実践「生産性改革」:板東 久美子 元文部科学審議官・元消費者庁長官インタビュー

2023年6月に日本生産性本部理事に就任した板東久美子 元文部科学審議官・元消費者庁長官は「実践『生産性改革』」のインタビューに応じ、人生の様々な段階での教育機会の提供を通した生涯成長・生涯活躍を可能にする人材の育成が生産性改革の鍵になるとの考えを示した。企業や地域、家庭など多様な場で能力を生かし、自己実現を図ることができる社会を目指すべきだと指摘した。

人生100年を尺度に能力活用 マルチ人材育成へ場の整備を

板東久美子 元文部科学審議官・元消費者庁長官

板東氏は「国籍やジェンダー、年齢など多様性が尊重されることが重要であることは言うまでもないが、加えて、一人の人間としても、人生100年時代と言われる生涯軸で考えた場合、会社を退職した時点で活動を終えるのではなく、その先のセカンドステージやサードステージを見据えることが重要だ」と指摘する。

これまでは、「会社人間」の言葉に代表されるように、仕事を通じて自己実現を図る人生を目指す人が多かったが、人口減少が進む中、これからは労働人口の減少という経済面での課題だけではなく、家庭や地域社会でも担い手不足が深刻化する。一人の人材が生涯の多様な段階で多面的に活躍することが求められている。 

板東氏によると、これからの時代に必要なのは、生涯成長・生涯活躍ができる人材だという。あらゆる機会を通じて能力を身に付け、そのマルチな能力を多方面で生かしながら、社会的役割を果たせる人材が求められていると指摘する。

個人がマルチな能力を身につけ続けるには、リスキリングに限らず、様々な形での学ぶ機会の提供と人的投資が行われていくことが大事だ。板東氏は「日本が成長力を取り戻すには、一人ひとりの能力を高める必要がある。学びを社会全体でどう支えるのか、そのために必要なプログラムや機会を充実させていくことが重要になる」と話す。

具体的には、大学などが社会人の学びにさらに門戸を開くことで夜間や週末にも開講するような授業の柔軟化を進めることや、オンラインやオンデマンドなどのデジタル技術を活用することが求められている。さらに、板東氏は、産業界や自治体などとも協力して社会人教育のプラットフォームをつくることを提言した。「大学の教員だけが社会人教育を担うことには限界がある。大学教員はプログラムづくりやコーディネートの役割を果たし、幅広い分野で活躍する教育人材を集める方法もある」と指摘する。 

また、社会人が学ぶ機会を得るには、雇用者側の協力も欠かせない。働きながら学べるように、働き方に柔軟性や弾力性を持たせること、そして学ぶためにいったん退職してもカムバックできるようにするなど、安心して学ぶことができる環境の構築も重要だ。

こうした生涯活躍社会の実現を目指すためには、アンフェアな状況が是正されることが欠かせない。正規雇用と非正規雇用との間の待遇格差や年齢や性別などによる格差のほか、フリーランスなどの既存の制度の中に位置づけられない層などがあり、収入などの待遇に格差が生じている。

板東氏は「格差の拡大や(制度の)すき間、不公平などは、多様性を尊重する社会の実現には大きな障壁となり、個人が多様な選択をすることが難しくなる。一人ひとりが公正な土俵で勝負できる、あるいは、平等に支援が受けられる社会が必要になる」と話す。


(以下インタビュー詳細)

能力開発、「卒業」で終わらせない 学びへの投資、脆弱な日本
板東久美子 元文部科学審議官・元消費者庁長官インタビュー

生涯軸で様々な形での学ぶ機会、人的投資が行われる社会の仕組みの整備について言えば、日本は欧米と比べても明らかに大きな差がある。日本では博士号の取得率の低さが指摘されているが、アメリカでは、社会人になってから修士や博士の学位を取得するケースが多い。欧州でも、大学以外の生涯学習プログラムを提供している教育機関も含めて、学びによって能力を高める機会が極めて多い。

このため、20代前半までの教育水準は変わらなくても、その先の能力開発で差がついてしまう。学びの広さや深さが、イノベーションを起こす力や成長力、生産性の差となって表れているように思う。

技術の進展が目覚ましく、人材をめぐる様々な環境が大きく変化している中では、常に学べる機会が与えられていることや、もしくは自分でそれを求めていくことが非常に重要になっている。

日本では、社会人を対象とした人的投資の仕組みも脆弱だ。奨学金が支給されるのは高校卒業後、そのまま進学する学生が主な対象であり、社会人に対する支援を想定していない。雇用保険による再教育のプログラムはあるが、そのコンテンツは幅広くカバーしているとは言い難い。

社会人の学びやリスキリングに対する経済的な支援を広げることは、回り回って産業の活力や、新しい経済価値を生み出す力になる。そのような公的投資や企業における投資を充実させるべきだ。

アメリカの企業は従業員の学ぶ機会に対して、経済的支援が手厚い。必ずしも、自社が切実に必要としている技術の獲得に対する投資だけではなく、幅広く学位の取得を支援するなど、支援内容の幅を広げているケースが多い。

