第10回 人材育成にもコンサル機能が必要 2名の有識者にインタビュー
連載「生産性改革 Next Stage」⑩ 人材育成にもコンサル機能が必要
生産性を巡る最前線の改革や今後の展望などを探る連載「生産性改革 Next Stage」では、「人材育成・人への投資」をテーマに、ANAホールディングス取締役会長の片野坂真哉氏と政策研究大学院大学理事・副学長の黒澤昌子氏がインタビューに応じた。人材育成を促す政策や企業の人材投資のあり方などについて語った。
多様なニーズ把握し、個性引き出す
生産性常任委員会の専門委員会で行った生産性評価要因分析によると、OECDによるPISA(学習到達度調査)やPIAAC(国際成人力調査)などで計測した学校教育や成人の学力成績は高いが、労働市場における人材投資が低調で、かつ投資を付加価値創出力、つまり生産性向上という成果に結びつけられていない現状がある。
人的投資の状況を統計的にみると、Off―JTについては正社員の45%、正社員以外の18%が受けている。正社員のOff―JT受講比率は、90年は75%まであったが、2008年以降は4割程度まで落ち込み、現在は4割程度で推移している。
また、日本生産性本部が定期的に実施している「働く人の意識調査」によると、最近3カ月以内にOff―JTを受講した割合は10%未満で推移している(=図表)。
黒澤氏は「人手不足が進む大きな流れの中では、魅力的な人材育成の機会や自分が成長する機会を提供すること自体が、報酬と同じように意欲と能力の高い人材を採用し、定着させる手段として重要になる」と話す。
また、企業による人への投資の恩恵に預かりにくい非正規社員への人材投資や、中小企業による人材投資については、政策的介入が必要になるという。
黒澤氏は「訓練費用の支援に加えて、スキルが認められやすいように、スキルの見える化や、何を身に付ければよいかの見える化、つまりコンサルティング機能の充実が必要だ」と指摘した。
一方、産業界でも、人的資本投資の取り組みの重要性は高まっている。片野坂氏は「最近の投資家は、企業価値向上のためには財務指標だけではなく、非財務指標も重要視している。脱炭素といった気候変動への対応などと並び、女性の役員・管理職への登用などの人的資本に関する取り組みを記載している会社も多い」と話す。
ANAホールディングスでも、統合報告書の中に「人的資本による企業価値の創造」について記述している。人への投資を進めることで、エンゲージメントが高まり、最終的には利益の向上へと繋がっていくというシナリオを描く。
片野坂氏は「人への投資の拡大や生産性向上を実現するために大事なことは、社会の変化を認識した上で、真剣に取り組むことだ。Z世代と中堅層、シニア層の考え方は全く違う。価値観の多様化が進む中で、企業は社員の希望やニーズを細かく把握して、手作りの人事制度を整備するなど、個性を引き出すことができるかが問われている」と話している。
社員向けに「スキルマトリックス」を
片野坂真哉 ANAホールディングス取締役会長
片野坂真哉(かたのざか・しんや)1979年、全日本空輸入社。ANAホールディングス代表取締役社長等を歴任し、2024年に現職。22年から日本生産性本部理事。
多様な人的資本投資が必要
人的資本投資という言葉がクローズアップされている。リスキリングやリカレントといった言葉もよく使われるが、リカレントは、昔からパイロットの訓練でも使われており、個人的にはなじみのある言葉だ。「学び直す」ことの重要性が脚光を浴びるなど、人的資本投資が良い意味で流行語になっている。
終身雇用や年功序列の日本的人事制度の中では、1つの会社に50~60歳まで勤めるのが当たり前で、人材育成はOJTが中心だった。しかし、今は転職するのは普通だと考えている人も増えており、従来の人の育て方が通用しなくなっている。
人的資本投資の課題の一つは、効果がつかみにくいことであり、「効果の可視化」が求められる。また、従業員自身が主体的に取り組むことも重要で、ミレニアル世代やZ世代の価値観にマッチした人的資本投資のシステムをつくる必要がある。経営者は彼らの特質を理解し、押しつけではなく、自分らしさを引き出す取り組みが不可欠だ。
さらに、子育てや親の介護などをしながら、会社の仕事もこなしている人たちにも対応した多様な働き方を用意することも重要だ。当社では、コロナ禍でエアラインの利用が激減したことがきっかけで、多様な働き方が増えた。故郷に帰って親の介護をしながら客室乗務員として働いたり、子育てをしやすい環境を確保するために、国際線の乗務から日帰りの国内線に限定した乗務に切り替えるなど、様々なニーズに対応している。新しい働き方に合わせた人への投資や生産性向上の取り組みが求められている。
経営者に求められるのは、多様な社員の価値観を知ることだ。3万通のエンゲージメントサーベイの自由記述欄に目を通すと、社員の本音が書いてある。感動して目頭が熱くなるものもあれば、経営に手厳しく投げつける声もある。こうした生の声を聞いて経営に生かしていくことが大事だ。
スキルの見える化とDXを
日本企業が人的資本投資によって生産性を向上するために必要なことは、社員のスキルの見える化だ。取締役のスキルの見える化のツールに「スキルマトリックス」がある。取締役や監査役がどういう分野に能力があるかを示したもので、同じものを社員にも作成する必要がある。
