コロナ危機に克つ:田川 博己 JTB代表取締役会長執行役員インタビュー

世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)副会長でJTB代表取締役会長執行役員の田川博己氏(サービス産業生産性協議会幹事)は、生産性新聞のインタビューに応じ、新型コロナウイルスの感染拡大で凍結されたツーリズムに関し、足元の回復動向や、新しい旅行サービスの可能性について語った。テレワークや学校の遠隔授業など、緊急事態宣言中に広がったICT(情報通信技術)の活用を踏まえ、旅をしながら旅先で仕事をする「ワ―ケーション」関連サービスの本格登場などを予言した。

「ワーケーション」商品に注目 休暇を取りながら旅先で仕事

田川 博己 JTB代表取締役会長執行役員/世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)副会長

ワーケーションとは、仕事(ワーク)と休暇(バケーション)を組み合わせた造語で、旅をしながら旅先で仕事をする仕事や休暇のスタイルを指す。

田川氏は「今はICT(情報通信技術)の発達によって、本社オフィスに居なくても、どこでも働けるようになった。コロナ禍で高齢世代も含めて、スマートフォンを使いこなし、Web会議サービスなどを使って自宅で仕事をした」と話し、休暇のスケジュールに仕事を組み込んで働く「ワーケーション」が拡大する可能性を示唆した。

ワーケーションは、米国では2015年ごろから広がり、休暇を過ごすリゾート地で特定の時間だけ仕事をしている人が多いという。仕事をしている間は勤務時間として見なされ、給料も支払われる。

田川氏は「日本でも、新幹線を使って一時間程度で行ける軽井沢などのリゾート地でワーケーションする人が増えるかもしれない。新幹線の料金はかかるが、テレワークがメインになれば、通勤定期などの経費も抑制でき、生産性も向上できる可能性がある」と話す。

欧米など世界各国と比べ、テレワークが多い東京や大阪などの都心部は地価が高く住宅事情も貧弱だ。書斎がある家庭もまれで、リビングで子供と一緒にテレワークしている人も少なくない。

書斎のない都心のマンション暮らしの人にとっては、地方の貸別荘や古民家などに長期間滞在し、ワーケーションできる旅行商品は魅力的だ。

田川氏は「コロナ禍で遠隔授業を取り入れる学校も増えたため、親子で古民家に長期滞在し、仕事と勉強をするような利用が増えれば、親子で過ごす時間が増え、家族の絆も深まる」と言う。

新型コロナウイルス対策として、政府が自粛を要請していた都道府県境をまたぐ移動が全面的に解禁され、足元の国内旅行の復活へ向けた動きが徐々に出てくる見込みだ。

田川氏は「阪神・淡路大震災や東日本大震災などの大災害からの復活には10年、20年の歳月が必要になるが、感染症の場合は、ワクチンができれば、需要はすぐに戻ってくるだろう」との見通しを示す。

その一方で、「いったん休耕田にした後、田んぼに戻すのは時間と労力がかかるのと同じで、人間の心が旅に出る意欲をなくしてしまうと大変なので、できることから近場から取り組んでいく」(田川氏)。

10月以降に本格的に国内旅行の消費が戻ることを想定。今年の短い夏休みに、親子ワーケーションや密にならない秘境の旅などの需要が高まることを期待している。

延期になった東京オリンピック・パラリンピック。開催の行方がツーリズム業界に大きな影響を与える

一方、海外旅行の復活については、ビジネス往来が先行し、2021年に延期された東京オリンピック・パラリンピックの開催がどうなるかが鍵を握るとみる。

田川氏は「こうした中で、2025年に開催する大阪の万博が注目される。パンデミックを経験した後の初の世界的な大イベントを舞台に、日本が何を表現するのかが大いに注目されるだろう。どんなテーマにすべきかについては、国民的な議論が必要だ。個人的には『命』や『人間性』などがキーワードになると考えている」と話している。

(以下インタビュー詳細)

新しい旅のカタチ ツーリズム業界の使命

14億人の世界交流人口

これまでも、日本が危機的な状況に追い込まれたことはあったが、第二次世界大戦以来、経済活動が止まることを経験していない。戦争経験者は「生きているだけでいいじゃないか」と言えるが、今の世代の人たちが戸惑うのは仕方がない。

100年前のスペイン風邪と今の新型コロナウイルスのパンデミックでは、ツーリズムの環境が全く違う。世界のツーリズムによる交流人口は、14億人を数える。10億人に達したのが2010年ごろで、4億人の上積みのほとんどはアジア・アフリカの新興国だ。

副会長を務める世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)のグローバルサミットが2018年4月にアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれ、元メキシコ観光相のゲバラWTTC最高経営責任者(CEO)が当時、テロや、保護政策を推進するポピュリズム政治と合わせて、感染症拡大のリスクを指摘していたのを思い出す。WHOからもスピーカーが講演し、注意を喚起していた。

しかし、日本の感染症対策は遅れていると言わざるを得ない。とりわけ、税関(Customs)、出入国管理(Immigration)、検疫(Quarantine)の手続きCIQのうち、Qの検疫の部分がないがしろになってしまっている。日本は世界で屈指の清潔で安全・安心な国だ。それがゆえに、海外に出かけていくときの検疫の意識が低い。