米の人的投資は「お互い様」


アメリカではヘッドハンティングが多く、従業員の学びへの投資が自社に返ってこないケースがあるにも関わらず、どうして積極的に投資するのかをインタビューしたことがある。返ってきた答えは「それはお互い様だから」だった。

人材の流動性が高いということは、他社に引き抜かれることもあれば、自社も必要な人材を他社から引き抜くことができるということだ。国内の労働市場に学位やスキルを持った人材という資産が豊富にあるということは、自社と従業員という狭い視野でみると損得がはっきりしてしまうが、社会全体でみれば有意義なことであるという考え方だ。

日本では、様々な分野での人的配置が必ずしも理想的に行われていない。デジタル化や機械化の対応が求められる成熟分野には人が多く、強化しなければならない新しい成長分野には人材が不足しているといったアンバランスが至るところで起きてしまう。労働移動を活性化させる労働市場の改革は喫緊の課題だ。

もはや、社会に出る前だけ必要な人材を育成して社会に送り出せば良いという時代ではなくなっている。社会に出た後も含めて、社会が必要とするスキルを学ぶ機会を設け、身につけてもらう流れをつくることが必要になる。

日本では、社会人になると学びの時間を確保するのが難しいことが社会人の学びを阻害する要因となっている。長時間労働の問題のほか、学ぶために一定期間休みたいと思った時に、使いやすい制度がない。

地方の工場では人手不足が深刻となっている。こうしたところではロボットの活用やデジタル化に積極的に取り組み、できる限りの自動化を進めている。その意味では、設備投資を積極的に進めることが、結果的に人材育成につなげることができるという関係も成り立つ。

また、女性活躍を進めるための支援という部分ではまだ課題が多い。男性の育休取得が進んでいるとはいえ、あまりにも期間が短い。「ちょっと育児を体験しました」という程度で終わってしまっている。

「人口戦略会議」はこのほど、2100年の人口を8,000万人で安定させる人口戦略を描いた「人口ビジョン2100」を取りまとめた。このビジョンでは、「国民の意識の共有」、「若者、特に女性の最重視」、「世代間の継承・連帯と『共同養育社会』づくり」を基本的課題として取り上げている。

子育ては一輪車で動かすのは大変で、二輪車や三輪車のように様々な担い手の協力がなければ、子育て世代の夫婦が仕事と家庭を両立するのは難しい。家庭だけではなく、企業を退職した人材やボランティア人材などの様々な担い手が子育て支援に関われる環境づくりが必要だ。

2023年に生まれた子どもの数は、75万8,631人だった。8年連続で減少し、過去最少となった。婚姻数は48万9,281組で、戦後初めて50万組を割った。若い人に聞くと、結婚して子どもを産むということに対する不安感や負担感は相当なものがある。それらを軽減するには、女性が仕事を辞めなくても良い社会、子育てをワンオペでやらなくても良い社会、また、シングルマザーになっても貧困家庭にならない社会のカタチを示さなければならない。

今の若い人たちは、将来に夢を持てないでいる。その中で、結婚や子育てをリスクと感じ、それらを背負うことを避けようとするのは無理からぬことだ。「子育ては社会全体で支えるものだ」というメッセージを伝えるために、思い切った投資とシステムの構築が求められている。

家庭や社会、地域にも役割


中高年の活躍の場を確保するため、一律に定年延長を義務づける政策ももろ刃の剣だと言える。年齢層が高くなることで、若い人の活躍の場が減ったり、人材の流動化が進まなくなったりするなど、社会の活力を損なうリスクもある。大学もある時期に定年年齢を引き上げたが、そのために年齢構成が高くなってしまい、若い研究者が正規の職を得られにくい状況が加速された面もみられた。

企業で働き続けることだけにこだわるのではなく、考え方を変えて、家庭や社会、地域で役割を果たす人材が増えることが期待されている。地方は人手不足であり、活躍を期待されている舞台は多い。

企業は中高年社員のための生涯設計の研修を提供しているが、企業の中でどうキャリアを形成していくかという狭い意味だけではなく、社会的な役割に軸足を移すような活躍の仕方を模索できるようなプログラムも必要ではないか。

企業が従業員のボランティア参加を支援すれば、社会課題に対する意識が高まるなど、従業員の人材教育につながり、退職後のセカンドステージについて考えるきっかけにもなる。さらに、企業にとっても資金やモノの提供だけではなく、人材を通して、地域社会とのつながりを強めることができる。

人口減少の問題や企業や国の経済成長力の問題など、あらゆる問題が生産性に関わっている。これまでとはまた違った意味で、生産性運動や日本生産性本部が果たす役割が期待されている。企業や労働組合、アカデミアなど生産性運動に関わっているプレーヤーがそれぞれの役割を果たすと同時に、目指すべきベクトルを合わせて共創していく時である。

*2024年2月28日取材。所属・役職は取材当時。

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