論争「生産性白書」:【焦点】価格形成と生産性

「生産性白書」をとりまとめた生産性常任委員会のメンバーの一人である一橋大学教授で経済産業研究所所長の森川正之氏は、生産性新聞のインタビューに応じ、執筆した第2部第3章「価格形成と生産性」のポイントを語った。森川氏は「日本市場は、競争が厳しすぎるとか、消費者の要求水準が高いなどの理由で、商品・サービスの質に見合った価格設定ができず、従って生産性が低い、という見方は誤解だ」と指摘。価格と生産性の関係を正しく理解し、サービス産業を中心に、ダイナミック・プライシングなど価格メカニズムの積極的な活用によって、生産性を高めるべきとの考えを示した。

「サービスの質」計測が課題 需要予測や変動価格活用を

《商品・サービスの価格をどう取り扱うかは、生産性を正確に測るうえで、決定的に重要だ。生産性は価格の影響を除去した実質アウトプットと実質インプットの関係として測られる。生産性の水準を比較する場合、各国間・地域間・企業間での財・サービスの価格差を調整したうえで、生産性の高低を比べる必要がある》

森川 正之 生産性常任委員会委員/
一橋大学教授/経済産業研究所所長
マクロ経済の成長率を見る際に、物価変動を補正した実質GDPの変化率で評価します。それと同様に、国全体の労働生産性上昇率は、労働者一人1時間当たり実質GDPの変化として測られます。

付加価値を実質化する際には、見かけ上の価格が一定であっても、製品・サービスが向上している場合には、実質アウトプットの増加を意味します。他の条件が同じなら、質の向上は生産性上昇として扱われます。

例えば、製造業ではパソコンやデジカメなどは処理速度や画素数などの品質が上昇し続けているので、生産台数が同じであっても、アウトプットは増加していると考えるべきです。

医療サービスでも、10年前は治せなかった病気が、治療法の発見で治せるようになり、新型コロナウイルスでも1年かけてワクチン接種が可能になるなど、技術進歩によってサービスが向上します。

ただ、現実には質の向上を正確に捕捉することは技術的に難しく、研究者にとっても厄介な問題です。こうした統計技術上の制約のため、実質GDPや生産性上昇率は過小評価されている可能性があり、特にサービス産業でこの影響が深刻です。

企業経営者が「自社のサービスは過当競争によって価格低下を強いられており、価格を上げれば、生産性が上がる」と考えるのは間違いです。質の向上を伴わなければ、実質化するときに、価格の上昇分は割り戻して計算されます。

《日本では質の高さに見合った価格設定ができないという見方があるが、財・サービスの価格は基本的に需給を反映して決まるから、消費者やユーザー企業の評価が高いほど、価格も高くなるのが自然である》


工業製品では、普及品・汎用品と高級品の間には価格差があるのが普通で、サービスも本質的には同じです。日本生産性本部のサービス産業生産性協議会(SPRING)が主催する「第1回日本サービス大賞」の内閣総理大臣賞を受賞した高級寝台列車「ななつ星」(JR九州)の料金は数十万円と高価ですが、需要が強く予約を取るのは難しいと言われています。

これは、質の高いサービスに対する支払意思額が大きい消費者が相当数存在することを示しています。航空旅客運賃やホテル旅館のサービスと料金など、質の違いに応じた価格差が存在する例は、サービスには多数あります。

小売サービスでは、コンビニエンスストアが、同じ商品を量販店よりも高い価格に設定しているケースは珍しくありません。それでも、コンビニで買う消費者が多いのは、距離が近いとか、品揃えが豊富だとか、小売りのサービスの質に対して、消費者の支払意思額が存在することを示しています。


《日本企業に対するアンケート調査と企業財務データを組み合わせた最近の分析によると、価格競争戦略を取る企業に比べて質の競争戦略を重視する企業が約2倍であり、製造業より、サービス産業で質の競争を重視している企業が多い》


この調査で、どのような企業が質の競争戦略を志向しているのかを詳しく見ると、質の競争を重視する企業は、従業員の学歴が高く、研究開発投資・広告宣伝支出などの無形資産投資が活発で、プロダクト・イノベーションを行っている確率が高いことが分かります。

さらに、質の競争を志向している企業は、価格競争を重視する企業に比べて利益率が高い傾向が確認されています。質の競争を重視する企業の利益率が高いという結果は、質の高さが製品・サービスの価格に反映されていて、それだけマージンが大きくなっているということを示唆しています。

しかし、価格競争・品質競争戦略への志向と企業の生産性の関係は不明瞭です。プロダクト・イノベーションが生産性を高める効果と、市場支配力に起因する競争圧力の鈍化が生産性を低下させる効果が併存しているためだと考えられます。

ボリューム・ゾーンをターゲットとした価格競争戦略と、質の高い製品・サービスへの支払意思が高い消費者、ユーザー企業をターゲットにした差別化競争戦略のいずれを重視するかは、基本的には各企業の経営戦略の問題です。

差別化による質の競争は、日本企業の収益性という観点からは、有効な戦略であるケースが多いと言えそうです。しかし、質の競争ないし差別化競争戦略が、日本経済全体の生産性にプラスに働くかどうかは何とも言えません。


《サービス産業の多くは、製造業と異なり、「生産と消費の同時性」という特徴を持っているため、柔軟な価格設定を通じて、サービス産業の生産性を高める余地がある。顧客の多い時に価格を引き上げてピークを低くし、逆に顧客が少ない時には価格を引き下げてボトムを底上げする「ダイナミック・プライシング」が効果的と考えられる》


「生産と消費の同時性」を特徴に持つサービス産業では、ホテルの客室稼働率、航空旅客運輸の座席占有率、タクシーの実車率などがKPI(重要業績指数)になっています。

コロナ禍の前は、インバウンド(訪日外国人観光客)の増加によって、宿泊施設の稼働率が高まり、生産性上昇に結び付きました。これは、単なる総需要の増加に加え、需要平準化の利益も反映しています。需要が平準化すれば、設備・人員を増強することなく、サービスの供給量を増やせます。

現実は、サービスに対する需要は、季節、曜日、時間帯によって大きく変動します。需要のピークに合わせて設備・人員を用意しておけば、需要を逃すことはなくなります。一方で、非ピーク時に遊休設備・人員を抱えることになり、生産性を下げる要因になります。

平均稼働率を高めようとすれば、需要変動を小さくする必要があり、それには「ダイナミック・プライシング」が有用です。商品・サービスの本体価格ではなく、ポイントの還元率を変えるといった方法も多用されています。

人工知能(AI)、ビッグデータといった「第四次産業革命」がもたらす最新技術が、生産性や経済成長率を高める可能性が注目されています。AIやビッグデータで将来の需要変化を高い精度で予測できれば、無駄な人員配置や中間投入を節約でき、価格設定を工夫して需要平準化を図ることも可能になります。

*2021年1月28日取材。所属・役職は取材当時。

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