論争「生産性白書」:【語る】水町 勇一郎 東京大学社会科学研究所教授

生産性常任委員会委員の水町勇一郎・東京大学社会科学研究所教授は、生産性新聞のインタビューに応じ、日本生産性本部が初めて発刊した生産性白書について、「70年ぶりに働き方の大改革が進む中で、労使関係や企業経営など日本が抱える課題や強みをエビデンスに基づき分析し、解決のための処方箋を示した」と評価した。さらに、今後の生産性運動については、生産性運動三原則の精神を尊重しつつ、3本の柱を時代の変化に合わせて修正する作業が重要になるとの考えを示した。

白書 生産性向上の処方箋を示す 三原則を時代に合わせ修正を

水町 勇一郎 生産性常任委員会委員/
東京大学社会科学研究所教授
労使関係や労働政策が向かう方向性として、「雇用の維持・拡大」「労使の協力と協議」「成果の公正な分配」という三つの柱で支えられた生産性運動三原則について、水町氏は「大きなタイムスパンでいうと、戦後の経済成長から今日に至るまで、三原則の重要性については全く変わらない」と述べた。

そのうえで、社会の状況が変わってくる中で、「三つの柱のあり方をどう修正し、形を変えていくのかが大きな課題になる」と指摘。「日本が欧米と似ているところもあれば、違うところもあり、三つの柱を前に進めていくために、日本のシステムをどう認識し、どのように変えるのかが重要なポイントだ」と述べた。

例えば、日本経済が戦後経済成長の原動力としてきた正社員の雇用維持を中心とした日本的雇用システムについては、「日本の雇用の重要な安定を担保してきたが、一企業が正社員を定年まで抱え込むことが現実的ではなくなっているのも事実だ」と指摘した。

こうした現実を踏まえ、「雇用の維持・拡大」に関しては、一企業ではなく、企業の枠を超えた形で実現すべきとの考えを示した。また、「労使の協力と協議」に関しても、企業・企業グループの枠を超えて、ダイナミックな関係を築けるかが課題で、企業別組合が中心の日本の労働組合の連携やすそ野の拡大をどう実現するかが重要になると指摘した。

3本目の柱である「成果の公正な分配」についても、海外では、職業別・産業別の労働協約があり、賃金制度ができている国もあるが、日本は一企業の中で一つの就業規則に基づく賃金制度がベースになっている。水町氏は「企業を超えた全体としての社会的に公正な分配を実現するためのシステムの構築が必要だ」との考えを示した。

一方、「ジョブ型雇用」と「メンバーシップ型雇用」の議論についても触れ、日本で行われている二者択一の議論に警鐘を鳴らした。そのうえで、「世界ではジョブ型の良いところと、メンバーシップ型の良いところを組み合わせることが議論の焦点であり、変化に対応できて、人間を大切にするシステムをつくるための制度改変が進んでいる」と述べた。

政府は最低賃金を引き上げ、全体としての生産性向上を目指す延長線上で、働き方改革によって、正社員に過剰に働かせることや正規・非正規の従業員間の格差の是正に取り組んでいる。水町氏は「こうした流れのなかで、生産性運動三原則の三つの柱をどう修正していくかが極めて重要で、この問題意識を含んだ白書は、労使協議や政策の展開に対して、進むべき方向を示している」と指摘した。

(以下インタビュー詳細)

働き方改革は歴史的局面に 労使がルール作り先行を

日本生産性本部が初めて発刊した生産性白書は、結果的に非常にいいタイミングで日本の問題点や進むべき方向を指摘していると思う。労働政策や労働法のあり方については、その時々の時世やタイミングによって方向性が変わる。今は、まさしく働き方に関して、70年ぶりの大改革が進められているときであり、労働政策や労働法も、歴史的に非常に重要な役割を果たす局面にある。

目指すべき方向性は、生産性を高めて、それによって得られた成果を公正に分配することだ。そして、賃金を上げることによって経済成長につなげ、その経済成長が生み出す成果を再び働く人たちへと還元することが大切である。生産性向上をひとつの足掛かりにして、経済成長と公正な賃上げ、成果の分配を好循環で回していくことが重要だ。

労使関係をどう修正し、日本の企業の方向性をどう変えていくことで、生産性を高めることができるのかを考えなければならない。その成果を公正に分配するためには労使の協力が大切であることを白書は改めて確認している。労働政策と労働法の方向性もちょうど同じ方向に向いており、まさに働き方改革と足並みを揃えた絶好のタイミングで、白書を発表できたと思っている。

生産性白書は、日本の良いところ、または、足りなかったところについて、さまざまな観点からエビデンスに基づいて論証しているのが特徴だ。特に1990年代以降の20年、30年の経済の低迷期を分析し、外国と比較も行い、日本の強みと弱みを相対的に分析したうえで、それに対する処方箋を描いている。

