第8回 重要性増す人への投資 2名の有識者にインタビュー
連載「生産性改革 Next Stage」⑧ 重要性増す人への投資
生産性を巡る最前線の改革や今後の展望などを探る連載「生産性改革 Next Stage」では、「人材育成・人への投資」をテーマに、日本赤十字社社長の清家篤氏と学習院大学教授の守島基博氏がインタビューに応じた。労働力人口の減少によって人材の確保が困難になる中で、生産性向上に結び付く人への投資や人材育成のあり方について語った。
人材力が競争優位の源泉
労働政策研究・研修機構の推計によると、直近の労働力人口約6900万人は、このまま何もしないと、2040年までに900万人減少する。労働力人口が減れば、他の条件が一定のもとでは、国内生産が減り、マクロ経済の供給面で成長の大きなブレーキになる。また、労働者の数が減れば、雇用者所得も減るので、消費も減り、マクロ経済の需要面でも成長の大きな制約条件になる。
清家氏は「まず大切なのは、仮に少子高齢化が進んでも、労働力人口はそれほど減らないように、いままだ十分に労働力化していない高齢者や女性の労働力率を高めていくことだ」と話す。そのうえで、「生産を維持するには、生産性を高めるしかない。労働者の数が減っても、一人当たりの賃金が高くなることで、マクロの雇用者所得を維持できるようにすることも求められる。時間当たりの生産性、特に付加価値生産性を高めることだ」と指摘する。
そして、人材を確保するためには、他社で教育された人材を獲得することによって短期的な人材確保を目指す一方で、人材力の差異化によって長期的に競争優位を保つには、社内で人材を育てることも引き続き大切になるとの考えを示した。
一方、守島氏は、「企業は人材を育成して終わりではなく、人材を活用するところまでを見据えた人的投資や人材育成が大きなテーマになる」と話す。
これまで企業は、人の能力を高めることに焦点を置いて、人への投資・・人材育成に取り組んできた。守島氏は「先進的な取り組みをしている企業を除き、ほとんどの企業では、育成のための育成で終わってしまい、個人の能力を高めても、その能力が経営目標の実現に活用されなかった」と述べ、「育成のための育成」から脱却することの重要性を指摘する。
日本生産性本部の調査によると、6割超の経営者が人材育成投資を増やしていると回答している一方で、実際に増えた投資の機会は、従業員のリスキリングや自己啓発の支援などが上位を占めている(上図)。
守島氏は、「企業が経営戦略を実現するには社員にどのような知識や能力、経験が必要になるのか。それを把握したうえで人を育て、育てた人材をどう活かすかを考えた人材投資をすることで、人材投資を生産性の向上につなげることができる」とした。
Make・Buyで競争力高める
清家 篤 日本赤十字社社長
清家 篤(せいけ・あつし)1978年慶應義塾大学経済学部卒。同大学教授、慶應義塾長等を経て2022年に現職。21年から日本生産性本部評議員。専門は労働経済学。
手厚かった人的資本投資
日本は、企業による人的資本投資の最も充実している国の一つだった。戦間期に発達した重化学工業で使われる技術は、海外から導入されたもので、企業内で労働者を育成するため「養成工制度」が始まった。企業は育成にかかった費用を回収するために、訓練した労働者に長く勤めてもらう必要があり、長期雇用が必要になった。
20世紀初めの日本の労働市場について欧米の識者は、日本の労働者は「渡り職人」などと呼ばれて流動性が高いと本国に報告していた。離職率を下げるために、年功賃金や定年まで勤め上げた者への退職金などを設け、長期勤続を促した。以上のような歴史は、尾髙煌之助氏の『労働市場分析』などから明らかになっている。
エズラ・ボーゲル氏が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書いた1979年を含む1970年代半ばからバブル崩壊までは日本経済の黄金期で、それを支えた日本的雇用制度はその源泉だと言われた。オイルショックの後、日本の労使は、雇用を保障する代わりに、賃金はマイルドな形で上昇させていくことで合意した。
しかし、手厚かった人的資本投資の伝統は、バブル崩壊を契機に変化した。日本企業はコストカットに走り、人的資本投資もその対象になった。人的資本投資と表裏一体だった年功賃金の維持も難しくなった。日本企業もリストラを行わざるを得なくなり、その結果、外部からの人材調達の可能性も高まった。
リストラで人員が減少する中で、職場はゆとりを失った。政府も雇用の流動化を言い出し、企業の人的投資のインセンティブは低下した。雇用の規制緩和に伴い、人的投資が少なくて済む非正規雇用の割合も増え、日本全体で人的資本投資の総額が減った。
企業特殊的熟練と一般的熟練
人的資本理論の生みの親は、ノーベル賞学者のゲーリー・ベッカー氏だ。それまで、経済学では部材と同様の生産要素として扱われていた労働を、投資によって能力が高まり、生産性も上昇する投資財とした理論だ。
ベッカー氏の人的資本投資理論は主に企業内訓練を想定して組み立てられている。投資費用をかけて投資収益を得るという投資行動だ。直接費用、機会費用をかけて育成することで従業員の生産性は上がり、企業は収益を得る。労働者は生産性向上に伴い賃金が上がる。