こうした情報はこれまでは人事部だけが持っていたが、社内に限ってオープンにすることで、人材のマッチングができる。当社でも、コロナ禍で違う部署で働きたいという社員のニーズに対し、グループ内での異動で積極的に応えたら、モチベーションが上がった。
もう1つはDXだ。私が会長を務める日本情報システム・ユーザー協会で、会員企業の事例紹介をしているが、そのほとんどがAIの活用事例だった。多くの企業は、標準的なAIとカスタマイズしたAIの二種類を活用している。反復的かつ定型的な業務はAIやRPAに任せながら、社員にはより創造性を必要とする業務に集中させることで、全体の生産性向上に繋げることが重要だ。
人への投資は付加価値に算入
生産性を算出する計算式では分子と分母があり、これまでは分母を減らすことに精力を注いだが、これからは付加価値の分子を大きくしていく時代だ。ANAホールディングスの生産性の計算式の分子は、営業利益と人件費の和であり、会社の利益だけではなく、社員の給料も付加価値に含まれている。
DXによって4人でやってきた仕事を2人でこなすことができたら、1人分は会社がもらい、もう1人分は社員に還元するといったことを分かりやすく語ることができる。当面は、賃上げが日本企業の最重要テーマであり、賃上げと生産性向上は切っても切れない関係だ。
企業の枠を超え、育成ノウハウ共有
黒澤昌子 政策研究大学院大学理事・副学長
黒澤昌子(くろさわ・まさこ)ロンドンスクールオブエコノミクス卒。政策研究大学院大学教授等を経て2020年に現職。専門は労働経済学、応用計量経済学。
非正規には育成支援政策を
1990年代半ばまでの政策の視点は、長期雇用を前提とし、雇用調整助成金など企業内での人への投資を後押しすることで雇用の安定を達成する手段が多かった。バブル崩壊後、失業なき労働移動が掲げられ、職業紹介の拡充や能力評価制度の整備などが始まった。98年には初めて労働者個人に対する職業訓練の助成制度である教育訓練給付制度も始まった。
その後、教育訓練給付制度は大幅に拡充され、能力評価の見える化として職業経験や、受けた訓練経験を記すジョブカード制度の普及や従来型の技能検定だけでなく、業界団体などで共通のスキルを資格化する団体等検定制度も始まっている。
しかし、男女間の人的投資格差はそれほど縮小していない。正社員の男女を比べても、離職率が高く、育児・介護など職場外での時間的制約が強い傾向にある女性は訓練を受けにくく、技能形成につながりやすい責任ある仕事を任せられないことが多い。結局、女性の能力発揮や生産性向上への道を阻んでいる。
非正規社員への人材投資や、中小企業による人材投資については政策的介入が必要だ。個人への支援は、非正規社員だけでなく、正社員の中でも離職しやすく、企業内訓練の対象外にされやすい女性や高齢者も該当する。
実習併用型訓練を積極活用
自分の将来の人的資本を担保にして資金を借りることは難しいので、訓練費用の支援は大事だ。教育訓練給付や求職者支援制度などがすでにあるほか、訓練中の賃金の一定割合を支給する教育訓練休暇制度も今年10月から施行された。
中小企業への支援も、資金制約や情報の欠如の面からは重要だ。どうやって人材育成すべきかわからない事業所も多い中、コンサルティングを受けながら訓練プログラムを整備し、採用や既存の従業員の人材育成に結びつけるサービスが有効になる。あまり知られていないが、実習併用型訓練(雇用型訓練、デュアル)という呼び名で、厚生労働省によって実施されている。職場での実習機会とOff―JTを組み合わせた訓練で採用に繋げる。そのプロセスで、自社の人材育成、訓練プログラムの策定について地域のジョブカードセンター等から無償でコンサルティングを受けられるものだ。
実習という市場のニーズに合致した訓練を受けられる訓練生だけでなく、訓練生を受け入れる事業所側にとってもメリットがある。より多くの企業に活用してもらいたい。
業界単位で訓練コストを負担
大企業においては、企業内でのスキル・能力の評価基準が確立していて、それに基づいた訓練機会も提供されている。人手不足が強まる中で、外部の人材活用ニーズが増えることに備え、業界団体や地域など離転職が生じやすい範囲内で、スキル基準や育成方法のノウハウを共有できれば、大変効果的だ。離職しやすくなる可能性はあるが、内部の人材が能力を高めるために学ぶインセンティブを高めることになるほか、外部からスキルをもった人材を採用しやすくなるメリットもある。
資格化することがマッチングの質の高い採用に結びつきやすい点は、とりわけ入口の未熟練におけるスキルについて、海外の研究でも示されている。団体等検定制度が昨年3月に創設されたところだが、そういう枠組みを積極的に活用してほしい。
スキル標準が構築されたら、そのスキルを得るための訓練コストは、業界内企業が負担し合い、業界団体で訓練を実施する。業界単位で訓練コストを負担し、訓練を実施することで、ある企業が人材投資をしても、離職したら収益を回収できずに、転職先の企業に流れるという「外部性」を内部化することに繋がる。
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