論争「生産性白書」:【語る】小野寺 正 KDDI元代表取締役社長
KDDI元代表取締役社長の小野寺正氏は、生産性新聞のインタビューに応じ、日本生産性本部が発刊した生産性白書に関連し、国民的な生産性運動の再起動にあたって、多様化する価値観をまとめ上げる旗印としての「生産性」について、本質的な議論を展開すべきとの考えを示した。また、デジタルトランスフォーメーション(DX)で日本が後れを取った原因についても検証し、学校教育現場から企業のソフトウエア人材の育成に至るまで、デジタル経済に対応した国づくりへ向けた本質的な議論を始める必要性を指摘した。
生産性改革へ本質的な議論を 多様性を結集する旗印示せ
しかし、グローバル化、デジタル化が進んだ今、数十年続く国際的な競争力の低下という危機感の中で再起動した生産性運動については、戦後から高度成長期に取り組んだときと同じ方法では国民運動に火をつけるのは難しいとの見方を示す。
小野寺氏は「一定の豊かさを得た国民の価値観は多様化している。一方で、売上・利益の拡大よりも、社会的貢献を目指しているベンチャー企業やNPO法人なども続々登場しており、こうしたダイバーシティ豊かな国民や企業・組織を、生産性向上という言葉の下にどう結集させるかが大きな課題だ」との考えを示した。
また、日本経済がデジタル化の進展に乗り遅れている背景として、日本企業や地方自治体などのコンピュータシステムの導入を巡り、カスタマイズが当たり前だった商習慣による弊害を指摘した。
小野寺氏は、「標準的なコンピュータシステムを導入し、経営効率化とコスト削減を目指すべきなのに、これまでの自分たちの仕事のやり方に合わせて、それぞれがカスタマイズを要求したためにコストが膨らみ、納期も遅れた」と述べた。
また、10年以上前に、組み込みソフトウエア産業が製造業の過半数を上回るなど、ソフトウエア技術が重要になることがわかっていたにもかかわらず、ソフトウエア開発分野の人材が十分に育っていない点にも原因があるとの考えを示した。
政府も、GIGAスクール構想を掲げ、小中学校のコンピュータ教育に力を入れ始めているが、小野寺氏は「それぞれの学校現場のトップの理解がなければ、端末を配ったとしても十分に活用できない」と述べ、教える側の意識改革を進める必要性を訴えた。
再起動した生産性運動は、デジタル社会にふさわしい生産性向上へ向けて、政府、経営、労働の合意形成を推進する体制づくりを目指す。小野寺氏は「失敗した時にそれを認めずに、偽りの上に偽りを重ねた結果、今の日本経済のデジタル化の遅れと国際競争力の低迷がある。生産性という旗印でいいのかを含め、本質的な議論から決して目を背けてはいけない」と話している。
(以下インタビュー詳細)
足かせになったカスタマイズ“信仰” デジタル化の果実受けとれず
日本の経済社会は今、「Society5.0」を掲げ、リアルとバーチャルが融合したデジタル社会をつくろうとしており、そういう方向へ進んでいるのは間違いない。しかし、目指すべき「デジタル経済」について、この国で行われている議論が本質をとらえていないのではないかと思えてならない。
今、必要になるのは、情報化社会が到来してからの20~30年間、日本が抱えた課題は何だったのかの検証だ。検証を通じて、何が間違ったのかを特定し、改善することが大事で、それは日本生産性本部が再起動を宣言した生産性運動にも通じることだと考えている。
白書では「個人の生きがいの追求」を提言のひとつに挙げている。まさしく、ここが重要なポイントで、なぜなら、第二次大戦後から高度成長期にかけて、生産性運動を成功へと導いたのは、個人と企業が目指す方向が一致していたからだ。
個人にとっては、経済的な発展を成し遂げなければ、戦後の貧しさから抜け出せないとわかっていた。一方、企業側も、生産性を向上させて、売上高を増加させ、利益を増やしていかなければ、企業活動は成り立たない。つまり、企業側も労働者(国民)側も、経済成長を望んでいたわけで、生産性運動が両者とうまく調和し、結果的に日本経済は奇跡的な高度成長を迎えることができた。
GDPで世界第2位の経済大国になったが、デジタル時代に入り、一定の水準の豊かさを手にした国民は、経済的な豊かさだけを望んでいる人ばかりではなくなった。「中産階級」がなくなったと言われるが、その状態は、情報革命が始まったとされる30年以上前から、すでに進行していた。その結果として、日本の経済社会は、経済性の追求だけでは経済成長を実現することも難しくなってきたと言える。
では、なぜ、日本が情報化社会に乗り遅れたのか。実は、商品・製品にデジタル技術が導入される前に、経営効率を上げるためにコンピュータが導入されたデジタル社会初期の段階における、日本企業や地方自治体などの対応の間違いに起因すると考えている。
