論争「生産性白書」:【語る】黒田 祥子 早稲田大学教育・総合科学学術院教授

早稲田大学教育・総合科学学術院の黒田祥子教授は生産性新聞のインタビューに応じ、新型コロナウイルスの感染拡大の危機をバネに、働き方を大きく変えていく必要性を訴えた。日本の労働市場は元の働き方に戻ろうとする動きが強く作用する傾向が強いことを指摘したうえで、企業や組織のトップが新しい働き方への転換を推進する明確なメッセージを発信することが重要であるとの考えを示した。

トップが明確なメッセージを コロナ禍機に働き方改革を前へ

黒田祥子 早稲田大学教育・総合科学学術院教授
黒田氏は「コロナ禍は誰もが予測していなかった事態だが、起こってしまったことを嘆くより、ポジティブに捉えて、働き方を大きく変えるきっかけにするべきだ」と指摘した。

そのうえで、日本生産性本部の生産性白書に関連し、「多くの人が働き方を元に戻すのではなく、前に進めることが重要だと考える必要があり、生産性向上と働き方改革の重要性を訴える生産性白書が発するメッセージは貴重である」と述べた。

今回のコロナ禍をきっかけに、世界中でオンラインを活用した在宅勤務の普及が進んでいる。欧州でも初めてテレワークを経験した人が多くいたが、概ね利便性を高く評価しており、ポスト・コロナでも在宅勤務を続けたいという希望が多く、企業側もそのニーズに対応しようという動きがある。

さまざまなアンケート調査によると、日本でもコロナ後も在宅勤務を続けたいという従業員側の要望が多いが、日本企業の多くで出社を基本とした元の働き方に戻そうという動きも観察された。一部のITベンダーなどが、在宅勤務に切り替える先進的な取り組みも見られるが、多くの企業がコロナ後を見据えた在宅勤務に関しては様子見の姿勢を続けている。



働き方の揺り戻しの動きは、2011年の東日本大震災の時にもみられた。原発が使えないために電力不足に見舞われる中で、省エネやサマータイム導入の案が浮上したが、翌年にはこうした議論は大きく後退してしまった経緯がある。

黒田氏は、「すごく大きな負のショックが起こっても、元の均衡に戻ってしまいやすいのが日本の労働市場の特徴だ。元に戻ろうという力にあらがって新しい働き方に変えていかなければならないという発想を、多くの人が持つ必要がある」と話す。

今回のコロナ禍が働き方の変化に与えている影響を分析するには、「データが揃っていないので何とも言えないが、業務が増えている人もいれば、減っている人もいる」(黒田氏)。業種や職種でバラつきが見られるほか、同じ企業内で業務が増加した部署もあれば減った部署もある。

テレワークが可能なオフィスワーカーが在宅勤務を活用したいと働く側が望んだ場合も、自分が所属する部署の上司が出勤をベースにした働き方を指示したり、顧客がリアルで訪問してもらいたいと望んだ場合は応じないわけにはいかない。現場レベルから働き方を変えようというのは難しいのが現実だ。

黒田氏は「企業のトップが『働き方を今後さらに変えて生産性を上げていくには、在宅勤務を効果的に行い、成果を出した人は評価する』といった経営者としての明確なメッセージを出すことが、コロナ禍をきっかけに働き方改革を前に進めるためには重要だ」と話している。


(以下インタビュー詳細)

職場の「いきいき度」をチェック 従業員を継続調査し見える化

長時間労働と生産性に関する研究を始めたきっかけは、周囲にメンタルダウンを経験する人が多くいて、そのほとんどが「働きすぎ」を原因に挙げていることだった。

ホワイトカラーの労働者を対象に、週当たりの労働時間と現在のメンタルヘルスの状況を聞いた、経済産業省経済産業研究所のプロジェクトで実施した調査を活用し、分析を行った。

経済学では、因果性を特定化することを重視する。つまり、労働時間が長くなったからメンタルヘルスが悪化したのか、それともメンタルヘルスの悪化によって仕事の効率が低下し、結果として労働時間が長くなったのかを見極め、特定することが重要になる。

メンタルの状況を聞いて「悪い」と答えた人が仮に労働時間が「60時間」と回答しても、60時間の労働がメンタルを悪化させたのか、悪化したメンタルの状態で仕事に取り組んだために、60時間を使わないと業務が遂行できなかったのかがわからない。

この研究は、同じ人たちを4年間追跡調査しているのが特徴だ。毎年、同じ人に、同じ時期にメンタルヘルスの状態と労働時間を聞いている。

人間には個体差があり、メンタルがタフな人もいれば、そうでない人もいる。同一個人を追跡調査し、労働時間が4年間で増えた人はメンタルが悪化したとするなら、労働時間の長さがメンタルに影響を及ぼしているという因果性を特定できる。