企業内で行う訓練によって高まる能力には、その企業だけで役に立つ企業特殊的熟練と、どの企業でも役に立つ一般的熟練がある。どちらの能力が高まるかによって企業と従業員の費用と収益の負担割合は変わる。実際はケース・バイ・ケースで、企業と労働者が費用負担をシェアしているのが一般的だ。
MakeもBuyも両方あり
ペンシルベニア大学教授のピーター・キャペリ氏は、著書『タレント・オン・ディマンド』の中で、人材は自社での育成と他社の人材を勧誘・採用する「Make・Buy」の両方の選択肢があると言っている。
A社とB社が同じビジネススクールの出身者を雇えば能力は変わらない。競争優位を得ようとしたら自社で付加価値を付けることが必要になる。企業はMakeもBuyも両方あり、の人事戦略が必要になる。
働く人にとっては、自分自身にどれだけ付加価値を付けられるかによって、賃金は高まり雇用保障も強まる。良い仕事の条件とは、その職場で働くと、成長できて、生産性を高めることができることだ。
雇用流動化は、費用と収益を労働者と企業でどう分担するのかという課題を顕在化させる。これを労使で話し合う必要がある。日本の将来は、人的資本投資の充実にかかっていることは間違いない。
「育成のための育成」から脱皮を
守島 基博 学習院大学教授
守島 基博 (もりしま・もとひろ)1980年慶應義塾大学文学部卒。一橋大学大学院商学研究科教授等を経て、2017年から現職。専門は人的資源管理論、組織行動論。
育成後の活用を含めた戦略を
これまで、生産性を上げるための人への投資については、人的資本を高めることで、人の能力を高めることだけが強調されてきた。しかし、個人の能力を高めても、その能力が適切に活用されなかったら意味がない。育成するだけではなく、育成した後に、どう活用していくのかまでトータルに考えることが人的投資の大きなテーマだ。
日本企業は、新卒一括採用を続けてきた経緯があり、人の育成を重視してきた。しかし、先端的な取り組みをしている企業を除き、育成や、様々な経験によって能力が高まった人たちを、どう活用していくかを十分に考えず、「育成のための育成」をやっている企業が多い。
OJTは、企業の中にある知識を伝えるため、先輩が後輩に教えるモデルだ。OJTを続けていても、革新的な知や経験は企業の中に蓄積しない。今は、企業の中にない知や経験を蓄積していくことが重要だ。AI、IT、グローバル化など、企業を取り巻く環境は大きく変化しており、従来型のOJTでは適応できない。
企業に求められていることは、経営戦略に基づいて、それを実現するには社員にどのような知識や能力、経験が必要になるのかを把握したうえで、人を育成することだ。その後に能力を身につけた人をどう活用するのかを見据えたうえで人材投資をしないと、生産性は向上しない。
正社員以外の働き方の選択肢
これまでは選抜した優秀な人を活用して、それ以外の人たちは、それなりに活用するというやり方が一般的だった。しかし、人材不足・人手不足の時代は、個々人の能力や経験の差を前提として、一人ひとりの能力を最大限引き出す方向で人材投資を行わなければならない。
その時に必要になるのは、HRテックなどを活用し、一人ひとりの情報を把握することだ。さらに、企業の戦略に紐づいている業務について、人が行うのか、AIにやらせるのかを仕分けすることも必要になる。
企業が戦略を実現するためには、正社員であろうが、フリーランスであろうが、どういう形でも人材を確保することが重要だ。AIの技術者が常に必要ではない企業にとっては、必要になった時に人材を確保すればよいし、社員としての採用ではなく、業務委託契約などで確保する選択肢を選んでもよい。政府は今でも正社員採用を推奨する傾向が強いが、少なくとも採用形態に関してはニュートラルで、多様な働き方を促進するような方向で政策を組むべきだ。
これから正社員雇用は少なくなってくることが予想される。働く人たちにとっても、業務委託で関わったほうが、持っているスキルを使って、柔軟な働き方が選択できる。正社員はマジョリティではあり続けると思うが、政策の中でそうではない働き方を認めていく必要がある。
日本型グローバル企業の魅力
企業は、経営戦略とのリンクの中で人事をどう考えていくかが最も重要なポイントだ。そのためにはトップのコミットが欠かせない。人事が中心となって人材マネジメントをやる時代は終わった。トップが経営戦略を立て、それに基づく人材戦略を決めるのもトップの仕事だ。
企業のグローバル化のあり方は今後大きく変わっていくだろう。10年前のグローバル化は輸出が中心だったが、今は経営のグローバル化だ。多くの企業で企業のバリューチェーンの心臓部である研究開発の部分から海外で行うようになっている。以前は欧米型のグローバル企業へ変わっていくことが求められたが、今後は現地の人たちに魅力的な日本企業であることが何よりも重要だ。日本型のグローバル企業のあり方を考え、「日本企業は人を大切にして、人を活用している」ということをアピールできるかが問われている。
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