実践「生産性改革」:北沢 利文 東京海上日動火災保険相談役インタビュー
2023年6月から日本生産性本部の理事を務めている東京海上日動火災保険相談役の北沢利文氏は「実践『生産性改革』」のインタビューに応じ、中小企業の生産性を向上させるためには、商品やサービスの価値に応じた適正価格を受容する経済社会を醸成することが必要だと指摘した。具体策としては、インバウンド(訪日外国人観光客)という〝黒船〟需要を活用し、内需を拡大することが重要になるとの考えを示した。
インバウンド需要を突破口に内需の更なる拡大を 中小企業の生産性向上にも波及効果が期待
中小企業は、人手不足や事業承継、DX、GXなど様々な課題に直面している。中でも、北沢氏は、「自社が生み出している付加価値を価格に転嫁することが難しいという、長年続いている商慣習が中小企業の経営を難しくさせている」と述べた。
現在、政府が強いリーダーシップを発揮して、人件費やエネルギー価格、原材料価格の上昇分を取引価格に転嫁する仕組みを作っており、企業間取引の分野では適正価格による取引の流れが進みつつある。
経済団体が中心となって推進している「パートナーシップ構築宣言」は、発注者の立場からサプライチェーン全体の付加価値向上、大企業と中小企業の共存共栄を目指すもので、参加企業は直近で5万5,000社を超えている。
ただ、中小企業の中でサプライチェーンに入っているのは製造業など一部に過ぎず、大部分は消費者にモノやサービスを提供するBtoC企業だ。その多くは、価格競争が激しく、価格を上げると顧客を失うリスクにさらされている。
中小企業の価格転嫁をめぐる課題の解決について、北沢氏は「内需の拡大」を進めていくことが重要で、「賃上げ機運が高まっている今は大きなチャンスだ」と指摘する。構造的な賃上げによって消費者の購買力が高まり、経済が活性化する好循環の実現を描く。
そして、もう一つの価格転嫁の好機として、インバウンド需要の活用を挙げる。購買力の高い外国人観光客に中小企業の商品・サービスの価値を理解してもらい、売上を伸ばすことで、インバウンド向けのビジネスを展開する中小企業の生産性が上がり、裾野が広がることを期待している。
北沢氏は「外国人観光客が帰国した後も、訪れた地域の特産物を越境ECで購入するケースも増えるだろう。大事なことは、自治体の首長が地域の経営者であるという自覚を高め、インバウンドの購買力を活用して、地域産業の売上を拡大する強い意志を示すことだ」と述べた。
さらに、労働力人口の減少が避けられない中で、中小企業がDXを進めることは最優先課題の一つだ。DXによって仕事がシンプルになれば、従業員の仕事をクリエイティブな分野に振り向けることができる。
政府は中小企業省力化投資補助金を設け、人手不足解消に効果がある汎用製品の導入を支援している。カタログ型で汎用品を選びやすいのが特徴だ。「小さな成功を積み重ねることで社内の雰囲気が変わり、デジタル化の好循環につながることが期待できる」という。
北沢氏は「各地の中小企業が元気に成長しないと、日本社会が持つ魅力は衰退する。首長が音頭を取りインバウンド需要拡大に向け、地域全体が真剣に取り組めば、企業の売上増加、生産性向上に波及効果を生み、日本社会の魅力向上にも繋がると期待している」と述べた。
(以下インタビュー詳細)
人的投資を強化し停滞から脱却 経営人財候補には試練の機会を
北沢利文 東京海上日動火災保険相談役インタビュー
後継者でネットワーク作り
一方で、中小企業は大企業に比べて従業員の数も少なく、次世代経営者の多くは現在の経営者の親族、特に子供たちがなる事例が多い。今後の激変する経営環境を考えると、できるだけ早期に次世代経営者を育てる取り組みが必要であるが、個々の中小企業では大企業のような計画的な育成は困難である。
どの中小企業も同じような悩みを持っているため、各社の若い後継者同士がネットワークを構築し、自社では得られない様々な経験を共通体験する仕組みは実効性もあり重要であると考える。
