コロナ危機に克つ:落語家 柳亭こみちさん

音楽ライブや演劇、芸能イベントなどエンターテインメントの楽しみが新型コロナウイルスの感染拡大によって奪われてから半年となる。女性落語家の草分け的存在で2児の母でもある柳亭こみちさんは、自粛生活を経て、感染防止対策を徹底した笑いの舞台に戻ってきた。「感染が怖くて、よう見に行かれません」というお客様方に、こう言葉をかける。

「いつかコロナ禍を乗り越えたら、また客席をどっと沸かせたい。私はその日が来るまで芸を磨き続け、みなさんを待っています」。

客席また沸かせたい 芸を磨いて待ってます

柳亭 こみちさん(写真・ヒダキトモコ)

寄席の会場の感染防止対策は厳重だ。出演者とスタッフ、観客全員の検温を実施し、熱がある人は入場できない。あらかじめ、体調の悪い人も来場を遠慮してもらう。入場の際の手指の消毒はもちろん、客席も消毒を徹底している。ソーシャルディスタンスを設定するため、客席の最前列は空席にし、二列目以降は一つ飛ばしに配置。楽屋でも出演者はギリギリにきて、終わったらすぐ帰るという。


伝統芸能の世界では、他の人の高座を聞くことがとても重要です。稽古をつけてもらうのも、直接会ってお願いするのが基本だし、自分の出番が終わった後も、トリの師匠にご挨拶するのが礼儀ですが、コロナ禍でそれはできません。打ち上げや懇親会は禁止だし、ファンの出待ち入待ちもご法度です。

客席は「密」になっているほど盛り上がります。落語、演劇、音楽の観客席の配置はすべて密です。コロナ禍では、それが一切許されません。ネタの選択から変えて対応しています。密だと盛り上がるが、距離があると火が付きにくいような笑いありきの噺より、物語性のあるスジの噺や、お化けが出てくるような噺でじっくり聴かせるなど工夫しています。

1974年生まれ。東村山市出身。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社勤務を経て落語の世界に飛び込んだ。2010年に漫才師「宮田陽・昇」の宮田昇(しょう)さんと結婚し、小学校1年生と保育園児の2人の息子と暮らす。


20代前半までは芝居が好きで、売れる前の古田新太さんや堺雅人さんたちの芝居を観に、時間があれば小劇場に通っていました。ある日チケットがどうしても取れないときに、友人に寄席を勧められ、人生が変わりました。ジジイがただボソボソしゃべっているだけの落語がこんなに面白いなんて(笑)。芝居通いをぱったりやめ、寄席に通うようになり、挙句は「噺家になりたいです」と会社に辞表を出してしまいました。

政府の緊急事態宣言の発出で、高座に上がれなくなったときはつらくて仕方がなかったです。考えるとつらいので、新しいネタを練ったり、稽古をしたり、噺を覚えたりと、プラス思考に転換しました。

家庭では夫婦ともに「不要不急」の商売とされ、2DKの狭い部屋で2人の息子がどう楽しく過ごせるのか、家族全員が心身ともに元気でいられるように気を配りました。

28歳で、柳家小三治の門下である七代目柳亭燕路に入門。前座としての修業は二ツ目になるまでの4年間、ひたすら掃除する毎日で、稽古をつけてもらえるのはせいぜい年に1回だった。御礼奉公も含めた5年の修行を耐え抜いた経験は、今のこみちさんを支える貴重な財産となっている。


寄席は再開されたけど、お客様はかなり減りました。そもそも、落語協会には真打は200人以上いますが、寄席に出られるのは一握りです。今後は、使っていただける噺家もさらに淘汰されるかもしれません。

自粛中はとてもつらかったけど、修業時代に比べれば、たいしたことはありません。落語がやりたいのに何年も掃除ばかり。そのうちに、ただただ「落語がやれればいい」と思うようになりました。

「ああ、これが修業の意味なのだ」ということが後になってわかりました。「竹に雪が積もって、その重さが取り払われたとき、すっと伸びるのだ」と師匠方に言われた意味を体感したのです。


数少ない女性落語家のひとりとして、2017年9月に真打昇進を果たした。落語は伝統的に男性中心で、男性が演じること前提で作られてきた。特に古典落語の登場人物には男性が多く、筋書きも男性目線。女性の噺家が演じることは大きなチャレンジだ。


「道灌(どうかん)」は、若手が鍛錬のために演じる「前座噺」のひとつです。入門当初の稽古では、抑揚や気持ちは置いておいて、大きな声を出します。何百回もやっているうちに、「ご隠居さん」や「八っつぁん」が身近になっていくのです。

ところが、男性の役を男性らしく演じることは、女性にとっては簡単ではありません。セリフの徹頭徹尾を男性である登場人物として成立させることができて、初めて「マイナスをゼロに戻した」ことになるのです。

これに対し、男性の噺家はゼロからスタートし、噺を面白くしていきます。少しの間、会わないうちにうまくなったなと感じることも少なくありません。

私は真打ちです。女性の噺家としては「違和感なく聞こえた」は及第点。「(違和感はないけど)男性のほうが面白かった」ではだめです。生き残っていくには、自分しかできない演出を加えなければなりません。

古典落語は脈々と語り継がれた確固たるものがあります。そして、男性が築いてきた伝統・文化を女性がやるとどうなるかを今、試されているのです。唄や踊りを取り入れたり、これまでスポットライトが当たらなかった江戸の女性を登場させたり、本当のチャレンジはこれからが本番です。


新型コロナウイルスは、現代社会に深刻な分断をもたらしている。ワクチンや治療薬が普及し、コロナ後の社会がやってきたとき、エンターテインメントが人々を癒し、協調を取り戻す力となる。


寄席に来るお客様は、コロナ禍でも寄席を盛り上げたいというお気持ちでいらしてくださいます。ソーシャルディスタンスの客席では笑いの火は付きにくいけど、いつも通りの笑顔です。

一方で、お年を召したお客様は寄席から遠ざかりました。「人込みが怖い」「電車に乗るのが怖い」とのお便りをいただき、お米やお肉を送ってくださる方もいます。

寄席に来られないお客様のために、インターネット配信やSNSで笑いや近況を発信していますが、お客様の中にはメールアドレスやインターネットとは無縁で、配信にたどり着くことができない方もいます。

でも無理して来ていただくことはないと思います。恐怖を感じながら、高座を見ても楽しめないですから。身の安全が第一です。お互いの気持ちは通じ合っていると思いたいです。というか、落語から離れてしまうお客様のことは、結構こちらは気にしていますよ。

時間はかかりますが、コロナ禍がいずれ終息し、寄席にお客様がどっといらっしゃるのを心待ちにしています。音楽や演劇などのエンターテインメントは、「不要」ではなく、人の心が元気でいるためにはなくてはならないものだと信じています。

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