて分析している点で大きく異なる。
またこのモデルでは、資本ストック構成のうち生産への寄与が大きいソフトウェア、研究開発、情報通信機器などの比重が高まり、更には就業構造のうち生産への貢献度と賃金率が高いAIやロボットの活用を担う人材などの割合が増えることで、労働生産性が上昇する効果を推計している点が新しい。「中長期試算」や「財政検証」ではこれらの効果は、TFPの中に混入しており、明示的に分析されていない。

資本蓄積が成長の源泉

成長投資の促進と産業政策の強化を前提とした新機軸シナリオでは、労働生産性や賃金率、GDPについて、堅調な上昇が見込めるとの推計になっている。例えば実質賃金率は、年率平均1.3%で上昇する。
成長の最大の源泉は実質資本ストックが2021年から2040年にかけて約25%増えるとの想定である。資本蓄積は資本収益率の低下を招くため活発な投資が維持できないのではないかとの見方もあるようだが、ここ20年の日本の資本蓄積は、人口減少を加味しても他の先進諸国と比較して異常に停滞してきたことや、労働の質向上やAI・ロボット技術の進展は資本収益率を引き上げることを考慮すると、決して実現不可能ではない。

需要に見合った人材獲得を

技術革新が起きると、労働需要の中身も変わってくる。どういう職種や教育レベルの人材が必要となるかが変わり、労働シフトが起こる。その時、需要に見合った人材を獲得できるかが大きな課題だ。持続可能な成長のためには、AIやロボットなどの新技術を活用できる人材を育成することが重要であり、人材のリスキリングが必要になる。
ボトルネックは介護と医療分野だ。内閣府の推計では2040年には、日本の労働者数の2割程度がこの分野で必要となるといい、AIやロボットを活用し、この分野のエッセンシャルサービスの効率を上げていくことが極めて重要になる。
つまり、新機軸シナリオを実現するには、AI・ロボットの導入・普及をどう進めていくかが鍵になる。そのためには、小規模事業者でも使いやすい自動化技術が求められる。仲介役であるベンダーの果たす役割は大きく、AI・ロボットのサポートやアフターサービスなどの支援を強化すべきだろう。

人への投資で付加価値向上

翁百合 日本総合研究所理事長

人への投資の意識拡大

翁百合 日本総合研究所理事長

岸田政権が「新しい資本主義」と名付けた成長戦略では、人への投資は「一丁目一番地」だ。労働人口の減少を考えれば、一人ひとりの潜在力を上げるため、リスキリングや人材投資が極めて重要だ。大企業では人への投資に関する意識が芽生え始めており、今後は、中小企業に対しても、人への投資を促す政策がDX支援とともに重要になる。
職務給・ジョブ型雇用は、リスキリングと深く関連している。企業の付加価値や生産性を高めるためのビジネスモデルを練り上げ、それに合った人材を採用し、リスキリングによって育てていくことが大事だ。人手不足で人材の採用競争が厳しくなっている中、人事制度を工夫する企業は増えている。
円滑な労働移動は、生産性が高く、賃金が高い分野に人が移動することが望ましい。円滑な労働移動のある国は、企業が人の成長やエンゲージメントを考え、人への投資が増え、生産性が上がる傾向がある。生産性や企業価値を上げながら賃金が上がることが大事だ。AI・DXの活用で資本の質を上げることも全要素生産性の向上に繋がる。

不本意非正規への支援を

男女の賃金格差の問題は、早急に改善すべきだ。高等教育の投資額に対する生涯賃金を男女で比べると、日本はOECD諸国の中で最も男女差が大きい。一方、経産省のリスキリング講座を最後まで受講したのは女性が8割で、意欲が高い。女性が潜在力を発揮できる環境を整えることは極めて重要だ。
20代から30代の自律的キャリア志向は上昇していて、今後自然に転職は進んでいくだろう。政府が力を入れるべきは不本意非正規労働者に対する積極的労働市場政策だ。不本意非正規労働者は180万人(2024年)、非正規全体の8.5%で、2013年からの減少幅で見ると、就職氷河期の45歳から54歳が22万人減(現在41万人)と少ない。25歳から34歳では56万人減(同28万人)である。
北欧型の積極的労働市場政策の推進は、以前から課題だと言われてきた。日本にも求職者支援制度があるが、うまく機能しているとは言い難い。就職氷河期を含め、不本意非正規労働者が正社員になるための支援は集中的にやる必要がある。

最低賃金引き上げで改革を

物価高で低所得層の生活が困窮する中で、最低賃金を引き上げるスピードが遅いことは、日本の大きな課題だ。日本は他の先進国と比べて最低賃金の水準が低い。最低賃金を上げると、中小企業の経営が厳しくなるとの理由で反対の声が大きい。しかし、非正規社員にとって社会保険料の負担は重く、可処分所得の水準を考えると、賃金水準の底上げは喫緊の課題だ。
最低賃金の引き上げは、国の介護報酬等の引き上げ、中小企業の価格転嫁の後押しやDX支援など生産性向上支援策もセットで進めることが大事だ。最低賃金の引き上げが呼び水になり、中小企業の水平・垂直のM&Aを含む新しいビジネスモデルへの転換が促され、成長の機会となる可能性もある。
北欧は危機に直面したとき、生産性の低い分野から高い分野への人材移動を進めることで、産業構造を変革してきた。日本では「発想が大きく異なる」という受け止めもあるが、北欧では「救うべきは競争力をなくした仕事ではなく人である」という考え方が浸透している。
スウェーデンでは、人への投資を重視する積極的労働市場政策、女性活躍や少子化対策などの政策立案には、経済学者が重要な役割を果たしてきた。国民に対し、科学的根拠に基づき政策の合理性を説明することで、国民と政府が信頼関係を築いている。こうした政策が北欧諸国の社会的包摂と国際競争力の両立を可能にしている。

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