徒然なれど薑桂之性は止まず⑥ 「生産性運動」が花咲かせた背景(その1)
アメリカのマッカーシズムの強い影響
第2次世界大戦後、信教の自由を国是とするアメリカと、「宗教は阿片(あへん)」とうそぶくソ連の覇権争いが激化した。アメリカにおける反共マッカーシズムの嵐が吹き荒れ、その影響は世界中に及び、日本も例外ではなかった。
終戦直後は共産主義(特に日本共産党)に比較的寛容(部分的には容共)だったGHQ(占領軍本部)も方針転換した。レッド・パージを頻発し、日本共産党が広く深く浸透していた労働組合から影響力を排除すべくGHQと経営側が気脈を通じ反共対策を講じ始めた。その結果、多くの労働組合、特に民間労組に反共的運動論を掲げる「第二組合」が形成され、順次「第一組合」(従来からある労働組合)を凌駕していった。
この労働運動における反共の流れが、生産性向上運動にマッチし、政府の産業政策や技術革新とあいまって生産性の向上を促し、高度経済成長に結びついたのである。
日本共産党主導の労働運動に対する労働者の反感
日本共産党が主導する労働運動は、労働組合を共産主義革命の橋頭堡(きょうとうほ)とすべしという運動論を持った。他方、この路線に対して戦前から異議を唱える友愛会・総同盟の路線を諒(りょう)とする労働運動の流れもあった。この反共路線と国内外の反共のムードが拡がる中で、経営側の強い反共キャンペーンに同調する面も含め、組合員の中にも日本共産党の路線に疑問を呈する声が高まっていった。こうした組合員の反応も、心理面も含めて生産性向上運動への同調力を高める方向に作用したと思われる。
日本共産党主導の労働運動・企業活動に対するイデオロギー浸透に対する経営側の対応
日本共産党は労働運動のみならず企業内の職場にもフラクション(細胞)を形成すべく運動を展開した。ある時期には日本共産党の職場細胞の数が大幅に増加し、企業も対策に力を入れざるを得ない状況も散見されるようになった。
自社の労働組合と職場細胞への日本共産党の「濡れ筵(むしろ)焼き立て作戦」(濡れた筵も水分が徐々に飛び、気がついたら一気に燃え上がるような工作のこと)の攻勢に音を上げる企業も多いという話が聞かれることもあった。
労働組合の職場委員や執行委員に日本共産党員やシンパが立候補したケースも散見され、当該労働組合が防戦を強いられる事態も珍しくなかった。
こうした状況のもとで企業側は、ストライキを抑止したいという願望のもと労働協約の中でいわゆる平和条項(争議協定締結、争議予告、労働委員会付議義務付等)を織り込むべく注力し、労働組合側も一部で不同意(特に労働委員会付議義務付)をしながらも経営側の主張を受け入れる側が多かった。
加えて経営側は、労働協約に本質的に内在すると言われる「平和義務」の論理を援用し、ストライキの差し止めを求める仮処分を裁判所に申請し、戦後間もない時期には裁判所も「平和義務」に関する理解が浅薄であったため、「絶対的平和義務論」に組(くみ)し、ストライキを差し止めて労使を混乱させたこともあった。
また、ある時にはユーゴスラビアの「生産性管理論」を根拠とする主張を一部の労働組合が展開したこともあった。今日も職場の議論として共産党対策が論じられることもあるようだ。
連合は、野党共闘に関する議論の中で、共産党を含む共闘に対して拒否の姿勢を崩していないが、それは労働組合と日本共産党との長年にわたるいろいろな出来事によって刷り込まれてきた残滓(ざんし)によるところが多いと思う。
このような労使の日本共産党との関係が生産性向上運動にもプラスであったことは否めない。
(2024年6月25日号掲載、全30回連載予定)
執筆:髙木剛氏(連合顧問) 髙木氏のプロフィールとその他のコラムの内容はこちらをご覧ください。