調査の結果、週50時間を超えるとメンタルが悪化するということがわかってきた。所定労働時間を40時間とすると、週10時間の残業を超えるとメンタルが悪化し、生産性が低下する。

一方で、ポジティブなメンタルヘルスが生産性向上に寄与するという「従業員のエンゲージメント」に関する研究にも取り組んでいる。

エンゲージメントという言葉は「企業に対するロイヤルティ(忠誠心)」など、さまざまな意味で使われているが、今回の研究の場合は「いきいきと働いている状況」を指す。ユトレヒト大学のシャウフェリ教授や慶應義塾大学の山本勲教授、島津明人教授らと共同研究を行った。

企業が生産性を高めていくためには、従業員のエンゲージメント、つまり「いきいきと働いているかどうか」を測定することが重要になってくる。

大手小売業の約1万人の従業員を対象に、いきいき度を回答してもらい、「従業員のワークエンゲージメントがどれくらい職場の生産性に影響を与えるか」について分析した結果、「従業員のいきいき度の平均値が高い売り場ほど、売上高が高い」ということがわかった。エンゲージメントが高まれば、前向きでいきいきしたメンタルヘルスを保つことができ、生産性が高くなるということだ。

一方で、「いきいき度の平均値が同じでも、みんなが同じようないきいき度の職場の方が、いきいき度にバラつきのある職場よりも生産性が圧倒的に高い」ことも確認された。つまり、「同じ職場内でいきいき度に温度差がある場合、職場の一体感に欠け、生産性が低くなる可能性がある」というわけだ。

バラつきのある状態のマイナス面は、チームワークを考えると理解しやすい。グループのなかに「いきいきし過ぎている人」と「しらけている人」がいると、チームワークが機能せず、生産性が下がってしまう。

同じ職場でも、一部の人だけが熱くなっていても周囲が冷めてしまっているとうまくいかないのは当然だ。企業にとっては、チーム全体のメンタルヘルスを平均的に底上げできるマネジメントが重要であることが見えてきた。

平均的なスコアだけに注目するのでは不十分で、職場・職種などにわけて、全員が同じくらいの数値なのか、差が大きいのかを注視する必要がある。グループの中での「バラつき」の情報は、非常に貴重なデータとなる。

例えば、従業員のストレスがどのような状態にあるかを調べる「ストレスチェック」に関しても同じことが言える。集計したストレス度合いの平均値だけを見ていると、大事な問題を見逃してしまうことがある。

平均値が高い職場であっても、その中で落ち込みが大きい人を特定し、その人のストレスの原因を探ることで、その職場が抱える問題を改善するきっかけを見つけることができる。

また、従業員のエンゲージメントを追跡調査することができれば、何がエンゲージメントを上げる要因になるかを見出すことも可能になる。同じ部署、同じ従業員を追跡調査すれば、人事異動で上司が変わったことで職場のエンゲージメントが上昇するなど、観察を続けることで「いきいき職場」に必要なものが何かがわかる。

従業員のエンゲージメントを高める方法は、業種や職種によっても違うし、上司の人柄もさまざまなので、唯一無二の方法は存在しない。大事なことは、職場のエンゲージメントを調査し、継続して観察することで、いきいき度を「見える化」することだ。その結果から、それぞれの職場のエンゲージメントが高い理由、低い理由を分析することが重要になる。原因が特定できれば、それを改善することで「いきいき職場」をつくることができる。

オフィスワーカーのテレワークについては、今回初めて体験した人がほとんどで、その多くが好意的な感想を持っている。ただ、「労働時間が長くなってしまいがち」とか「仕事と生活の境界があいまいになってしまう」という声も聞かれる。

今後、テレワークが普及するのに伴って、在宅勤務している従業員の行動を企業がどこまで管理するのかに関しては、労使で協議を進めていくべき課題だろう。

現在の労働基準法では、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度には当てはまらない従業員に関しては、企業が労働時間を厳格に管理し、上限規制を守ることが求められている。コロナ禍で働き方が大きく変わっていく中で、近い将来、法体系の見直しを迫られる時期が来るだろう。

厚生労働省は「新しい生活様式」に対応し、いっそう良質なテレワークを推進するため、テレワークに関するガイドラインを全面的に刷新した。労働時間の柔軟な取り扱いや、テレワークにおける労働時間管理の工夫などに関する指針を示しているが、さらに先に進めば「働く時間は労働者自身が自分で決めて、健康管理も自分で行う」という時代になっていかざるを得ないだろう。

自宅で何をしているかを会社に逐一、管理されることに関しては、働く者にとっては抵抗もあり、できれば避けたい。そこは個人の裁量に任せてもらって、仕事の成果を適正に評価してもらう方がいい。

在宅勤務が普及していけば、企業が従業員の健康管理を全面的に担うことは困難になる。企業は、在宅勤務する従業員にメールを送る時間を管理して、休息時間を設けるような配慮をすることが求められる。

*2021年4月20日取材。所属・役職は取材当時。

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