論争「生産性白書」:【語る】泉谷 直木 アサヒグループホールディングス特別顧問

アサヒグループホールディングス特別顧問で日本生産性本部評議員、経営品質協議会代表を務める泉谷直木氏は、生産性新聞のインタビューに応じ、日本の生産性改革を実現するためには、国家的な課題としての認識を政労使で共有し、議論を加速する必要があるとの考えを示した。また、企業経営者は、業界内での競争に固執するのではなく、産業全体を見渡す広い視野を持った共創戦略を描く力が重要であると指摘した。

競争だけでなく共創の意識を 「生産性改革は国家的な問題」

泉谷直木 アサヒグループホールディングス特別顧問
泉谷氏は「欧米企業の生産性が向上し、相対的に日本企業の生産性が低迷している。労働力人口の減少やデジタル化の遅れなどが要因だが、生産性改革は国家的な問題であり、生産性白書でも指摘しているように、政労使が一体となり、それぞれがどういう役割を果たすかという議論の場が必要だ」と述べた。

企業経営者の立場として、具体的にどう取り組むべきかに関しては、「同じ業界内で他社との比較優位を追求する競争に終始しているとかえって非効率になり、地球環境問題への貢献でも後れを取りかねない。これからは産業の枠を超えて、競争と共創をともに行わなければならない」と述べ、財務価値と社会的価値の両方を高める経営を志向すべきとの考えを示した。

変革へ導くための具体策は企業によって異なるが、最も重要なことは「経営者、幹部層、現場の社員がそれぞれの立場でリーダーシップを発揮することだ」と指摘した。生産性向上を実現する組織に変えるには、現場の社員が夢を抱き、情熱を燃え上がらせる風土づくりが重要になるからだ。


そのためには、まず経営者がどこまで本気を示すかが大事であり、本気を出したらどう変わるかを「見える化」し、それを幹部層が自分で理解し「分かる化」して部下に語り、現場の社員が腹落ちして行動に移す「できる化」、という三段階の道筋で、組織に浸透させることが可能になるという。

組織運営を巡る議論では、「見える化」に関心が偏っているが、組織変革が起きにくい背景には、幹部層の「分かる化」が進まず、「ミドルの壁」ができあがっていることが原因と指摘。「トップダウンとボトムアップの二者択一ではなく、この三段階を通して現場が動くことで、生産性は上がる」と述べた。

また、一企業だけでなく、産業全体の変革を促すためには、政府や政治が、税制などを含めた制度上のフレームワークを構築し、生産性向上を意識した経営に対するインセンティブを高めることが重要になると指摘した。

一方、生産性白書に対する評価について、「生産性運動三原則の今日的意義(生産性白書第1部第5章)に着目し、突っ込んだ議論がなされたことは、日本生産性本部としての信念と気概、矜持を感じた。評議員の一人として、さらに頑張っていこうという気持ちになった」と述べた。

そして、白書の議論を前進させるには、「生産性に関する諸問題を横の相関関係で把握・分析すること」が必要であると提起した。デジタル投資の遅れや商品・サービスの価格水準の低迷、景気の不透明感など、白書で指摘した複数の問題点が相互に関連しながら悪循環に陥っている現状を理解した上で、負の連鎖を断ち切る解決策を探るべきとの考えを示した。

(以下インタビュー詳細)

因果関係を分析し、悪循環を断て 政労使で生産性改革の風土づくりを

経営戦略を考える際に最も重要なことは、因果関係である。経営戦略と結果に因果関係がなければ、プロセスは全く意味を持たなくなる。組織運営も同じであり、縦割りされた部門の最適解を探すだけでは不十分で、部門を横断する横方向の視点から因果関係を理解し、解決策を見出さなければ、生産性の向上は実現しない。

生産性白書は、時代や環境が大きく変化する中で、日本生産性本部が自らの存在意義である「生産性」の改革に向けて「リーダーシップを取る」という気概を感じさせる。生産性を巡る様々な問題点を幅広く網羅し、それぞれについて詳細に検討している。ただ、列挙したそれぞれの問題が相互に因果関係を持っているという横方向の考察や議論にはやや物足りなさを感じる。

生産性改革が国家的な問題であるという認識を政労使が共有したうえで、これらの問題が相互に関連性を持って、日本に負のサイクルをもたらしているという現実に、正面から向き合わなければならない。

生産性向上を阻んでいるデジタル投資の遅れや高度人材の不足、低賃金、商品・サービス価格水準の低迷、国際競争力の低下、景気の低迷などの諸課題には全て因果関係がある。

例えば、デジタル化のインフラとなる通信関連への投資の程度を表す「通信関連資本装備率」を見ると、日本は海外の主要国の7割程度しかない。リーマン・ショック後、2019年までのイノベーション関連投資の年平均増加率(2019年)も、米国が2.8%、ドイツが3%であるのに対し、日本はわずか0.4%だ。投資総額が不足しているうえに、投資のポイントもずれている。

