コロナ危機に克つ:元井 弘 代表経営コンサルタントインタビュー

日本生産性本部の元井弘・代表経営コンサルタントは、生産性新聞のインタビューに応じ、新型コロナウイルスの感染拡大のような危機に対応できる強い企業になるためには、何のために企業が存在するのかという「パーパス」に基づき、経営よりも、事業を優先させることが重要になると指摘した。危機を生き抜く組織をつくるには、「不易流行」を実践するリーダーの勇気と覚悟が必要との考えを示した。

リーダーは不易流行の勇気と覚悟を示せ 早く動き、最後までやり切る

元井弘 日本生産性本部代表経営コンサルタント

元井氏は「新型コロナウイルスに振り回されている企業や、新型コロナウイルス対応への動きが鈍い企業がある。危機の中で沈む企業と勝ち残る企業を分けるのは『不易流行』を実践しているかどうかだ」と話す。

「不易」とは「いつまでも変わらないこと」、「流行」とは「時代に応じて変化すること」を意味する。コロナ禍の企業経営では、変化しない本質的なものを忘れず、新しく変化を重ねているものを取り入れていくことができているかどうかが問われているという。例えば、コミュニケーション形態でも変えてはいけないことと変えなければならないことがある。

元井氏は、近年の日本企業の懸念材料として、「経営は事業(商売)のための手段であるにもかかわらず、経営が目的化し、その結果、顧客のために行うべき事業を後回しにしているケースがあるのではないか」と指摘する。

元井氏は、46年の経営コンサルタントとしてのキャリアの中で、延べ約700社を担当してきた。その経験を通し、「島国における農耕文化の中で育った日本企業は、経営や組織の安定を最優先してしまいがちで、そのためにビジネスチャンスを逃したり、ビジネスの転換が遅れてしまったりしているように思える」という。

また、「日本の風土として、士農工商の朱子学的な考え方が残っているために、儲けるということに素直さを欠き、人や組織が官僚化している」ことも日本企業の競争力低下の背景にあると指摘。改めて渋沢栄一翁が説く「論語と算盤」には示唆があると話す。

コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻など、世界情勢の不確実性が高まる中で、企業の存在意義を示す「パーパス」の重要性が高まっている。元井氏は「パーパスは企業の指針であり、危機の中でも事業が目指すべき方向や、そのために必要な組織や人事制度が何かなどは、パーパスに従えば自ずと決まる」と話す。

さらに、コンサルタントとして企業を変革するためのアプローチを披露した。「パーパスに従って方向性を決め、それに沿った制度をつくる。その後、制度を使いこなせる能力を身に付ける。従業員の行動が定着し、最後に従業員の意識が変わり、その結果として、企業文化が変わっていく」と述べ、従業員の行動や意識を変える前に、方向性と制度を変えることが現実的であると指摘。従業員からは多少の不平不満が出るが、制度に従った行動に落とし込んで初めて、「それが心地いいのか悪いのか、効率がいいのか悪いのか」が分かり、行動が習慣化し、意識と文化が変わるという。

元井氏は、「改革をリードするためにはチャレンジとスピード、そして、最後までやり切ることが重要になる。100点満点の改革案を待っていたら手遅れになる。60点でも合格点ならば、早く手を付けることで、何を修正したらいいかが分かってくる」と話した。



(以下インタビュー詳細)


直訳ではなく意訳人間を育てる 求められる「行間を読む力」

新型コロナウイルスの感染拡大が長引き、飲食店の経営は厳しい状態が続いている。その中で、大阪ミナミの法善寺横丁にある割烹料理店では、大将がコロナ禍を乗り切るための手腕を発揮し、従業員は皆元気で活気が溢れる職場となっている。

昔から、大阪に出張した時には足を運ぶなじみの店だ。コロナ禍で多くの店が閉めている中で、私が訪れた日も営業していた。久しぶりに暖簾をくぐり、席に着くと、まず、メニューがなくなっていることに気付いた。

メニューなし料理店の戦略


以前は壁にメニューを貼っていた。食事を済ませてから、一杯飲みに来る客、この店で食事をしてから、二軒目のスナックへ向かう客などさまざまな客に対応するが、今ではメニューをやめて、おまかせの料理を肴に酒を飲む。

大将と女将、板前にフロア係2人の5人体制で切り盛りしている。人流抑制が断続する中でも、経営を続けることができているのは、料理の腕前が巧みで、良い酒を提供するという強みのほかに、メニューなし経営によるコスト管理が奏功している。

つまり、メニューをすべておまかせにすることで、無駄な仕入れをせずに済む。振る舞う料理の食材だけを仕入れ、すべて使い切ることができる。多くが固定客で、大将は「どうしましょ」、客は「いつものもので」と声をかけ合い、その日仕入れた食材をうまく使って、豊富な種類の料理を提供する。お腹がいっぱいになって、「もういいよ」と言えば、料理は止まる。

メニューを掲げていたら、注文を受けても、ネタ切れで提供できない料理があると顧客の満足度は下がる。メニューなし経営は、仕入れたネタで客を満足させることができる料理の腕前があってこその戦略だ。いつまで継続するかは別としても、危機に対応した見事な商売だ。

私は、経営コンサルティングの現場では、顧客企業に対して、環境の変化に対応した組織編成を指南している。無駄なモノを仕入れず、限られた素材を使って腕を振るい、市場のニーズに応えたモノづくりを行うことは、製造業でも重要だ。