日本のツーリズムの直接的な経済効果は28兆円、間接的な効果は50兆円と言われている。また、ツーリズムによる雇用創出効果も大きい。日本の豊富な観光資源と国内旅行の規模を勘案すると、経済効果はもっと高くてもいいはずだ。ツーリズム業界は生産性向上に取り組み、政府もインバウンド強化に乗り出していたが、新型コロナの影響で鎖国状態になり、ツーリズムはパタッと消えた。

人口1億2000万人の日本が、3000万~4000万人のインバウンドも受け入れるのは、オーバーツーリズムであるとの指摘もあるが、欧州では人口と同じくらいの観光客を受け入れている。対GDP比の旅行の経済規模でいうと、欧州は10%を超えているが、日本は5~6%に過ぎない。

日本はツーリズムが持つ経済効果を軽く見すぎているのではないか。長らくものづくり技術立国であった日本は、経済危機で工場が止まると大騒ぎになるが、ツーリズムの停止には無頓着に見える。

今回の新型コロナによるツーリズムの停止によって、自粛していた3カ月で6~8兆円の富が消えた計算になる。政府は、「Go Toキャンペーン」に補正予算で約1兆7000億円を計上したが、それでツーリズムが復活すれば、リターンのほうがはるかに上回るのだから、決して大きな投資ではない。

国際化進めるチャンスに

感染拡大を受けて自粛が要請されていた都道府県境を越える移動の制限が解除された。また、出入国時のPCR検査を条件に、ベトナム、タイなどでビジネス渡航の解除が始まる。

旅行の正常化は、ワクチンや治療薬の登場を待たなければならないが、この期間中、旅行業界を含めたサービス産業は、今回のコロナ禍を、本来の国際化を進めていくためのきっかけにしなければならない。

感染防止のガイドラインを各業界が作成しているが、科学的根拠に基づいた正しい情報を伝えることで、旅行者の不安を取り除く努力が求められる。

県外移動の解除から夏休みに入る前の期間が重要で、「(感染を広げる)だめな行為」と「大丈夫な行為」を仕分けし、それを業界できっちり守っていくので、お客様にも守っていただきたい。

旅行復活へのロードマップに従い、感染症の拡大防止に配慮し、階段を一歩ずつ上がっていく慎重な姿勢が求められる。来年、東京オリンピック・パラリンピックができるかどうかが最大の山場になる。ワクチンや重症化を防ぐ治療薬の開発には、世界が協力して取り組んでもらいたい。

100年以上の歴史を持つJTBは、旅行が今ほど一般化していない戦後の時代、600万人の復員兵を自宅に帰すサービスや、集団就職のあっせんなどを手掛けてきた。ワクチンができるまでの間も、人々の旅に出たいという意識を刺激し続けるために、さまざまな取り組みを進めていく。

旅の楽しみ方も変化

コロナ後は、旅行の楽しみ方も変わる。人と人の絆や仲間意識、家族と過ごす時間などに対する意識が高まる。わいわい騒ぐより、何をするために旅に出るのかを考えるようになるだろう。こうした新しい旅のカタチを追求していくのがツーリズム業界の役割だ。

感染症に対する意識が高く、安全・安心を重要視する日本人が、どのような旅を志向するのかを世界中が注目している。受け入れ側の国も、安全への意識が高い日本人がたくさん訪れる安心な国であるとアピールすることも可能だ。

インバウンドについてはクオリティが問われる。右肩上がりでインバウンド需要が拡大していた時期は、ツーリズム業界も勢いでやってきたが、戦略的に日本のブランド価値を上げていくことが重要になる。

例えば、日本の百貨店は、海外のブランドの品ぞろえは豊富だが、自国のブランドや伝統工芸品の扱いは少ない。海外からの旅行客を満足させるためには、日本の伝統工芸品を匠のストーリーとともに紹介するなど見せ方の工夫も必要だ。

ものづくりの技術に優れた日本には優れた工業製品も多い。下町の工場がつくるネジが、世界屈指の自動車メーカーの技術を支えていることもある。日本の匠の技術をめぐるルートは、産業観光としても立派な観光商品にもなりうる。

デジタルとリアルの融合

新型コロナによる危機に際し、経営者はどういう意識で経営するかがますます大事になってくる。パンデミックのリスクを抱えた時代の企業経営は、明治時代に公益と利益を両立させた渋沢栄一氏のような手腕が必要になるだろう。

コロナ禍で強いられたデジタル化への対応で、日本のサービス産業は大きな可能性を手にした。右手でデジタル、左手でリアルを操り、どっちが有効なのか、または両方使った方がいいのか、最適な判断を下せる両利きの経営が求められている。

新しいサービスを生み出すためには、自前で進めるだけではなく、共創によるエコシステムの構築が必要なケースもある。経営者は軸となる幹を持ち、桜を咲かせるのか、バラを咲かせるのかを組み立てていく力が重要だ。

日本の製造業は、世界のニーズを聞き、多くの人々に受け入れられる製品を送り出してきた。自国内で完結してきた日本のサービス産業が、世界に飛び出していくのはこれからだ。ツーリズムで言えば、それぞれの国のさまざまな人たちが志向する違うニーズに応えた商品づくりも求められる。


*2020年6月18日取材。所属・役職は取材当時。

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