例えば、経営効率を目指し、新しい会計システムを導入する際に、標準的なシステムを入れればよいものを、残念なことに各社が自社の仕事のやり方に合わせようとして、それぞれがカスタマイズし、そうしたやり方が一般化してしまった。
欧米では、SAPの標準システムをそのまま導入し、会社の仕組みや自分たちの仕事のやり方をそれに合わせて変えていった。つまり、デジタルトランスフォーメーション(DX)である。その結果、経営効率が上がり、コストダウンの果実を享受できた。
日本では、同じSAPのシステムを導入したとしても、それぞれがカスタマイズするために結果的にコストは上がり、納期も遅れる。さらにSAPがOSのバージョンアップを実施しても、カスタマイズした部分がバージョンアップに追い付けない事態が一定期間できてしまう。
日本が、アナログ時代のモノづくりに強かったのは、皮肉にもこのカスタマイズが背景にある。アナログの製造設備はカスタマイズだらけだが、幸いなことに、機械を使うメーカーも、機械を作るメーカーも、互いに技術者同士が理解し合い、すり合わせながらカスタマイズした結果、いい設備ができて、生産コストが下がるという好循環をもたらした。
しかし、デジタル時代は、カスタマイズが足かせになる。ソフトウエアの技術者がそもそも少なく、ほとんどがベンダー側に偏っていることも要因だ。一方のユーザー側は、経理は専門でも、コンピュータのことを知らない。だから「今のやり方に合うように、コンピュータに落としてくれ」と要求してしまう。ベンダー側は、問題点を承知しているが、顧客からの要求は断れずにどんどん要求をのみ、その結果、非効率なものができて、国際競争力が失われたと思っている。
当時から、こうした問題の本質に気付いていた経営者もいるが、10年、20年前には、私も含め、それを口にすることができない雰囲気があった。いまでは、ベンダー自身が「カスタマイズは認めない」方針を打ち出した。しかし、今の時点に至っても、デジタル化を遅らせた真の原因についての議論が行われていない。
ソフトウエアは、標準化してみんなでシェアするからコストが下がり、効率が上がっていくのだ。日本では、それぞれの会社や各拠点が勝手にカスタマイズしてしまうから、デジタル化の果実を享受できない。
官公庁や地方自治体もひどいもので、システム受注しようとすると、それぞれの要求条件に合わせないといけないので、ベンダーはガチガチのシステムをつくる。ところが、地方自治体のネットワークを国のシステムにつなごうとすると、インターフェイスすら合わない。その結果、マイナンバーのような事態が生じてしまうのだ。
政府もデジタル庁を創設し、意識改革が進んでいると期待しているが、こうしたデジタル技術が持つ本質的な事柄をしっかり理解し、議論し、政策を進めているのか、心配になってくる。
日本の社会が本質の議論を避けるのは、政治家や官僚が中心となって進めた政策について「失敗を認めない」体質にあるのではないか。失敗を認めずに、その失敗を覆い隠すようなことを繰り返していれば、偽りの上に偽りを重ねるだけで、いいものができるはずがない。
こうした本質的な議論の大切さや誤りを認め、やり直す態度の大事さは、生産性運動にも共通していると思う。高度成長期まで成功していたのはなぜか、何が原因でうまくいかなくなったのかを検証し、問題が把握できたら、それを改善していく姿勢がなければうまくいくはずがない。
さらに、今後、生産性運動を展開していくためには、生産性白書に書かれている「サービス産業」の本質は何なのか、また、「DX」の本質は何なのかを、しっかり定義できると、運動を進めやすくなる。
「サービス産業」はすそ野が広いが、全てをひとくくりにして議論したほうがいいのか、それとも、ある特徴ごとにカテゴリー分けした方がいいのか。また、「DX」については「デジタル化すれば、トランスフォーメーションできる」と誤解している人がまだ多い。繰り返しになるが、デジタル化の本質をわからずにデジタル化を進めると、かえって効率が悪くなり、コストは上がる。
「生産性」についても、言葉からは製造業をイメージしてしまう。サービス産業の生産性とはどういうものなのかといった議論も必要だ。
若い起業家や社会活動家の中には、売上や利益を出すために事業を行うのではなく、社会貢献をするという目標のためにお金を集めている人もいる。ダイバーシティが進む今の世の中で、「生産性」という言葉で何を表し、どう訴えかけるのか。多様な価値観を取り込んで、国民運動を前に進めていくためには、「生産性」の旗印のままでいいのか。本質的な議論が今こそ求められている。
*2021年3月5日取材。所属・役職は取材当時。