コロナ危機に克つ:碩学舎 デジタル教科書の可能性

「反転教育」効果的に オンライン授業、深化も

関西生産性本部評議員会副議長を務める石井淳蔵・神戸大学名誉教授らが経営する教育関係の出版社「碩学舎」(東京)が、新型コロナウイルスの感染拡大に対応するため、『1からのマーケティング』シリーズなど教科書のデジタル化を進めている。デジタルを活用した反転教育を効果的に行うことが可能になるなど、教育のデジタル化に関して、教える側と学ぶ側の双方向で効果を高め合う新たな可能性が明らかになった。

2020年4月、最初の緊急事態宣言が発令される前後、紙のテキストの配送が困難になり、学生たちが入手できなくなった。これを機に、碩学舎は教科書のデジタル化に大きく舵を切ったという。

「紙のテキストが届かずに困っているという悩みを聞き、4月に無料で20タイトル以上のデジタルテキストを開放した。コロナ禍でも授業が続けることができ、好評だった」と石井氏は振り返る。

デジタル教科書の特徴は、デジタルで「予習」をして、授業の中で「復習」できるという「反転教育」が効果的に行えることだ。例えば、教える側が次の授業で行う部分を伝え、あらかじめテキストの該当部分の中で、興味を感じたところや、分からなかったところにデータ上でアンダーラインを引くように指示する。このデータは、教える側に伝わるので、しっかり予習しているかどうか一目瞭然となる。

さらに、どの学生が何に興味を持ち、疑問を感じているかが分かるのも効果的だ。授業中にアンダーラインを引いた理由を具体的に尋ねることができる。同じところに興味を感じていた学生がいれば、その学生にも質問を投げかけることで、議論が深まっていく。

石井氏は「パワーポイントを使って授業をしても、学生がどこまで理解したのかは、試験の回答を見るまで分からない。これに対し、デジタル教科書を使った反転教育は、授業が学生の心にどれだけ浸透したのかを確認することができる。理解度が深くなるうえに、教える側も気付かなかった論点が飛び出す可能性もある」と確かな手ごたえを感じている。

また、デジタル化の副産物として、受講者の学習記録が残るというメリットもある。教える側は、学生たちがコメントを入れたら、自動で点数化することも可能になる。ただ、まだ仕組みが完成しておらず、改善すべき点はある。

学生から「先生、デジタル教科書にコメントを入れましたけど届いていますか」とメールで問い合わせがくる。コメントが届いたことを確認するシステムがないからだ。学生と先生の間で、確実に届いたということが確認できて、納得して点数になる。これができるようになればさらに効果的な授業が展開できる。

ポスト・コロナでも、教育のデジタル化はさらに加速することが予想されている。大学の設置場所や授業時間、教室の収容人数などの制限がデジタル教育によって解放されると、学びたい人の市場は大きく拡大する。

石井氏は「コロナ禍で展開されたオンライン授業は、一方通行になりやすく、知識の伝達にはいいが、議論を展開するような双方向コミュニケーションには役に立たないという指摘がある。しかし、デジタル教科書をうまく活用すれば、対面よりも深い議論を展開することは可能だ。学生の学習意欲が高まり、大きく市場が拡大する可能性を秘めている」と話す。

企業はマーケティングの強化を
神戸大学 石井淳蔵名誉教授に聞く


石井淳蔵・神戸大学名誉教授に、日本企業の生産性向上のために必要なマーケティングについて聞いた。

石井淳蔵 関西生産性本部評議員会副議長/神戸大学名誉教授

――マーケティングに対する関心が薄れているのか

「学生の人気は高いと思う。Sカレ(Student Innovation College)という大学生たちが商品企画の腕を競う組織がある。法政大学の西川英彦さんや流通科学大学の清水信年さんが始めた試みだ。もう15年ほどになる。毎年、マーケティングを学ぶ数百人の学生が集まる。

当初は、学生たちは考えた新商品企画案を出すだけだった。しかし、1~2年すると試作品をつくるようになり、さらにそれをネットで商品評価を受けることが必須になった。学生同士、チームでの競争がそうした意欲を生み出すのだろう。今では、実際にメーカーと組んで商品をつくり、SNSを通じて宣伝し、販路開拓して収益を上げる流れに変わっている。若者たちのマーケティング理解はここまで来ている」

――日本ではマーケティングは根付いたのか

「まず、マーケティングは企業にとって大事な機能だ。米国のビジネススクールの原則はファイナンス(金融)とマーケティングだ。学生はマーケティングかファイナンスのプロになりたいと思い、企業もそれを期待している。経営学者のピーター・ドラッカー氏は、顧客の創造にはマーケティングが必要であるという趣旨のメッセージを1950年代から発信していた。一方、日本では、日本生産性本部が1956年に視察団を米国に派遣しマーケティングという言葉を持ち帰った。マーケティングという新しいビジネススタイル・システムを日本に紹介した。『つくったものを売るのではなく、売れるものをつくる』『品質ではなく、お客さんとの関係性を重視する』といったマーケティングの精神が日本の若者には浸透していると思う。

ただ、企業となるとそうではないかもしれない。サントリーや花王やトヨタのようにマーケティングを重視する企業もあるが、自社の事業が不調になり、ライバル企業が自分の市場を攻めてきたら、簡単に場所を変える企業も少なくない。マーケティングが強い企業は、停滞している市場を活性化することができる。供給が需要を上回っているような場所でもきちんと利益を上げることができる方法がマーケティングであり、それができる企業がマーケティングカンパニーだ。企業が重視すべきは、『組織』と『技術』と『市場』だが、日本では『組織』と『技術』だけで片が付くと思っている節があり、極めて残念だ」


――日本企業が目指すべきブランディングとは

「例えば、阪急や無印良品は、『らしさ』を大事にし、新しいマーケットに進出して、成功を収めている。『ブランドを守れ』『伝統を守れ』と言い切ってしまうと凝り固まってしまいそうだが、そうはならずに、自分らしさを大切にしながら、大きなマーケットに出ていくことは可能だ。伝統を守りながら、革新を起こすのは日本企業が最も得意としているスタイルであり、グローバル企業のP&Gやネスレ流のブランディングが全てではない。もちろん、そこには失敗もある。何年も議論しながら、『らしさ』を追求し、少しずつ形を変えながら、市場と折り合いをつけることが大事だ。これは、日本企業が、特に意識せずに続けてきたことだ。分からなかったら、お客さんに尋ねたらいい。『これはウチらしい?』『それともウチらしくない?』。こういうマーケティングは実に日本らしいやり方だ」


――自社が持っているブランド資産を見直す必要があるということか

「自社の商品やサービスで、顧客の心に響く価値あるモノやコトに気付いていない場合は少なくない。資産というと、ついモノやカネや技術を考えてしまうが、目に見えないそうしたモノやコトも、資産になる。企業は、自身の何が顧客の心に響いているのかを、しっかりと考えることが大事だ」



*2021年10月5日取材。所属・役職は取材当時。

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