政府は、働き方改革による生産性の向上を掲げているが、生産性の向上に結び付かなければ、国や企業の競争力の低下を招く。働き方改革だけができても、国や企業は発展しない。

また、日本の生産性が先進国に劣後しているのは、日本の生産性が低下しているというよりも、商品・サービスの値上げができないために、国際比較で低単価の状態が続いていることが要因の一つだ。

生産性を算出する計算式の分母については、生産性向上に寄与するための努力を続けているのに、分子である付加価値はなかなか高まらない。付加価値を高めるには投資を加速する必要がある。

政府の役割も重要だ。税制改正などによって、中小企業の生産性向上投資をバックアップする姿勢を本気で見せることで、産業界のデジタル化やイノベーションへの投資を促すことができる。

生産性改革の実現には、人材が主役であることは言うまでもない。即戦力として期待できる高度な外国人材の招聘と、国内における若手人材の抜擢は、その両輪となることが期待されるが、ともに進んでいるとは言い難い。

高度外国人材の招聘を阻んでいるのは、入国管理法と日本の給与水準の低さだ。入国管理法は高度人材ポイント制が導入されているが、門戸の開放は十分ではない。

さらに、欧米などの先進国と比べた給与水準の差は広がる一方だ。その分、日本の物価は安い。ミクロで見ると、「給料は上がらないけど、物価も上がらないから生活はまあこんなもんだな」と納得してしまっているが、マクロで見ると、日本は極めて低価格な国になってしまっているのだ。

新型コロナウイルスの感染拡大前に、大勢のインバウンド(訪日外国人観光客)が日本に遊びに来たのは、物価が安いからだ。しかし、低価格国では給与も安いので、高度なスキルを持つ外国人材が、日本企業で働きたいというインセンティブにはつながらない。

一方で、国内の若手人材の登用が進まないのは、日本企業の多くが、まだ年功序列的な色彩が残った人事制度を採用しているためだ。人事制度を変えずに「特別枠」を設けて若者を抜擢する企業もあるが、優秀な若手が存分に活躍できる環境には程遠い。

これは中高年の社員に遠慮している表れだろうが、時代の変化に合わせて求められる技能が大きく変わっていく中で、リスキリング(職業能力の再開発)しない中高年の仕事が、これからもっと減っていくのは間違いない。

人事制度を抜本的に変え、若手の抜擢・活用と中高年のリスキリングの両方を活性化させることによって、雇用を安定させる政策が必要になる。ドラスティックに変えるのはなかなか難しいだろうが、日本の情緒的な人事を一部残しながら、着実に切り替えを進めていくべきだ。

給料が上昇している先進国が多い中、日本では一貫して給与が減少している。労働分配率を見ても、2010年代から低下し、実質賃金は20年前からマイナス傾向が続いている。政府は同一労働同一賃金の実現や、最低賃金の引き上げを促すが、改革のスピードは遅く、先進国の水準には到底追い付けない。

政治は合成の誤謬(ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では、意図しない結果が生じること)に陥っているのではないか。ミクロでは国民の生活は安定しているが、マクロでは完全にズレてしまっていて、社会保障制度など将来不安から、消費が動かない状態が続いている。

日本経済の景気回復力が弱い背景には、財政や金融政策の失敗というよりも、消費者心理の冷え込みの影響が大きいのではないか。所得上昇に対する意欲が減退し、現金が入ったら貯蓄に回すという心理が消費を冷やしている。悪循環が続く状況下で、シェアリングエコノミーやデジタル化を進めていくと、雇用の抑制や経済の縮小につながりかねない。

国民が政府を信頼し、希望を託せるなら将来は良い方向に向かうが、政府に信頼感や期待感が持てない世の中では、個人はエゴイスティックな生き残りを図るしかない。社会は多様化しているというが、新しい格差が発生しているとみるべきだ。こうした動きは、さらに景気に悪影響を及ぼす。

ここまで来ると、もはや生産性を示す指標を幾分向上させるだけでは意味がない。生産性向上を阻む様々な問題の因果関係を解きほぐし、負の連鎖を断ち切ることが、真の生産性改革につながる。それには、政労使がそれぞれの立場で、当事者意識を持って改革に取り組む「風土」をつくる必要がある。

風土や企業文化を語ると抽象論になり、因果関係の解きほぐしがさらに難しくなる。簡単に解を導き出す方程式はないだろう。しかし、企業風土は上からつくるものではなく、現場からつくるものだと理解すれば、やるべきことは自ずと見えてくるはずだ。

企業価値向上を目指す経営者が、動画で檄を飛ばしても、社内にポスターを貼っても現場には響かない。しかし、経営者が「業務成績の向上を続けてくれたら、数年で株価を倍にする」と約束し、資本政策やバランスシート改革などの経営者の責任を果たし、投資家を巻き込むことで、ある時株価が倍になったとする。社員の持ち株の価値も倍になり、現場には驚きと歓喜が沸き起こる。現場で成功体験や働く喜びを共有し、一体感が生まれることによって、組織風土や企業文化が育つのではないだろうか。



*2021年8月30日取材。所属・役職は取材当時。

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