変わらぬ三原則の重要性


戦後の経済成長から今日に至るまで、生産性運動三原則の重要性は全く変わらない。労使関係や労働政策が向かうべき方向は、生産性三原則が掲げている「雇用の維持・拡大」「労使の協力と協議」「成果の公正な分配」という三つの柱で支えるものであるということ自体も変わらない。

しかし、社会の状況が変わってくる中で、三つの柱のあり方をどう修正し、形を変えていくかは大きな課題だ。三つの柱を前進させていくためには、それぞれをどう認識し、どのように変えるのかが重要なポイントになる。

日本の大きな特徴は、正社員の雇用維持を中心とした日本的雇用システムである。これが戦後の日本経済の成長を支え、雇用の安定を担保してきたといわれているが、経団連は、日本型雇用のあり方の見直しを訴えるなど、良いところは維持しながらも、形を変えて修正していかなければならないとの見解だ。

雇用の維持・拡大というとき、一企業で正社員の雇用の維持を重視していくことが果たして今後も妥当しうるのか。学校を卒業し、60歳、70歳まで同じ企業で働き続けることが、現実的ではなくなり、転職も増えている。産業構造の転換が、企業の枠を超えて、雇用の維持や拡大をどう図っていくかという難しい課題を突き付けている。

労使関係も同じで、企業・企業グループを超えた労使の協力が課題であり、日本の企業別組合をそれに向けてどう広げていくかが重要になっている。

成果の公正な分配については、外国は職業別や産業別の労働協約があり、賃金制度ができている。横とつながった公正な分配をしているが、日本は一つの会社の中での一つの就業規則に基づく賃金制度なので、企業を超えた全体としての社会的に公正な分配が必ずしもシステムとして成り立っていない。

海外事例が示す方向性


海外でも三原則をめぐる議論が行われている。「雇用の維持・拡大」については、欧州では、会社という単位を超えた雇用保障のネットワークの必要性が指摘されていて、雇用を守るために従来型の会社単位のセーフティネットの幅を広げながら、変化への適応を進めている。

また、「労使の協力と協議」の観点については、趨勢的に労働組合の組織率が低下し、労使関係の亀裂もみられる。使用者団体に加盟していない企業・経営主体、労働組合に組織化されていない労働者が出てきていて、労働協約ではカバーできない新しい問題が生じている。こうした状況の中で、労使関係でカバーできないものは法律できちんとカバーしていこうという動きも見られる。

「成果の公正な分配」に関して重要なことは、デジタル化・プラットフォーム化によって雇用・就業形態が多様化した結果、分配の対象が多様になってきているということだ。経済の実態に即して「労働者」の概念を見直すとともに、テレワーク、フリーランスなども法的保護の対象とする動きが出ている。

デジタル化などの変化の中で、雇用・就業形態が想像以上に速く多様化している実態に対して、社会的な基盤を広げていき、全体として公正で、どういった働き方でも安心して働ける環境を整備していこうという方向に進んでいる。

これらの動きの背景には、「ダイバーシティ」と「ケイパビリティ」を労働政策・労働法の非常に重要な柱にしていこうという共通した目的がある。この変化を雇用システムとして見た場合、職務や雇用・就業形態の柔軟化・動態化としてとらえることができ、その中で、長期的に人材を育成し関係を構築していく社会的ネットワークの重要性が認識されるようになってきている。

ダイバーシティについて働き方改革の観点から日本の労働法の現状を見ると、非正規労働者の待遇改善が進められているが、他の先進諸国に比べてかなり動きが遅いと言える。フリーランスについては、労働法や社会保険上の基盤整備の議論が進んでいない。

ケイパビリティの観点からは、日本では教育訓練投資が趨勢的に減少しており、現在と将来の生産性の大きな危機になっている。正規・非正規・フリーランスをすべて含んだ教育訓練の基盤をつくっていくことが重要だ。

このように外国ではできているのに、日本ではできていないこともある。ただ、逆に、日本のシステムにもメリットはあり、企業内の内部労働市場を重視してきたことで柔軟性を確保してきたことはその一例だ。メリットを残し、デメリットをどう修正するのかを考える必要がある。

今回のコロナ禍では、フランスで興味深い労使の取り組みが注目を集めた。外出がままならない中で、仕方なく進んだテレワークをニューノーマルにしていくために、政府が法律を改正するのではなく、労使間で話し合ってルールを決めようとした試みだ。

フランスの全国レベルの使用者団体「メデフ」と、全国レベルの五つの労働組合が団体交渉し、昨年秋に、テレワークについての全国レベルの労働協約に合意した。フランスには、働く現場のことを知っているのは労使であり、自分たちのルールは自分たちで決めようという基盤がある。

日本でこうしたやり方が機能しないのは、労働組合は産業別や全国レベルの組織があるが、使用者側には話し合いの相手をできる組織がなく、団体交渉が成り立たないからだ。社会の変化が激しく、早くルールを決めないと前に進まない。国会や役所で決める前に、労使の話し合いでルールを決める母体が必要だ。

*2021年3月3日取材。所属・役職は取材当時。

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