第11回 雇用システムの改革は道半ば 2名の有識者にインタビュー

連載「生産性改革 Next Stage」⑪ 雇用システムの改革は道半ば

生産性を巡る最前線の改革や今後の展望などを探る連載「生産性改革NextStage」は、「日本型雇用システム・労働法制」をテーマに、早稲田大学法学学術院法学部教授の水町勇一郎氏と、法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科教授の山田久氏がインタビューに応じた。日本の雇用システム改革は道半ばであり、今後の改革実現には労使交渉が重要との考えを示した。

特定最低賃金の活用も検討

日本型雇用システムの本丸と言われる終身雇用、年功賃金、企業別労働組合は、いずれも正社員を対象にしたものだ。水町氏は「この正社員中心主義が雇用の不安定化や格差問題を生み、正社員も過剰労働などの問題に直面した」と話す。そして正社員も企業内労働組合で緊張感のある労使関係が展開できず、実質賃金が上がらず、生産性向上にもつながらない状況が続いていたという。
これに対応し、2010年代半ばから、働き方改革や政労使会議による賃上げ交渉が行われた。そして、労働時間短縮や同一労働同一賃金の実現、正規・非正規の格差解消、ワークライフバランスの実現、外部労働市場の強化などの改革に取り組んだ。
その結果、大企業を中心に賃上げが進み、最低賃金も上昇基調になっている。ただ、これまでの改革について、水町氏は「改善の兆しはみられているが、中核となるシステムが昔のままで残っている」とし、山田氏も「改革は中途半端であり、道半ばと言わざるを得ない」との評価を下している。
例えば、「競争力がない企業ほど、従業員の長時間労働に頼っている。世界の新しい競争に対応できていない」(水町氏)、「女性や高齢者など多様な人が働く環境を整えるには、労働時間の短縮と合わせて、働く側が労働時間を柔軟に決められることが必要だが、そういう方向には向かっていない」(山田氏)など課題が多い。
正規・非正規の格差解消や同一労働同一賃金の実現については「手当はケアされてきているが、基本給・賞与・退職金については大きな格差が残っている」(水町氏)、「あらゆる分野で同一労働同一賃金を実現すべきだが、企業内部での正規・非正規の問題に限定されてしまっている」(山田氏)という。
両氏は、新しい時代に適応した労働法制の整備の必要性を指摘しつつ、労使交渉が機能することが極めて重要になるとの考えを示す。労働組合の組織率が低下する中で、実質的な労使のイニシアチブは企業の中にしかない。現状は、企業を超えた課題は政府に頼り、労使が反対しない無難な案になりがちだ。
今後は、企業を超えた労使関係を構築し、産業別に適用される特定最低賃金(=下表)を活用するなどして、共通ルールを制定することが重要になるという。

特定最低賃金の概要

集団的労使関係の機能強化を

山田久 法政大学教授

山田久(やまだ・ひさし)1987年、住友銀行入行。日本総合研究所副理事長等を経て2023年に現職。専門は人的資源管理、労働経済学。

時代の変化に応じたスキルを

”山田久氏
山田久 法政大学教授

生産性を高めるには、時代の変化に応じたスキルを人々が身につける必要があるが、人材の流動性を高めて、実質賃金を上げるという改革アプローチは、個人のインセンティブからの視点である。一方、企業の視点からは、労働生産性を高めるのに必要な人材投資を企業が行う前提に、人材の定着があるという観点が重要で、「流動性を上げれば生産性が高まる」という単純なものではない。
リスキリングは、大手企業では始まっているが、中小企業には抵抗感が強い。リスキリングすると転職されると懸念するからだ。中高年層がダブついている大手企業は流動性を高めることに関心があるかもしれないが、中小企業の経営者にとっての課題は流動性を高めることではなく、いかに定着させるかだ。
時代の変化に対応した事業をつくり、それに必要な知識やスキルを備えることが企業にとっての本質である。そのために流動性が必要になる場合もあるが、企業内で投資を続けることも大事になる。

働く人のコミュニティが重要

これまでの政府の改革では、大手では賃上げが進んだが、中小では賃上げへの動きは鈍い。生産性が低いままなので当然の結果であり、改革はこれからだ。様々な観点から総合的にアプローチしていくことが求められる。また、これまでの改革では、集団的労使関係という視点も忘れられている。企業をまたぐ流動化を進めるなら、その裏側にある集団的労使関係の機能強化は大事な問題である。
改革の筋書きは、個人が自分の意思や意欲を高めて、企業や産業を移ることで経済を活性化させると想定しているが、それができるのは一部の人材だけだ。流動化を実践してきた米国は経済的には良いかもしれないが、トランプ政権下での社会を見ていると、取り残された人が出てきて、不安定化している。
流動化の負の側面を埋める役割として、労働組合を含む「働く人たちのコミュニティ」が必要になる。自分たちに必要なことは、経営に対して連携してモノを言う存在であり、自分たちの能力を育成するために自主的に連携する存在だ。労働組合は組織率が下がっているが、労働組合を今の変化に対応できる形に変えていくことは重要だ。集団的な労使関係を築き、中間層が自分たちに必要な要求を訴える仕組みが求められている。
エンゲージメントサーベイの評価が高いにもかかわらず、不祥事を起こす企業があるが、人事部には本音が言いにくいので、よほどの不満を抱えている社員でない限り、本心を打ち明けることはない。これに対し、「日常の活動の中で問題があれば動いてくれる」という信頼関係がある労働組合は本音を引き出すことができる。企業の足腰を強くするためにも、集団的労使関係は重要になる。

