徒然なれど薑桂之性は止まず④ 「生産性運動三原則」の形骸化は何故止められなかったのか(その1)
「日本的経営」と「生産性運動三原則」は、相思相愛の夫婦のような関係であった。しかし、相思相愛の筈が、いつの間にかスレ違いの夫婦の関係に変化し、時々はスレ違いに気を病むがお互いに元に戻す努力をしないまま、いたずらに冷たい関係を増幅し合う結果を招いている夫婦も散見される。「日本的経営」と「生産性運動三原則」の関係も今では冷たい関係に堕した夫婦関係に似ているのではないかと感じる。
新自由主義的経営に対する危機感に乏しい労働組合
シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授が提唱したいわゆる「新自由主義」経済論は、南米のチリやアルゼンチンを皮切りに、思った以上に速いスピードで世界中を席巻した。日本も例外であり得ず、特に小泉政権以降はバブル崩壊の副産物の体を為して、はやり病のように規制緩和やコーポレートガバナンスの見直し、株主利益至上主義等を標榜し、企業経営を一挙にローコスト指向と内部留保重視の経営に追い込み、労働組合に「雇用か賃金か」を問う経営マインドを強めていった。
この経営マインドの変化に対し、日本の労働組合の大宗を占める企業別労働組合(髙木流表現では塀内組合)は、雇用優先論のもと賃金抑制を受け入れ、経済のグローバル化のもとでの国際競争力論やデフレ経済下の家計費用の低い伸び等を対組合員用の抗弁理由とした。加えて「日本的経営」の根幹である労働者と会社との間の信頼関係から、「会社も悪いようにはしない筈」「状況が好転すればまた元のようになる」という甘えの構造に陥った面もあったのであろう。こうして賃金停滞が30年間続いた。
ICFTU(国際自由労働組合総連盟、現ITUC:国際労働組合総連合)の警鐘も響かず
2006年だったと記憶しているが、当時のICFTU(国際自由労働組合総連盟、日本は連合として加盟)の書記長であったガイ・ライダー氏(前ILO事務局長)が「新自由主義」経済論は世界の労働者のためにならずという観点から、ICFTU加盟の有力組合をジュネーブに集め、「新自由主義」経済への対応等についての検討会を開催した。私も声を掛けられ出席した。議論は侃侃諤諤(かんかんがくがく)で大変熱の入ったものであったが、何かの結論を得るものではなく、「お互い新自由主義経済の論理や施策には用心して対処しよう」といった程度の危機感を共有して散会したような記憶が残っている。
私自身も2005年秋から2009年秋までの4年間、連合会長の任にあり、賃金レベルの上昇をめざして鋭意努力もしたつもりであったが、ICFTUのガイ・ライダー書記長の警鐘に共鳴する感度が弱く、賃金停滞の流れに歯止めを掛けられなかったという点で、いまだに忸怩(じくじ)たる思いに苛まれている。
なお、ガイ・ライダー書記長の警鐘に比較的感度良く対応したヨーロッパ諸国や、また発想は異なったが賃金レベルに拘ったアメリカや韓国、そしてシンガポールに比べて、日本の賃金レベルはこの間、取り返しがつかなくなる程開いてしまった。「日本的経営」ひいては「生産性運動三原則」に対する甘えが、現在の日本の賃金レベルの根底にあるのかも知れない。
(2024年6月5日号掲載、全30回連載予定)
執筆:髙木剛氏(連合顧問) 髙木氏のプロフィールとその他のコラムの内容はこちらをご覧ください。