企業経営の新視点~生産性の日米独ベンチマーキングからの学び⑩

第10回 企業のガバナンスの本質とは

経営共創基盤冨山和彦会長は、生産性新聞の連載企画「企業経営の新視点」のインタビューにおいて、企業のガバナンスの本質は株主価値や株価の最大化にあるのではなく、企業変革を本当に実行できる経営者を持続的に輩出していくことにあると強調した。また、多様性のある経営人材への投資にもっと力を入れていくべきだと指摘した。インタビューの概要は以下の通り。

日本の生産性が向上しない原因


冨山 和彦 経営共創基盤会長

日本はこの30年間で米国や欧州に差をつけられたが、これは明らかにグローバル化とデジタル化という不連続な環境変化に、産業構造全体あるいは企業の個別の事業モデルや会社のありようが合わなくなったということだ。

その前の30年間は、日本は人口が増えていて、大量生産、大量販売型の加工貿易立国で、製造業を商社や銀行が支えるという産業モデルで成長した。いわゆる改良・改善型のビジネスモデルで、かなり集団的なオペレーショナルの闘いがメーンのゲームだった。そこでは、日本的経営システムが大変よく機能して、圧倒的に先行していた欧米の製造業を追い抜いていった。そのプロセスで大量の中産階級が生まれ、その中産階級がまた旺盛な消費を行うという消費と生産の好循環があったので、それが生産性の向上に寄与してきた。資本投資もたくさん行われ、人口も増え、様々な改善・改良が有効に機能していた。

ところが、90年を境に大グローバル化が起きて、日本の得意モデルを大幅に安い人件費で行う国が突然、市場経済に入ってきた。そこで大量の製品が作られ、当然、価格が下がり、生産性の分子である付加価値が消失していくという問題が起きた。

それに対し米国は、デジタルシフト、ナレッジインダストリーシフトを行うことで、そういう競争に巻き込まれないモデルへシフトし、違う形の付加価値の生み方を見つけた。その結果、特に90年代から2000年代に米国の生産性が上がり始めた。

日本の産業構造も企業構造も、集団でハードウエアをつくるモデルに過剰適応していたので、それに対応できなかった。また、バブル崩壊後の様々な危機的状況に対応するのが精いっぱいで、構造改革に手をつける余裕がなかった。

危機的状況では、破壊的現象が起きるので、社会的ストレスがとても大きくなる。結果的に、我々が半分無意識のうちに選択したのは、とにかく危機をしのいで元に戻す、復元するというモデルを繰り返すことであり、根本的構造はむしろ危機によって変わりにくくなった。その間に、米国も欧州も変わっていったので日本が取り残されたというのがこの30年間だ。

包摂的な新陳代謝の仕組みづくりが日本企業の長期的課題


グローバル化とデジタルトランスフォーメーションの波は、今回のコロナ禍でさらに領域が広がり、多分いろいろな産業で次から次へと変容が起きるだろう。そうすると、産業レベルでも企業レベルでも、新陳代謝力を上げないと生産性を上げられない。

そういう意味では、日本の企業がまず長期的に考えなければならないのは新陳代謝だ。日本の企業体はあまりにも新陳代謝がない。新卒一括採用で終身年功制という形態なので、40年に1回しか人は入れ替わらない。多様な変化が多発的に起きるときに、40年に1回しか人が入れ替わらない組織体では対応するのは困難だ。

会社の形を、新陳代謝が常態として起きるような会社の形に変えるために、少なくとも部分的には日本的経営と決別し、その先に新しい仕組みをつくらなければいけない。その際のキーワードは、包摂性、インクルージョンだろう。

様々な人たちを排除する形で新陳代謝を行うと、当然ながら格差や分断の問題が生まれる。すべてのステークホルダーに対応するのではなく、株主のためだけに対応してしまうと、エクスクルージョン(排除)が起きてしまう。だから、包摂的な新陳代謝の仕組みを産業レベルでも企業レベルでもつくれるかが長期的、本質的な課題だと思う。

これは現在、欧米が行き詰まっている問題に対する解でもある。今のデジタル型で勃興してきたモデルは、極めて一部の超エリートの中で、ものすごい勢いで新陳代謝力を上げて、そこで勝ち残った人が成長を牽引してきたが、一般の人々が全然潤わないという問題が起き、分断などが起きた。

日本は、出遅れた分を追いつくこともやらなければならないが、同時に、彼らが既に直面している問題に対する答えも提示していくことによって、一周遅れから一周先に行くことも可能だ。

短期、中期的には、個々の企業経営者のレベルでは、会社に多様な知や新しい発想を取り入れるといったダイバーシティ・インクルージョンにどれだけ真剣に立ち向かうかが重要だ。会社の中に多様な知を入れたり、会社間の再編や組み替えなどを行うことによって、社内をかき回していくということが大事で、そのかき回しを経営者自身が積極的に果敢に行うことが求められている。

従来のイナーシャ(慣性)の中で、微調整でやっていくのであれば、経営者にそんなにストレスはかからない。企業の大中小、業種を問わず、同質的で固定的なメンバーでやってきた会社に多様な知を入れるには、社内を多様化かつ流動化させなければいけない。現場には日々のイナーシャが強烈に働いているので、それはボトムアップでは自然に起こらない。経営者は、変革を続けながら、今稼いでいる現場でもきちんと稼ぐということもやらなければならないわけで、すごく微妙なバランス感覚を持ちながら、かつ組織の多様化や流動化を進めなければならない。

企業のガバナンスの本質は、組織の変容、会社の変革を本当にリードしていける経営者を、どう持続的に会社が輩出できるのか、それをどう実現するのかにある。株主価値や株価を最大化することがガバナンスではない。株価は結果であり、会社が持続性や成長性、収益性を取り戻せば、結果的に株価は上がっていく。

すごく優秀な、能力のある経営者がいる会社では、その人がずっ と経営者をやればいい。問題は、優秀なリーダーも人生有限なので、次の代、またその次の代に、卓越したリーダーが出続けるのか、あるいは次の人が卓越的ではなかった場合にどう交代させるのかという仕組みをきちんと担保しておかないと、結局、一業一代で終わってしまう。大経営者が出て、すごくうまくいくのだが、その後、没落していく会社を、私も仕事柄もう何十社と見てきた。

多様性のある経営人材のプールを


経営者には経営のプロフェッショナリティや違ったレイヤーの経験を積んでもらって、その職能を鍛えてもらわなければならない。会社の中でそうした経験を早めにさせることや、その機会がないのであれば一度転職して、他社で経営を経験してもらうといったことで、多様性のある経営人材プールをつくる必要がある。

産業構造が知識集約型になる流れは止まらないだろう。そうなると、良くも悪くも人的資本に依存することになる。今までは、ごく一部の高度人材によって、デジタルトランスフォーメーションやグローバリゼーションは進んできたが、今後、日本の企業や産業界が、もっとインクルーシブ(包括的)なイノベーションを追求していくのであれば、もっと経営人材への投資が必要だろう。

(日本生産性本部 国際連携室)

*2020年12月22日取材。所属・役職は取材当時。

関連するコラム・寄稿