論争「生産性白書」:【語る】安河内 賢弘 JAM会長

ものづくり産業労働組合(JAM)の安河内賢弘会長は生産性新聞のインタビューに応じ、日本生産性本部が発刊した生産性白書に関して、「コロナ禍で危機感が募り、産業の大変革が起ころうとしているこの時期に、生産性改革の指針が示された意義は大きい」と評価した。そのうえで、生産性運動三原則の今日的意義について「産業全体、社会全体、地域全体で雇用を守るという考え方が求められており、三原則の精神を変えずに、対象者を広げていくことが重要だ」との考えを示した。

社会で雇用を守り、成果の公正分配を 三原則精神変えず対象者拡大を

安河内賢弘 JAM会長
生産性白書第1部第5章の「新たな生産性運動の確立に向けて」の中では、雇用の維持・拡大、労使の協力と協議、成果の公正な分配という「生産性運動三原則」の歴史や役割、今日的意義についての議論を展開している。

安河内会長は「労働組合にとっての最大の使命は雇用を守ることだった。誤解を恐れずに言うと、雇用を守るために、賃下げに応じ、非正規従業員を受け入れ、合理化にも応じてきたが、その結果として雇用を守ることができたのかを問い直す時期にある」とこれまでの運動の限界を指摘した。

さらに、現在ガソリン自動車から電気自動車(EV)への変化が進んでいる自動車産業の大変革を例に挙げ、「今起こっている変化は、石炭から石油への変化と同等のインパクトを与えるだろう。その時、一企業一単組だけで雇用を守ることは難しく、産業全体、地域全体、社会全体で守る取り組みが求められている」と指摘した。

一方で、AI(人工知能)の進化によって、雇用の多くが失われてしまうといった悲観的な予測については、「新しい産業が創出されることで、逆に雇用が増える可能性が高まっている。これは世界的な合意である」と述べた。

そのうえで、「新産業創出へ向かう移行期に、誰一人取り残すことのないような仕組みをどう整えるのかが、雇用を守る新しい取り組みの焦点になる」と述べ、政労使や地域などでソーシャルダイアログ(社会対話)を展開する重要性を指摘した。

また、ガソリンエンジンなどの自動車部品メーカーの組合員を抱えるJAMとして、自動車産業のEV化など、100年に一度の大変革に対する備えをどうすべきかの議論を深めるため、中小製造業の羅針盤となる「ものづくり進化論Ⅲ」の作成を本格化させる。

JAMは1999年9月、ゼンキン連合と金属機械が統合して結成された。結成を機に「ものづくり進化論」を発表し、結成10年を機に、技術伝承をテーマにした続編の「ものづくり進化論Ⅱ」をまとめており、「ものづくり進化論Ⅲ」は第三弾となる。今夏にも「ものづくり進化論Ⅱ」を検証し、来年8月をめどにまとめる方針だ。

テーマは、日本が提唱する未来社会のコンセプトである「Society5.0」に関し、中小企業の視点で役割や貢献などを考える。また、自動車産業の大変革の中で中小企業が生き残るために、自動車部品の技術を生かした医療機器などの成長産業分野への参入を実現するヒントを探る。


(以下インタビュー詳細)

「価値を認めあう社会へ」やっと浸透 大企業も中小も“視線”は同じ

JAMが全単組から集計している業績見通しによると、2021年3月現在では、従業員3000人以上の企業では、売上高・生産量がV字回復している。中国の景気回復が進む一方で、欧米もワクチン接種が進んでおり、輸出主導で回復しているためだ。今後中小企業も、大手に引っ張られる形で、売上高・生産量とも戻ってくる可能性は高い。

しかし経常利益については大手はほぼゼロベースで、中小企業は一貫してマイナスが続いており、経営環境は厳しいままだ。最大の要因は原材料価格の高騰で、今後も利益率は厳しい状況だ。生産性を上げ、付加価値を高め、製品価格を引き上げていくことが課題になる。

所定外労働時間はマイナスだが、売上・生産量の見通しに比例して残業が増えている。労働力の過不足感については一貫して厳しく、人手不足は続いている。

今年の春闘でも、賃金のベースアップ(ベア)については中小企業が大手企業を上回る状況が続いている。3000~4000円以上のベアを実現している中小企業が多いためだ。その理由は、人手不足であり、人材を確保し続けるためにベアを行っている。

私たちはこれまで「8時間労働で飯が食える環境」の実現を訴え続けてきた。賃上げを訴えてはいるが、絶対額は十分には上がっておらず、優秀な人材から辞めていく状況に直面している。

一時休業の件数は昨年4月の緊急事態宣言下でピークとなったが、今は落ち着きを取り戻しつつある。しかし、産業によっては受注から生産まで1年かかる業種もある。昨春に仕事が獲得できなかった影響がこれから本格化するというケースもあり、深刻さは変わっていない。

