論争「生産性白書」:【焦点】デジタル経済の進展と生産性

生産性白書小委員会のメンバーの一人で、一橋大学大学院准教授の宮川大介氏は、生産性新聞のインタビューに応じ、生産性白書第2部第1章「デジタル経済の進展と生産性」について解説した。新型コロナウイルスの感染拡大後、日本企業の最大の課題と指摘されているデジタルトランスフォーメーション(DX)への道筋を示すとともに、デジタル経済の進展と生産性の向上の実現へ向けて、情報通信(ICT)投資と、それを生かす内部体制の整備などの補完的な取り組みが重要になるとの考えを示した。

ICT投資、重層的に 組織的な体制整備も必要

《パソコンの開発やアーパネット、ワールドワイドウェブなどのイノベーションと、ムーアの法則に従った半導体技術の進展などの長い助走期間を経て、1990年にIT革命が花開いた》

宮川 大介 生産性白書小委員会メンバー/
一橋大学大学院准教授
1994年創業のアマゾンは書籍ネット販売から出発し、あらゆる品物をECで扱い、クラウド事業でも世界最大となりました。1997年創業のグーグルは検索エンジンから出発し、人工知能や自動運転の分野にも進出しています。20004年創業のフェイスブックはSNSの提供から出発し、ネットワークを利用した新通貨の実用化を主導しています。1970年代創立のアップルは革新的なパソコンの開発から出発し、音楽配信やスマートフォンの開発で飛躍的な成長を遂げました。この4社はGAFAと呼ばれています。

MITのロバート・ソロー教授が1987年、ニューヨーク・タイムズ紙で「パーソナル・コンピューターはあらゆるところで見られるようになったが、生産性統計にはその成果が反映されていない」と書きました。いわゆるソロー・パラドックスです。

しかし、1990年代には、ICT革命が米国経済全体の生産性を向上させたことが統計上確認され、1990年代後半から2000年代前半にかけて、米国における労働生産性の伸び率は、1.40%から2.43%へと年率1%以上上昇しています。この背景として、ICT投資とICT産業の生産性向上が存在しており、生産性改善の過半を占めています。

《一方、デジタル経済の進展がもたらす果実を日本経済が十分に享受していない背景には、ICT革命の時期が不動産バブル崩壊後の金融危機の時期と重なっていたことや、ICT投資は行われていたが新たな事業展開への利活用が進まなかったことがある》


日本におけるデジタル経済の進展を把握するためには、ICT投資率とICT利用率の二つの指標が有効です。

ICT投資率を国民経済計算でみると、ICT革命が起こり始めた1995年は5.5%でしたが、2017年にはそのシェアが13%まで増加しています。

投資面でICT化が着実に進んでいるように見えますが、増加の多くの部分は1990年代後半から2000年代初期のICTブームの時期に行われた投資に対応しており、その後はそれほど伸びていません。

産業別では、金融・保険業、情報通信業の順で高く、製造業全体のICT投資比率が全体平均を下回っていることを踏まえると、ICT投資がサービス産業において相対的に多く行われてきたことがわかります。

ICT利用率をみると、1990年代から2000年代にかけては、電子計算機・同付属装置のICT利用率が圧倒的に高い比率を占めている一方で、2000年代からは金融・保険業の比率が高まり、システム関連投資に伴う費用が高い比重を示していることを反映したと考えられます。

ICT利用率の変化と労働生産性もしくは全要素生産性の変化によって、ICT化の進展と生産性の関係を観察すると、これらの期間における明確な対応関係は認められません。ソロー・パラドックスの議論で指摘されたタイムラグを考慮しても相関関係が確認できないという状況です。

ICT化率の上昇が相対的に高い産業で、全要素生産性も労働生産性も上昇していないという事実は、ICT化による単純な雇用の代替も生じていないことを示唆する驚くべき結果です。

この原因としては、日本企業の組織運営がICT革命を通して生産性を向上する仕組みになっていないことや、ICT設備を有効に活用する人材が不足しているという側面が考えられます。


《日本においてICT化率の上昇が必ずしも生産性の上昇につながっていないという、一種の「パズル」ともいえる現象を理解するために、日本生産性本部との協力の下で、企業を対象として実施した「生産性向上につながるITと人材に関する調査(ICTと人材に関するアンケート)」の個票データを用いた分析を行った》


「パズル」を解くためのひとつの仮説として、「導入したICTの利活用が十分に進んでいない」という可能性が挙げられます。例えば、大学の研究室に高性能なワークステーションを設置しても、それを使って何を分析するのかが明確になっていなかったり、計算のためのデータが確保されていなければ、普通のパソコンと変わりません。

こうした問題意識を踏まえて、企業が実施したICT投資と補完的な社内の取り組みとして、投資関連の意思決定を統括するCIO(最高情報責任者)の有無に注目したところ、CIOを設置している企業の一部については、特に高い水準のICT投資を計画していましたが、大半の企業ではCIO設置の有無とICT投資の水準自体との間に有意な関係性は見いだせませんでした。

この結果と符合する形で、アンケート結果では、ICT活用の具体的な中身が社内業務のペーパーレス化などの単純な合理化に偏っていることも確認されています。ICTの活用に当たって期待される役割をCIOが果たせていない状況が、ICT化による生産性の改善が日本においては生じていない一因ではないかと考えています。

また、ICT投資の成果を上げるための現場での人的・組織的な手当てが不十分であることや、手当てされていてもその役割を果たせていないケースもあります。人的・組織的な手当てがなされないまま実施されたICT投資が十分な成果を上げられず、将来のICT投資をためらう理由になるという悪循環が生じていることも考えられます。

ICT導入に関する「補完的取り組み」および「CIO設置の有無」ごとに労働生産性を計測しようとした場合、サンプル数の限界から確定的な結論を導き出すのは難しいですが、補完的な取り組みがあり、組織的な対応(CIO)もなされている場合において高い労働生産性が実現しているケースも認められました。

コロナ禍で日本のDXの遅れがクローズアップされています。ICT投資を進めることと、それを生かすための組織的な体制整備やICTを使う人への教育といった補完的な取り組みが欠かせません。

大企業は、マネジメント層がICT活用の経験や意識がある場合や、マネジメント層になくても管理セクションにその体制があることも多いですが、概して、規模が小さい企業のDXはハードルが高いと言えます。

社長から「何かやれ」と言われて取り組んでも、「何をしたいか」の定義づけがなければ、ICT投資もAI導入も効果は限定的で、生産性への効果も不十分になりがちです。コロナ禍による負のショックが顕在化していく中で、DXを正しく理解し、向き合う姿勢と体制整備が必要です。

*2021年2月22日取材。所属・役職は取材当時。

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