企業経営の新視点~生産性の日米独ベンチマーキングからの学び⑳

第20回 今こそ 生産性トランスフォーメーションの時

2020年5月に始まり、11回を予定していた本連載も読者の皆様、日本を代表する経営者及び米国シンクタンクの研究者のご協力を得て20回を重ね、この連載を元に『PX(Productviity Transformation): 生産性トランスフォーメーション~企業経営の新視点』(生産性出版)も発刊に至った。この場を借りて皆様のご支援とご指導に深謝したい。

生産性低迷の主要因はなにか


書籍『PX: 生産性トランスフォーメーション』(中央)及び米国連携先のブルキングス研究所やコンファレンスボードとの研究レポート

「これほど努力しているのに生産性上昇率が低いのは何故だろう?」という疑問は誰しも抱くことだろう。正解を求めるのはその要因が数多く、複雑でかつ個別性も高いため困難だが、あえて挙げてみるとマクロレベルでは経済成長が停滞し、GDPが増加していないこと、メゾレベルではグローバル化とデジタル化といった不連続でダイナミックな環境変化に対し、企業及び産業構造や事業モデルが適合できず結果として新陳代謝が進まなかったこと、ミクロレベルでは人材育成投資が停滞したことが主要因ではないだろうか。

社会学者のエズラ・ボーゲルは1979年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン: アメリカへの教訓』を著し、日本人の学習意欲の高さや官民の協力体制などを絶賛し、反響を呼んだ。実際のところ、1980年代に日本経済もハイテク産業を中心に安定成長を遂げ、GDPシェアも世界の10%を超え、20%に近付く等成長を続けた。その原動力である「日本的経営」による成功体験は「もはや欧米に学ぶことはない」といった過信を生み、その後もまるで慣性の法則のように日本企業の経営に影響を与え続けたのである。90年代初頭のバブル崩壊後次々に起きた自然災害、リーマンショック等は、日本企業が不況対応に終始せざるを得ない経営環境を生み出した。その結果、急激なグローバル化、デジタル化などの環境激変への対応が遅れることになったのではないだろうか。

そして、長きにわたり実質賃金が上がらず、格差というより賃金水準が全体として低下し、国際競争力の弱い日本となっている。この閉塞感から脱出するためには生産性向上とその成果を公正に分配する好循環の促進が重要である。この好循環が人々の豊かさにつながり、社会の健全性を保つことにつながるのである。生産性向上を起点とする好循環の主役は企業であり、中でも企業経営者のリーダーシップが重要成功要因であることは言うまでもない。

経営者の最大の仕事は「人づくり」


経営者の最大の仕事は「人づくり」にある。人間の想像力と創造力が生産性向上の推進力となるからだ。しかし、日本の人材育成投資(Off-JT)は90年代をピークに減り続け、欧米に劣後している。VUCAといわれる経営環境下では、日本企業が重視してきた職場でのOJTに頼った人材育成だけでは不十分であり、変化に対応できるような、あるいは変化を創り出せるようなOff-JTなどの手段を強化し、人材育成することが必要だ。中でも生産性の分子である付加価値創造に必要な「ビジネスモデルを経営視点で設計できる人材、デジタル技術を利活用できる人材、経営者、技術者と共にプロジェクト推進のための全体コーディネートができる人材」を育成するための投資が重要だ。また、ジョブ型雇用が議論されているが、大切なのは人事理念・ビジョンが成長の視点で語られているか、ジョブ型に適合できるような仕事構造になっているか、多様な背景の人材が強みを生かして働けるようになっているかである。これらが実践され、組織の方向性を従業員が理解し、エンゲージメントが高まるような形になっているかが課題である。

イノベーションの起点である研究開発についても「脱・自前主義への挑戦」が必要だ。我々の連携先であるコンファレンスボードによる「世界経営幹部意識調査」の結果でも示されたように、日本企業はグローバル連携や異質異能な外部の組織との連携構築を拡充し、弱点を克服すべきだ。幸い日本企業の個別技術やヒトの能力は高いと言われている。技術そのものの強化も重要だが、研究開発領域におけるビジネスモデルの設計や連携体制の構築ができる人づくりが鍵となる。すなわち「社会と顧客の求める価値」を把握し、連携先と一体化した高質なコミュニケーションが出来る人材が必要なのだ。

更に資本(設備)投資の低迷が日本の生産性に与えた事実も留意すべきだ。グローバル化の価値を再考し、サプライチェーン改革の視点からも設備のあり方は根本議論が必要だ。人工知能やIoT等のデジタル技術をどう組み合わせ、利活用するのか、知恵が出る人材育成を急がねばならない。最新の「世界経営幹部意識調査」では日本の経営者は人材育成を最重要課題として捉えており、人材投資が促進され育成に結び付くことを今後に期待したい。

社会課題と付加価値生産性の向上


このところ、ESG投資やSDGsをはじめ、ステークホルダー資本主義等が企業の役割と行動に変化を与えている。現政権でも「新しい資本主義実現会議」が発足した。これらは時代社会が企業に社会課題解決を求めていることを示している。言い換えれば生産性向上成果の社会への公正な分配だ。企業はもはや「利潤だけを唯一の目的とする装置」ではない。企業は「社会と顧客の求める価値を事業活動によってモノやサービスに変換する公器」だとすると、その存在意義として分配をどのように考えるかは極めて重要である。そしてその原資は生産性の分子=付加価値だ。今次春闘において主要企業の賃金改善がなされていることは喜ばしいが、ステークホルダーを一層重視する経営となれば、これまでのように主に労働に賃金として、資本に利益や配当として分配するだけではなく、他のステークホルダーにも分配が求められる。とすると、仕事のしかた・しくみの改善・改革が必要となり、結果として生産性向上、特に分子=付加価値の充実が必須となる。いつ、どのステークホルダーに、どのように、どれだけ分配することが公正なのかを問い続けなければならない。それには、これまで以上に社会課題解決の視点で事業を再定義し、社会貢献を果たしつつ生産性を向上させ、付加価値の拡充を図るための「ものがたり」や経営哲学が大切だ。

日立製作所の東原会長は、本連載第19回におけるインタビューで「一番大切なステークホルダーである従業員には自分の枠に留まらず、社会課題を自分事として考え、エバンジェリストになってほしい」(3月15日号)と述べた。「ものがたり」の実践とは、ヒト中心で生産性を軸とした経営にトランスフォームすることに他ならない。ヒト中心にデジタル技術の利活用で労働時間を削減し、分母改善・改革を行い、生まれた「余力」を分子改善・改革で付加価値を拡充するのだ。付加価値を高め、ステークホルダーに公正な分配を実行し、それが新たな付加価値を産むという「生産性トランスフォーメーション(PX)」がその中核概念となる。これによりヒトが尊厳ある仕事に就き、生産性高く働き、社会課題を解決する製品・サービスを提供することで対価を得、その対価が賃金上昇や設備・人材への次の投資につながり、また生産性向上と成果の公正分配という好循環が生み出されるだろう。

皆様のご愛読に感謝します。ありがとうございました。

(日本生産性本部 国際連携室)

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