コロナ危機に克つ:スポーツ界の向き合い方

新型コロナウイルスの感染拡大は、東京オリンピック・パラリンピックの開催延期をはじめ、サッカーJリーグやプロ野球といったプロスポーツや中・高校生たちの部活動の制限など、スポーツ界にも大きな影響を与えている。長引くコロナ禍で、私たちはスポーツとどう向き合えばいいのか。ハイパフォーマンススポーツセンター(HPSC)の久木留毅・国立スポーツ科学センター(JISS)長に聞いた。

「コンディショニング」東京五輪のレガシーに 五輪は、感染症との闘いの歴史
久木留毅 国立スポーツ科学センター(JISS)長

《2001年に設立したJISSと08年に設置された味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)、19年6月末に完成した屋内トレーニングセンター・イースト(東館)を国はハイパフォーマンススポーツセンター(HPSC)と位置づけた。HPSCは、世界レベルのトレーニング施設と最先端のスポーツ科学・医学・情報の研究に基づく支援を提供できる日本における唯一の場。そのスポーツ科学・医学・情報の研究と支援を担うのがJISSの役割だ》

久木留 毅 国立スポーツ科学センター(JISS)長

これまで、アスリートとコーチの知識と経験に基づく試行錯誤的な方法が主流だったスポーツの世界に、科学的な視点からスポーツを分析する「スポーツ科学」という分野が確立している。例えば、バイオメカニクス(生体力学)は、力学や解剖学を応用して、生き物の構造や運動を解析する学問で、それをスポーツに応用した。陸上競技ハンマー投げの金メダリストで、スポーツ庁長官の室伏広治氏は、バイオメカニクスの分野について研究し、博士号(体育学)を取得している。

このほかにも、スポーツ科学には、運動によって身体にどのような変化が生じるのか、その現象と仕組みについての基礎を理解する運動生理学もある。解剖・生理学を学び、運動による生理学的変化やトレーニングによる生理学的変化という視点から、アスリートにアドバイスしている。

JISSは、アスリートを栄養面、心理面、そしてコンディショニング面からサポートすることにも力を入れている。中でも、東京オリンピック・パラリンピックに焦点を絞り、暑さ対策について研究を重ねた。夏の大会であり、30度を超える暑さのなかでの試合は、体力を大きく消耗させることが想定されている。

そうした時に、暑熱対策として何をするのが効果的なのかについて、運動生理学的な観点からアドバイスをしたり、実際に、暑熱を防ぐノウハウを競技の現場に提供している。

スポーツ科学に重要なのは「計測する」「はかる」という行為だ。アスリートの動きをカメラで撮影したり、血液や唾液を採取したり、栄養士が食べたものを聞き取りしたり、スポーツ心理学の領域ではヒアリングを実施したりと、さまざまな角度で「はかる」ことができる。

計測によって得られたデータをもとに、スポーツ科学者が分析し、アスリートに対し、トレーニングや健康管理などについてのアドバイスという形でフィードバックしている。


《東京オリンピック・パラリンピックは、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、2021年夏に開催を延期せざるを得なくなった。4月の緊急事態宣言を受けて、ナショナルトレーニングセンターも閉鎖に追い込まれるなど、選手やコーチたちも、期間中は「ステイ・ホーム」して、推移を見守った》


東京大会が延期になったことは、アスリートたちにとって、体力的・精神的の両面で大きな打撃を与えている。フィジカル面では、2020年の7~8月にピークを合わせ、トレーニングを積んできたにもかかわらず、それをいったん白紙に戻さざるを得なくなった。4月の緊急事態宣言に対応し、トレーニングの一カ月半中断に追い込まれたケースも少なくない。

また、メンタル面についても、実際に代表に決まっていた選手、もしくは決まりそうだった選手にはかなりのダメージがあったと思う。ピークにまで持っていくため、または、その状態をキープするために精神的な追い込みがあった中で、その目標がいきなり消えてしまったからだ。

今でも、トップアスリートやコーチたちの話を聞くと、実際に21年夏に開催されるのか、開催されないのかがわからない中で、厳しいトレーニングに向き合うメンタルを維持していけるのかというと、「正直、厳しい」という苦悩の声も漏れる。

私たちがサポートしているハイパフォーマンススポーツには、野球やサッカーなどのプロの選手も含む。そもそも、プロ選手は五輪の開催に関わらず、シーズン中はコンディションをキープするように心がけている。しかし、プロの選手でさえ、コロナ禍ではシーズンのゲーム数が減ったり、観客を制限してゲームを行うことで、収入面の不安が出ているのも事実だ。

JISSとしては、世界各国の競技団体やスポーツ科学の機関などと情報を共有し、感染防止に関するガイドラインの作成や、トレーニングを再開するときの注意点など、最新の情報をアスリートに伝えることに力を入れている。

情報発信力の強化にも乗り出し、リハビリのスタッフが一緒になって自分たちの領域に関する役立つ情報や、栄養士がフィジカルやメンタルの維持に効果が期待できる食事のレシピなどのコンテンツを、ウェブやSNSを使って配信しており、多くのアクセスを集めている。


《菅義偉首相と国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が11月に会談し、2021年夏の開催実現を確認した。世界的にコロナの感染が終息の兆しを見せない中で、どの程度の参加国を見込むのか、観客をどの程度入れるのかなど先が見えない状況が続いている》


実は五輪の歴史は感染症との闘いでもある。近年でいえば、2018年冬の平昌五輪は、中東呼吸器症候群(MERS)やノロウイルスの感染拡大が懸念されていたし、16年のリオデジャネイロ五輪でもジカウイルス感染症(ジカ熱)の脅威にさらされていた。

日本には影響は少なかったが、09~10年はメキシコを発端とした新型インフルエンザが感染拡大し、WHOがパンデミック(フェーズ6)を宣告。しかし、バンクーバー五輪は予定通り開催された。

21年の東京大会がどうなるかはわからないが、後に歴史を振り返ったときに、世界のスポーツ界が新型コロナウイルスの感染に対し、どう闘い、どんな知見を得たのかが問われる。感染症との闘いはスポーツ界の宿命だ。

東京オリンピック・パラリンピックのレガシーは「コンディショニング」だと私は思う。スポーツにとってのコンディショニングは「勝つためのすべての準備」を指す。コンディショニングは、私たちの日々の生活の中のパフォーマンスを高めることにも通じるわけで、コロナ禍でのコンディショニングはとりわけ重要だ。

スポーツを通して、コンディショニングを学ぶことが大事になってくる。暑さ対策もその一例で、HPSCで得た知見を子供たちの夏における体育の授業や高齢者のゲートボールなどにも応用できる。

科学は万能ではないが、ある程度の方向性を示すことができる。ウィズ・コロナの中で、一人ひとりが、正しい新しい日常とコンディショニングを意識していくことができれば、東京五輪の大きなレガシーとなる。


*2020年11月19日取材。所属・役職は取材当時。

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