工場では、ライン編成によって同じモノを大量に効率的に生産するより、チームを組んで、さまざまなモノをつくれるような体制を組むよう指導することが多い。「マン・マシン固定配置」から、「マン・マシン変動配置」への組織改革だ。

マン・マシン固定配置では、人は固定された工程で、固定された装置しか扱えない。それに対し、マン・マシン変動配置では、一人がさまざまな工程で、さまざまな装置を扱う多能工が求められる。多能工化によって、どんなモノでもつくることができる強いチームが編成できる。

最近のビジネスにおけるチーム編成は、ポジションが固定された野球型よりも、ポジションはあるが、現場で判断しながら臨機応変にポジションを変えて動くラグビー型が主流だ。

ポジションを固定しないことで、階層型ではないフラットなチーム組織が実現する。フラットなチーム組織は、階層にこだわっているベテラン職人型のメンバーの反発が予想される。しかし、変化の激しいビジネス環境に対応するには、ラグビー型のチーム編成が理想だ。

これからは、マルチタスクをこなし、自ら考え、行動できる危機対応型の人材が求められる。企業はそうした人材を育成しなければいけないが、現状の日本企業の人材育成については、悲観的に考えざるを得ない。

「企業は人なり」という言葉がある。「人材こそが企業の財産である」と読み取れるが、本当にそうだろうか。同じように、「金を残すは下策、仕事を残すは中策、人を残すは上策」などの言葉もあるが、これについても、言葉の表面だけで受け取るのは間違いだと思う。

企業で働く「人」を見渡すと、企業にぶら下がっているだけの「人」もいれば、貢献している「人」もいる。「人を残すは上策なり」を直訳で理解するのではなく、意訳しなければ真実が見えてこない。これは、「自分のことを後回しにしてでも、人のために汗をかくことができる人を残すのが上策」なのだ。経営者や管理者は「人」に関する目配りができているかどうかを注意すべきだ。

意訳ができない人、即ち、読解力が乏しい人が増えていることを懸念している。さらに、コロナ禍でリアルなコミュニケーションでの磨きの場が減ってしまっていることで、意訳する能力の低下が進んでいる恐れもある。

オンラインの考課者研修では、人を評価する知識を伝えることはできるが、人を評価するに際して必要な心構えや実践的スキルを教えることは難しい。部下に対して真摯に向き合う気持ちを持てなければ、恣意性や好き嫌いだけで評価してしまいがちになる。

リアルの研修参加者には「人、語らざれば愁(うれい)なきに似たり」という言葉を必ず披露する。これは、「人は、語らなければ心配ごとがないように見えるが、人は悲しみや苦しみを胸に抱いていることもある」という意味だ。

管理者が質問した時、部下が何も文句を言わず、黙っているならば、ほとんどのケースで「心配事はない」で終わってしまいそうだが、本当はこの時こそ注意しなければならない。たとえ何も言わなくても、人間は悩んだり苦しんだりしていることもあり、それが分からないようでは評価者としての資格はない。

意訳する力や、行間を読む力、即ち読解力や洞察力を養成するには、講師と受講者、または受講者同士が胸の内を真剣に語ることができる対面での訓練が必要だ。

リベラルアーツを身に付けろ


企業や組織を取り巻く経営環境はグローバル化の進展によって、複雑性が増し、経営においては多様な人材が活躍して価値創造ができるダイバーシティが求められる。こうした難しい時代に経営のかじ取りをするリーダーには、リベラルアーツが必要だ。

リベラルアーツとは「教養」と和訳されることがあるが、正確ではない。この言葉は、古くはギリシャ時代にリーダーの資質として、そして中世以降の欧州の大学制度で人が身に付けなければならない学芸(学術・技芸)の基本と見なされていた三学(文法学・修辞学・論理学)と四科(算術・幾何学・天文学・音楽)を意味する。

日本ではリベラルアーツの学びは、大学の2年間の教養課程で終わる。日本企業のビジネスパーソンの多くが、十分なリベラルアーツや専門性を身に付けているとは言い難い。欧米の主要企業の経営者の多くが、修士課程・博士課程の修了者であるのに対し、日本の主要企業の経営者では、ごく少数だ。

リベラルアーツのような専門的基礎知識を身に付けることで、視野の広い規範的判断力を持つことができる。この力は、高度化・複雑化する時代の経営判断を下さなければならないリーダーに求められる資質といえる。難しい経営環境に対し、直訳はできるが、意訳するまでには至らない、読解力や論理的能力に乏しいリーダーに導かれる企業が難局を乗り切るには、足元がおぼつかない。

もちろん、高学歴ではなくても優秀な人材はいる。ただ、日本企業の競争力低下が指摘される中、基本的な学力を備えた人材を育成することが、高度化・複雑化する社会を読み解き、国際的な競争力を高めることにつながる期待は大きい。

「人への投資」が重要であることは言うまでもないが、人材投資や人材育成が目的化してはならない。事業を支える「役割」を明示し、職責を果たすための「人」をどう育てるかを考えなければならない。経営や組織・人事が目的なのではなく、「ビジネスと役割」があってこその「人」であり、「組織」なのだ。日本企業は、そこが希薄だから、人材育成という言葉だけが独り歩きしている。



*2022年8月10日取材。所属・役職は取材当時。

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