コロナ危機に克つ:オンリーワンの老舗温泉旅館へ

新型コロナウイルス感染拡大で全国の観光産業は厳しい経営を強いられている。国土交通省のキャリア官僚から大島造船所社長を経て、山形県南陽市の旅館、山形座瀧波の再建を果たした南浩史社長は「サービス産業の生産性向上に奇策はない」と話す。自然や食など地域の観光資源を活用する一方、マルチタスクの社員を育成し、サービス力を高めることで、ポスト・コロナの巻き返しを狙っている。

「ひたすら社員研修」 サービス力向上の好機


経営破綻した実家の旅館、山形座瀧波の再建に2014年から取り組む南社長は「山形の小さな旅館が生き残るためにすべきことは、オンリーワンの旅館をつくること」と話す。屋号には、「山形県人による、山形のための、山形のショールームになりたい」という思いを込めたという。

料理では「今、ここでしか味わえない」をテーマに、山形・置賜盆地の旬の食材を提供する。温泉も、十割源泉を掲げ、水を一滴も加えず、空気と触れて劣化しないように密閉したまま各室露天風呂まで運んだものを、経験豊富な湯守がバルブの開度だけで湯温を調整している。客単価を従来の1万5000円から2倍以上に引き上げることに成功し、2018年には黒字転換を果たした。

製造業である大島造船所からサービス業である旅館経営に転じた南社長は、新潟の温泉宿「里山十帖」などからビジネスマネジメントやブランディングを徹底的に学び、瀧波の現場に落とし込み、サービス力の向上へつなげることに力を注いだ。

また、大島造船所時代にトヨタ自動車へ出向した経験から学んだリアルタイム経営を実行している。刻々と変わる環境の中で随時問題を発見し、改善していくという考え方で、顧客情報からネットの口コミまで必要な情報を全社員にすぐに共有する仕組みを実践する。

南社長は「宿泊業では、リッツ・カールトンの顧客情報の蓄積が有名だが、瀧波はたった19室の旅館なので、立派なシステムは必要なく、エクセルによる管理で十分だ」と説明する。スタッフ全員が毎日20分集まり、顧客の様子を振り返る取り組みを徹底し、改善策につなげて、リピート率が急増した。

瀧波は、コロナ禍で一時休館を余儀なくされた20年8月期決算でも損益トントンを維持した。しかし、出口の見えないコロナ危機による観光需要の消失や低迷が、旅館経営の不確実性を高めている。 南社長は「今現在は赤字を覚悟で、ひたすら社員研修を続けている。このピンチを、サービス力のさらなる向上を図るチャンスに変える」と前を向く。

旅館業の生産性向上のためには、マルチタスクの人材育成が欠かせない。「昔のように、お膳運びサービス、部屋案内、掃除、お見送り、チェックイン、チェックアウトなどの業務が縦割りになっていては勝てない」(南社長)。サービスに関するマニュアル作りに取り組み、外部講師を招いたり、ロールプレイング方式での練習を重ねている。

コロナ禍で、20年の桜のシーズンとゴールデンウイークの書き入れ時を逸した。南社長は「今年は、桜の季節に旅行需要が回復し、赤湯温泉が復活へ向けた一歩を踏み出せることを願っている」と話している。

そこにしかない体験・感動を
山形座 瀧波 南浩史社長に聞く


新型コロナウイルスの感染拡大にどう立ち向かうべきなのか。山形座瀧波の南浩史社長に聞いた。

南 浩史 山形座瀧波社長

――2020年4月の緊急事態宣言の前後はどう対応したのか

「昨年春の時点では、全く正体がわからない未知のウイルスで、難しい判断を迫られ、瀧波は4月20日から5月20日までは休館にしました。このため、桜の季節とゴールデンウイークという赤湯温泉にとっての書き入れ時を逸してしまいました。当旅館の場合、ゴールデンウイーク期間中は毎日200万円以上の売上があったはずで、旅館経営にとってはとても大きな打撃でした」


――その後、Go Toトラベルが始まった

「感染が収まり始めたのを受け、感染防止対策を徹底したうえで営業を再開しました。Go Toトラベルの効果で、8月から2021年1月3日までは瀧波はほぼ満館の日が続きました。各室に露天風呂があったことが大きな要因だと思います」


――第三波の影響で、2021年年明けに再び緊急事態宣言が発出された

「瀧波は40人の定員ですが、お客様が10人未満の時は、できるだけ休館日にする方針を立てました。ただし、お客様に『キャンセルしてください』とお願いすることはせずに、日程を調整していただきながら、何とかやりくりしました。しかし、2021年1月の売上は1600万円程度に急落しました」

――コロナ禍で学んだ感染防止対策は

「クラスターのリスクを低減するために、『マスクを外さない、食べるときは2メートル以上離れる』など注意を喚起する張り紙を館内のいたるところに貼りました。社員は体調に異常があるときには出勤しないようにして、簡易のPCR検査キットを常備し、37.5度以上の熱が出た場合は、自宅にその簡易キットを送って、検査をしてもらいます。2週間に1回、全スタッフのPCR検査を行うことも検討しています」


――Go Toトラベルキャンペーンの再開に関してはどう考えるのか

「蒲生篤実観光庁長官に観光産業の現場の声を聞いてもらう機会がありました。そこで、『このままでは赤湯温泉の旅館はつぶれてしまいます。全国の観光地へも飛び火し、地方銀行の経営にも影響が出かねません』と申し上げました。感染警戒レベルの低い地域同士の交流再開や、平日への旅行客の分散など、きめ細かい形で、Go Toトラベルキャンペーンを再開していただけるようにお願いしました」


――ポスト・コロナの観光業に求められるものは

「観光地域としての魅力を高める日本版DMO(観光地域づくり法人)の重要性が増すと考えています。お客様の旅行の目的は1泊2食のサービスを受けるためではありません。旅館のサービスは、ただ布団を敷いて、どこでも食べられる料理を出すだけではダメです。お客様は今、そこでしかできない体験や感動、または、住み慣れた土地を離れて、仕事や人間関係で疲れた心や体を癒す『リトリート』を求めているのだと考えています。瀧波は、定期的に国内外の料理や旅行に関する一流の専門家を招き、厳しい指摘や指導をいただいています。今後も、そうした意見を取り入れて、サービス力を磨いていきたいと思います」


――人材育成で心がけていることは

「トヨタ生産方式では『標準のないところに改善はない』を徹底することが大事であると学びました。旅館業のマルチタスクの人材育成も、標準は変えてもいいのですが、一度決めた標準は何があってもやり通すことが大事です。例えば、お見送りのサービスでは、信号を通り過ぎるまで花笠を振り続けると決めたら、他の仕事があっても、忙しくても、社長自らが率先垂範してやり通したいと考えています」

*2021年2月4日取材。所属・役職は取材当時。

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