コロナ危機に克つ:田中 里沙 事業構想大学院大学学長インタビュー

事業構想大学院大学学長で、宣伝会議取締役メディア・情報統括の田中里沙氏は生産性新聞のインタビューに応じ、新型コロナウイルスの感染拡大などの不確実性が強まり、「リスキリングを中心とした学び直しの重要性が高まっている」と指摘した。高等教育機関の役割として、モチベーション(動機づけ)とクリエイティビティ(創造性)をキーワードに、人の成長を促す「気づき」を体験させる仕掛けを教育に取り込む考えを明らかにした。

「学び直し」高まる重要性 次の一手へ経営層にも必須

田中里沙 事業構想大学院大学学長

事業構想大学院大学は、日本で初めての「事業構想」と「構想計画」を研究する実践教育機関である。企業・組織の新規事業担当者(希望者含む)や、事業承継者(予定者含む)、地域活性化を志す人、ベンチャーを起こす人、ソーシャルビジネスを志す人などを対象としている。

多様なバックグラウンドを持つ院生が刺激を与え合いながら、既存のMBAよりもクリエイティブを重視した事業構想修士(専門職)の修得を目指している。2012年の開学以来、修了生は466人にのぼり、さまざまな分野で事業構想の思考とスキルを持って活躍している。

田中氏は「多くの経営者から、企業の課題は顧客開発と教育であると聞く。リモートワークが普及する中、従業員のエンゲージメントが生まれにくい環境下でいかに教育に力を入れるかが大事になっており、高等教育機関としてはここで役割を果たさねば」と意欲を示す。

すべての階層の産業人が自信を持って仕事に取り組むための「リスキリング」の研究に注力しており、モチベーションを高める仕掛けに配慮している。「事業構想大学院大学に集まる意志の強い人たちでさえ、うまくいかないことが続くと心が折れそうになることもある」(田中氏)。そんな時、励まし合える仲間の存在は支えとなっている。

もう一つ重視していることが「クリエイティビティ」だ。本来の事業構想の目的は、事業を通して対象とする人たちを幸せにすることであり、対象者から応援してもらえる関係性の構築が大事だ。田中氏は「対象者の立場に立って、未来に向けて、新たな価値を提案するクリエイティビティを生み出す力を育成したい」と話す。

日本の生産性が国際比較で低迷している(労働生産性の国際比較はこちら)背景として、日本企業と海外企業の経営層の学びに対する姿勢の差があると田中氏は指摘する。例えば、海外企業の経営者は自ら学ぶ習慣を身に付けていて、グローバルで起こっている変化を先んじて捉え、経営層で情報を共有し、次の一手を考える。それに比べて日本では、縦割り組織の弊害があり、情報が閉鎖的になりがちで、新しい知識を入れて成長を志向する姿勢が弱いという。

田中氏は「『何歳になっても学ぶ』という文化の醸成は重要であり、勤勉な日本人が得意とする分野だ。新たな『知』に出会うことで、人は自らの可能性を高めようと頭が切り替わる。学び直しにかける時間とお金を増やすことに無駄はなく、一人ひとりの能力を生かすことで企業の生産性も向上すると思う。誰でも、必要な時に、公平に学び直し、新たな研究の機会が与えられるような社会をつくることが重要だ」と話した。


(以下インタビュー詳細)


院生・修了生がブリッジ役に 未来を創る人材のパワーに期待

事業構想大学院大学は開学10年になる。日本に新事業をつくり出すことで、新たなビジネスモデルや雇用を生み出すことが当校の使命だ。事業構想は経営資源をもとに考えるが、経営資源は企業だけでなく、地域にも存在する。人々が暮らし、仕事をする、その場所に由来する資源はたくさんある。故郷やゆかりの土地、自分が暮らす地域のために何ができるかを強く意識する院生も少なくない。

同時期に、政府も「地方創生」を掲げ、内閣に「まち・ひと・しごと創生本部」を設置した。院生の中には、少子高齢化や過疎化が進む地域のために何か役に立ちたいと考える人がいて、産官学で地域創生という大きなプロジェクトに取り組みたいという機運が高まった。

デジタル田園都市実現へ協力


2020年からは新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本の経済社会のデジタル化が大きな課題となった。岸田政権は、「デジタル田園都市国家構想」という新しい概念を打ち出している。「デジタル実装を通じて地方が抱える課題を解決し、誰一人取り残されずすべての人がデジタル化のメリットを享受できる心豊かな暮らしを実現する」という構想で、「新しい資本主義」の重要な柱の一つになっている。

この構想への協力は、私たちが現場に関わりながら実践してきた取り組みを具現化することにもつながる。デジタル庁や総務省の人たちと情報交換をしながら、地域のDX(デジタルトランスフォーメーション)の実装へ向けたさまざまな役割を担っている。

一方、月刊「事業構想」の取材先で地域初のデジタルマーケティングに取り組む事例がある。

例えば、食品や伝統工芸品、観光コンテンツなどの地域ならではの商品を届けるために、ライブ動画とコメント、購入の3つの機能を備えたプラットフォームを開発した。

通常のECサイトのコンバージョン率(ある商品を実際に購入したユーザーの数を、その商品の紹介ページを見たユーザーの数で割った数字)が1%程度と言われている中で、北海道の利尻島「利尻島海幸フェア」や、兵庫県淡路島「ヴィンテージ日本酒祭り」、愛媛県大洲市「城下のあきんど」などでは、ライブ配信企画を行うことで、5~10%のコンバージョン率を達成。視聴者の購入促進につなげている。