労使で新しい仕組みづくりを

フリーランスに対しては、公正取引という枠組みで保護している。しかし、現実的に経済的従属性の強い人たちを公正取引だけで救えるのかは疑問だ。社会保障など、労働者に与えてきた権利をフリーランスにも認める方向の議論が大事だが、労働組合には組合員でない人たちの問題解決のためのイニシアチブがない。ドイツやスウェーデンの労働組合は、プラットフォーマーを評価し、ランキングを付けるので、ブラックなプラットフォーマーは淘汰されていく。労働組合に法律的にも大きな力が与えられている。
リスキリング、労働時間、実のある自己管理、集団的労使関係を機能させるための日本的な労働組合のあり方などが問われている。労使が未来のことを想像しながら、また、互いに譲り合いながら、新しい仕組みをつくっていくことが、これからの大きなテーマになるだろう。


AI時代に働く者をどう守るか

水町勇一郎 早稲田大学教授

水町勇一郎(みずまち・ゆういちろう)1990年、東京大学法学部卒。東京大学社会科学研究所教授等を経て2024年に現職。専門は労働法。

企業がスキル獲得を支援

水町勇一郎氏
水町勇一郎 早稲田大学教授

生産性改革の観点で言うと、企業が国際競争を勝ち抜くためには、一人ひとりに専門性の高い能力を身につけてもらうことや、AI化への対応が必要だ。日本の働く人たちは、基礎的な能力は高いが、それがイノベーションを生み出す創造力に必ずしも繋がっていない。
企業のイニシアチブで人事を回す内向きの経営や人材育成では社会の変化に対応できない。外に向いた経営やキャリア展開を可能にするキャリアオーナーシップ(個人が自身のキャリアに主体性を持って自己実現のために自ら行動すること)が求められている。
国際的な人材獲得競争に直面している企業では、社員にリスキリングのメニューや機会を提供し、社員が自分のキャリアや訓練機会を選んで、本業だけでなく副業にもチャレンジするなどスキル獲得や変化へのチャレンジの仕組みが整備されつつある。
働いている人たちが創造力や専門性を培い、それを発揮できるインフラを整備するために、企業が積極的に取り組むことは大切だ。それをサポートし、社会的に広げていく方向で、労働法制の改革を進めるべきだ。

AI社会での労働とは

AI社会では、アルゴリズムが現場での効率的な働き方を決める。アルゴリズムによる労働強化に対する規制はどうあるべきか、プライバシーや人間性をどう守るかを考える必要がある。会社の固定席に座っていなくても、端末や装置があればどこでも仕事ができる時代に、週に5日、定時に決まった場所に出勤して働くという働き方をすべての人に強制するというのは時代錯誤だ。すでにプラットフォームワーカーやスポットワーカーでは、仕事がある時にだけ働かせ、ない時にはさせないという働き方が台頭している。

AIとの向き合い方を労使で

AIが行う仕事が増える一方で、人間が常駐して行わなければならない定型的な作業は減ってくる。AI・アルゴリズムからプライバシーや人間性をどう守っていくか、AIにはできない、またはAIを補完する人間的・創造的な働き方をどう促していくかという方向に、法制度面での議論を展開していくことも重要になる。
その時、国が働く人の人権や人間性を守るために最低基準を作ることは大切だ。同時に、問題は現場で起こるので、現場で問題に対応する労使の役割は今後ますます大切になる。しかし、日本の労働組合の組織率は16%程度で、そのほとんどは大企業に限られている。
AI・アルゴリズムが広がる社会では、旧来の工業社会を前提に作られてきた現在の「労働者」概念とそれに基づく法体系では、実態に沿った社会的保護を全体に及ぼすことが難しくなる。「労働者」性の判断基準を相対化し、社会的保護のあり方を連続的にすべきだ。フリーランスも人間である点は変わらないし、その人間性や身体・精神を守る必要がある。
昨年10月に成立した、プラットフォーム労働における労働条件改善に関するEU指令には、AI・アルゴリズムに人間が監視される中で、アルゴリズムによる個人データ処理の制限や、アルゴリズム管理の公正さを確保するためのプラットフォーマーの義務等が定められている。
日本でも、個人の人格にかかわるデータは自動処理してはいけないというルールや、アルゴリズム管理における評価基準を開示するなどの課題を労使で話し合い、AI・アルゴリズム管理のなかでも保護されるべき人間性とは何かを考える必要がある。
また、プラットフォームワーカーらが交流できるネットワークを作り、組織化し、困った時に情報提供してサポートできる仕組みの構築も大切である。


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