中小企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)は大手企業以上に二極化が進んでいる。主な連絡手段がFAXしかなく、新しい販路を開拓できず、利益率が低迷しているような企業がある一方で、若手社長が先頭に立ち、IT環境を整えて、小さいながらも高い利益率を実現している企業もある。

中小製造業の問題は、取引先との価格交渉力が落ち続けていることであり、これをどう転換させるかが課題である。経済界も国も公正取引の実現に力を入れ始めており、単組への問題意識の浸透には時間がかかるが、改善へむけた動きには期待をしている。製品価格の引き上げを実現し、賃金を上げていかないと、技術の伝承は難しい。

製品価格の値戻しは悲願


一方で、中小企業側が勇気を持って価格交渉を行った結果、大手側が要求に応え、価格を上げたという例もある。ただ、全てがうまくいくとは限らず、中小企業側が躊躇せずに価格交渉を行うには、「価値を認めあう社会」として社会が成熟していく必要があると考えている。

JAMがこの「価値を認めあう社会へ」をスローガンに掲げたのは、6年前私がJAM副会長に就任した際に、労働政策委員会委員長として春闘方針を作成したことがきっかけだ。当時は賃上げの流れもできていなかったし、単組は会社側に要求できなかった。

価格交渉では、2008年のリーマン・ショック後の金融危機のとき、取引先から「うちも厳しいから、我慢してくれ」と頼まれて、値下げに応じざるを得なかった中小企業もあったという。

しかし、景気回復局面になったときには、当時の取引先の担当者は新しい人に代わってしまっていて、値戻しすることができないケースも少なくなかった。逆に「あの時、この価格でできたでしょ」と言われてしまう始末。いったん下げた価格をリーマン前の水準に戻すことは、中小企業にとって悲願になっている。

公正な取引の実現へ向けて、社会的機運を盛り上げるために2016年にスローガンとして掲げた言葉が「価値を認めあう社会へ」である。

私たちがスローガンを掲げた後、金属労協がバリューチェーンにおける「付加価値の適正循環」の構築を掲げ、連合にも広がった。日本商工会議所も、大企業と中小企業が共に成長できる持続可能な環境を構築するための「パートナーシップ構築宣言」という大きな旗を掲げている。

政府もこうした動きを後押ししている。経済産業省は下請け取引の適正化を目指す政策パッケージ「未来志向型の取引慣行に向けて」を策定した。中小企業庁もサプライチェーン全体での「取引適正化」と「付加価値向上」に向けた自主行動計画の策定と着実な実行を要請するなど社会全体に機運が高まっている。

私たちの運動がこうした取り組みの全てに影響を及ぼしたとは思わないが、「ようやくここまで来た」という感慨がある。労働の価値や、守らなければいけない家族は、大企業も中小企業も同じであるという考え方が浸透してきており、この動きを決してブームで終わらせないように、持続的に運動のすそ野を広げていきたい。

価格交渉の現場では、受発注の取引関係の中で価格交渉について言い出しにくい雰囲気が消えたわけではないので、このハードルをどう越えるかがJAMの課題だ。

不当な取引は、メーカー側が会社の方針や購買部の戦略として打ち出しているのではなく、現場の担当者レベルで勝手にやっている側面が強い。いわば、コンプライアンスの問題なので、一つひとつ潰さないとなくならない。

JAMでは価値を認めあう社会へ向けた対応マニュアルを作成した。法令違反となる取引行為や取引改善ポイントを具体化することで、取引を受発注する企業の公正な取引慣行の実現に向けた取り組みを、JAM全体で展開する。

社会全体が認めあうことで、賃金を下げて安いモノをつくり利益を上げるのではなく、一緒になって付加価値を創り出し、その成果をみんなで分かち合うという考え方への転換を促していきたい。

人材育成も社会全体で


人材採用や育成でも価値を認めあうという考え方が重要だ。中小企業は中途採用がほとんどで、優秀な人材は大手に流れていた。コロナ禍を経て、こうした人手不足が深刻化する恐れもある。

コロナ禍で浮かび上がったデジタル人材育成の課題も、中小企業だけで解決していくのは難しい。日本生産性本部の社会ビジョン委員会でも取り上げられていたが、大手企業の技術者が週末に中小企業に赴き、技術の伝承を手伝うような、社会全体で人材を育てるという考え方が求められている。

中小企業に必要なデジタル人材とは、AIをつくる人材ではなくてAIを使いこなせる人材であり、デジタル教育のあり方も違ってくるはずだ。中小企業は、地方経済を支える重要な役割を担っており、社会全体で価値を認めあいながら、政労使で協力して、人を育てる環境を築いていくことが重要だ。

JAMは結成当時50万組織を擁していたが、現在は39万組織に減少している。JAMが「中小企業の労働者の代表」を名乗り続けるには、JAMがもっと魅力的な組織でなければならない。組織強化と組織拡大は表裏一体であり、組織変革プロジェクトを立ち上げ、「常に変わり続ける組織」に生まれ変わるというメッセージを発信したい。



*2021年6月3日取材。所属・役職は取材当時。

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