第1回 「われわれも繁栄できる」―JPC創設前史<上>

連載「JPC 70th クロニクル」① 「われわれも繁栄できる」

ハットンの著作

グラハム・ハットン著『WE TOO CAN PROSPER(邦訳:われわれも繁栄できる)』。訳書は1954年、時事通信社刊。

グラハム・ハットン著『WE TOO CAN PROSPER(邦訳:われわれも繁栄できる)』
後に日本生産性本部(JAPAN PRODUCTIVITY CENTER=JPC)創設の推進役となる郷司浩平(1900~1989、当時は経済同友会常任幹事)は1953年5月、ウィーンでの国際商業会議所総会に出席するため、ヨーロッパに向かった。
その際、ロンドンで時事通信特派員から、生産性運動のバイブルとも言うべき一冊の文献を示された。米国に視察団を送り、未曽有の繁栄の秘密を学習した英米生産性協議会の活動を詳述した本だ。
後に郷司は次のように語っている。「イギリスは一九四八年に生産性協議会をつくって、労使の視察団をアメリカに送った。その際彼らはおそらくアメリカの技術が戦時中にも進歩していたんだろうというひとつの予断をもって行ってみたが、技術もさることながら、それよりももっと大きな要因は、経営が刷新されているという事実だった。(中略)僕はそれを読んで非常な感銘を受けたんです。」(「証言・高度成長期の日本」「エコノミスト」)

「日本でもこれを」

郷司はハットンの著作に感銘を受け、一つの決意を抱いて1953年夏に帰国した。「わたしは、イギリスでその話(英米生産性協議会の)を聞き、かつまた、参考文献をもらって、目をとおしていって痛感したのは、日本でもこれをやらなきゃいかん、まさに、戦後復興に役立つ最も有効な機関である、という印象をうけた。」(「郷司浩平回顧談」)
郷司は帰国後、経済同友会の幹部ばかりでなく、他の経済団体である経団連、日経連、商工会議所にも「日本でもこれを」と呼びかけた。

  • 日本生産性本部は2025年3月1日、創立から70周年を迎えた。連載では、これまでの主な足跡を振り返るとともに、そこからミライの生産性運動を切り開くヒントを見出していきたい。(文中・敬称略)【参考文献】『生産性運動50年史』(社会経済生産性本部、2005年)
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