また、事業構想大学院大学の事業部門が参画した共創プロジェクトの事例として、NTT西日本、NTT社会情報研究所、パソナグループと地域創生推進コンソーシアムを結成した。知見・ノウハウを結集して、課題探索、シナリオ構想、実行計画の策定、シナリオ検証、社会実装という一連の流れを支援する。

「デジタル田園都市構想」は地域の特色を打ち出しながら、活性化にどう結び付けていくのかが大事だ。成功へ向けたステップに注目しているし、チャンスを見出して、積極的にかかわりたい。事業構想大学院大学修了生466人の他、事業構想研究所の研究員が2000人に上っており、事業構想の専門家として、地域創生に貢献する人材が全国各地で活躍してくれることを期待している。

コロナ禍で地域への思い熱く


地方創生にはさまざまな方法があるが、その地域に新しい事業・産業を起こすことが最も大事だ。当校の関係者の中からも地方創生の現場で活躍する人材がいる。

東北地方出身で、東京のIT企業執行役員だった修了生は、学んだ事業構想のノウハウを自社の新事業にも生かした後、「地元に貢献したい」と一念発起した。フィールドワークを重ねて地元にUターンし、構想の実現にチャレンジしている。

その修了生はITスキルを生かして、課題意識のある地域の人材をつなげるプラットフォームづくりに取り組む。「何かしたい」という人々との熱い思いを実現するための支援の場と仕組みを提供するNPO法人で、ビジネスプランコンテストを立ち上げた。

また、国産レモンの生産地である瀬戸内地域の活性化に取り組む修了生もいる。自分が働く食品・飲料メーカーの商品の素材として使っていたレモンが輸入品であることを意識し始め、国内のレモン生産地である瀬戸内地域に興味を持った。

国産レモンの営農事業を基盤に地域の活性化や食品としての魅力向上によるレモン市場の拡大を目指す。瀬戸内にサテライトオフィスを設置し、レモン栽培の取り組みを進め、生産から流通・販売まで連携してつながる仕組みづくりに取り組んでいる。

自社の圧倒的な価値づくりを目指し、地域の価値を上げながら、レモンの価値も上げることが目標だ。基盤をつくることで、生産者を支える仕組みの構築や定住人口、交流人口の増加など、地域が抱える課題解決につなげることを目指している。

コロナ禍をきっかけに人々の価値観が変わり、ニーズも大きく変化した。事業構想を考える際も、「密を避ける」「非接触」「時間・空間にとらわれない」などがキーワードになっている。世の中のニーズと対象者の課題を解決するところで終わりにするのではなく、ポスト・コロナを見据えた、その先の発見に貢献することに意欲的に取り組んでいる人たちもいる。

また、地方創生に関しては、早くから地域課題の解決に目を向けている院生たちは多かった。コロナ禍で価値観が変わったことで、東京の会社と自宅の往復の中で忙しく暮らすことを見直す人も増え、地域に対する思いはさらに高まっている。

週末、サーフィンをするために地元に帰り、農家の両親の手伝いをする、あるいは、地元で交通関係の仕事をしながら、ワーケーションのスペースを提供する事業を始めた院生もいる。

交通インフラ企業に勤める修了生が、東京と郊外を結ぶ縦のラインだけではなく、エリアを横・斜めに回遊できるモビリティや街づくりのビジネスプランを提案し、実現に向けて取り組んでいる。新しいライフスタイルの受け皿になる事業を考える人たちが増えている。

今後は、人と人、人と地域をつなぐ役割であるブリッジ人材が求められている。それぞれの個性や能力、価値を評価して、その人たちに合った適正なフィールドで活躍できるように橋渡しする人材を輩出したい。

ワーケーションで訪れた地域で、行政やNPOの人たちと交流する機会を持ったり、農家の人たちとの縁をきっかけに、作物の収穫を手伝ったり、持続可能な農業のためにはどうすればいいのか、または、地元の子供たちと環境問題について考えたりなど、院生は人と人を深くつなぐ力を持っている。

「おせっかい」と思われることを粋に感じ、楽しく地域が変わるような流れをつくり出す院生・修了生たちのパワーに期待している。

研究者の視点で新たな気づき


2012年の事業構想大学院大学設立時に、「教授にならないか」と声をかけていただいた。宣伝会議の編集長、メディア開発の仕事に長く携わる一方で、政府広報や審議会の委員、民間企業のマーケティングのアドバイザーなどで得た経験を、経営戦略に生かせると興味を持った。

国立大等で教鞭をとってきたアカデミックな先生方から多くのアドバイスを得ながら、実務との融合の中で大学の教授としても経験を積むことができた。編集の仕事を通して得た知見や、自分が勉強してきたことを、研究者の視点でもっと深く追求することの素晴らしさに気付き、毎日の仕事が楽しい。2016年には学長に就任し、引き続き教授として教壇に立つ一方で、多様な先生方に存分に力を発揮してもらえる研究・環境づくりにも力を入れている。



*2022年9月9日取材。所属・役職は取材当時。

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