例えば異業種の先輩経営者の経験談、様々な苦労話を聞いて意見交換することは、大企業でのタフアサインメントの疑似体験に近いものが得られ、大変有益な経営人財育成の機会になると考える。若い世代にとっては自分の親の話よりも、他社の先輩経営者の話の方が育成上の効果が高い。いずれ、「あの時ああいう話を聞いておいてよかった」と気づく時が必ず来る。様々な企業や団体がこうした将来の企業後継者向けの勉強会や交流会を行っている。自治体も地域の経済の力を高めるためにぜひ交流に力を入れるべきだ。
一例として、100年企業の経営者の経験を若い経営者たちに語り継ぐ取り組みを運営している企業もある。100年を超える企業の先達の様々な経験を聞くことは次世代経営者にとって貴重な学びを得る機会になる。
経営理念を従業員と共有
東京商工会議所の「東京の将来を考える懇談会」の座長(当時)として、コロナ禍が終息したタイミングで、会員企業にアンケート調査を行った。「コロナ禍を乗り越える中で重要だった取り組み」を尋ねたところ、「従業員と一緒に会社は何のために存在するのかについて真剣に議論したこと」との意見が印象に残った。
経営理念やパーパスを考える議論を経て、「みんなの心が一つの方向を向いた」という話を複数の人から聞いた。また、コロナ禍を機に「経営理念が必要だ」として新たに経営理念を作った企業もあった。
どのように事業環境が変化しても事業を存続させ成長させるには経営者の強い覚悟が必要だ。苦難の時、従業員と経営理念を語り合い、「一緒に社会に必要な会社になろう」と熱く語れば、従業員は心の底から、「この会社で働いてよかった」と思うだろう。
「従業員と一緒に、どんな苦難も乗り越えていこう」と自信や覚悟を持つためには先輩経営者の経験を聞き、また経営理念の背景を学ぶことも大変有益だと考える。コロナ禍での経験のとおり、経営理念を語り合い、「会社は社会の役に立つために存在している」ことを認識することは、会社の持続的成長の大きな力になる。
魅力ない企業から人は去る
日本企業はバブル経済の崩壊後、人的投資が後回しになった。その後経済が回復しても過去のトラウマによりコストを抑え、投資を控え、内部留保を積み上げる経営が大勢を占めてきた。特に残念なのは、企業だけでなく、国も科学技術や語学等への教育投資を控えたことだ。
この間、米国では企業だけでなく国も積極的な投資を続け、その結果経済は成長し、株価も上昇した。日本も近年は株価が上昇してきたが、米国との経済力の差は拡大する一方だ。日本の国力を高めるためには国も企業も人財への投資をさらに積極的に行わなければならない。これからの社会を支えるのは若者たちだ。今の若者たちの意識は大きく変わってきている。「社会のために役立つ仕事をしたい」と考える若者たちが増えており、こうした若者の気持ちに応える企業になる必要がある。
「企業は社会の役に立つために存在しており、もっと社会に役立つため企業は成長を続ける必要がある」という、仕事の意義と会社の成長の必要性という二つのベクトルについて経営者は従業員と語り合うことが一層重要となっている。特に今後労働力人口が減少することから、従業員が魅力を感じる職場を作ることは大変重要だ。自分の成長を実感できる会社で働きたい、という従業員の気持ちは一層高まるだろう。
「人財育成に積極的に投資しても、知識や経験が増え市場価値が高まれば処遇の良い会社に転職してしまうだけだ」という意見を耳にすることもある。従業員は処遇が悪ければ転職を考える。しかし、処遇が改善しても自分が成長する実感を得られなければ、また転職を考えるだろう。積極的に教育投資をして、経営理念についても従業員と語り合う会社を作ることが、従業員の定着率を高める近道ではないか。
利益と投資の好循環を
最近は過去に転職した従業員をフォローして、復帰したいと希望する優秀な者には中途採用への道を設ける企業も増えている。一旦転職したが、元の会社でもう一度活躍したいと希望する者も増えているからだ。転職先での経験は得難い経験になるという評価もある。 企業が今後も持続的に成長を続けるためには、従業員が成長を実感でき、仕事の意義を感じる会社に変わっていくしかない。経営者には変革の力量が問われている。
魅力ある会社となるためには従業員への投資が必要だ。教育投資で従業員が成長すれば業績が向上し、利益が増加する。その利益を処遇の改善に活用するという好循環の実現が必要だ。そうした好循環の重要性を従業員ともしっかり共有することが持続的な成長の鍵になる。
*2024年9月25日取材。所属・役職は取材当時。