徒然なれど薑桂之性は止まず⑮ 司法制度改革②(労働審判制の誕生)

個別労働紛争増加への対応

連合は「ドイツ型参審制」による労働裁判制度の導入、経団連・経営法曹界(経営側弁護士の集まり)は労働調停件数増加で対処、の考え方で労使委員の意見のすり合わせが進まず堂々巡りが繰り返された。労働関連事項を検討する「労働検討会」の雰囲気は、こんな議論の状況をどのように収束させていくのかという悲観的な空気に包まれていたが、法学研究者や法務省、裁判所関係者が「非訴事件訴訟法」を援用した「審判手続」で、労働に関する知識・経験を有する非裁判官労働審判員の参加による「審判手続」に個別労使紛争を委ねるという手続き案を考案した。この案に双方が同意する形で、「労働審判制」の創設が合意された。こうした手続き論を提起された関係者の努力を多としたい。
「労働審判制」の制度としての建て付けが固まるにつれ、その制度の運用上想起される制度の欠陥となりうる問題点の回避策をどうするのか。制度を創っても使い勝手が悪く、使われない制度では制度創設の意味がない。
時あたかも労働側にとって回避すべき苦い経験があった。その苦い経験とは、男女雇用機会均等法のもと創設された同法違反事案の解決のためのあっせん・調停手続きに、訴えられた経営側が出てこないというケースが頻出したことである。あっせん・調停制度自体が存在する意義が見いだせない状況になり、当該原告労働者や関係者の強い怒りを買っていた。
この男女雇用機会均等法の例の如く、経営者が法廷に出てこなくても許されるような制度では創設する意味はない。例え欠席でも審判手続きは進めるという経営者の逃げ得を許さない制度・手続きにすることは、この制度・手続きに魂を入れることだった。この制度が目的を的確に果たすためには、一方が応じないと始まらない「調停」と違い、初回審判は被申立人の欠席でも始めることが必要だった。2回目も同様であり、また、審判内容に不服で訴訟に切り替えた場合は審判で使った証拠等も引き継ぐという3点締めの審判までの維持とその結果の尊重が、この制度の成否を決する基本ルールでなければならない。経営側検討委員からは、「あまりがんじがらめに絞りあげても逆効果」という声もあったが、この点は連合としては譲れぬということで、安易な妥協をすることなく最後まで頑張った。
この「労働審判制」のラフなイメージを描くと、長くても3回の期日で解決を図るべく、1回目の期日で事業内容を的確につかみ、2回目で具体的な解決内容を議論し、3回目の期日では審判を言い渡すということであり、1年以内に解決を図るという迅速性も担保される。
「審判制度」をスタートさせるにあたって、労使双方500人の労働問題に専門的な知識経験を有する者を非裁判官審判員として裁判所に登録し、その全員が事前研修(労働審判員トレーニングのごときコース)を受け、制度のスタートに備えることになった。
労働側推薦の審判員は、連合を窓口に全労連、全労協、純中立等にも一定数を割り振り、経営側の審判員は経団連―各都道府県経営者協会のチャンネルで選任された。
当初、この制度の運営の要役を担う裁判所は、労働側審判員が的確に選ばれてくるのか、懸念しているような空気も感じられたが、先述の研修等を通じてその懸念は払拭されたようである。
ところで、この「労働審判制」は難産の子であったが、議論が行き詰まると菅野先生、日経連・矢野専務理事、髙木の3人が本郷三丁目の料亭「百万石」で懇談し、混迷した議論の中の葛藤をほぐす場を持った。この「百万石会談」のお陰で労働審判制は生まれたとも言える。

(2024年10月5日号掲載)

執筆:髙木剛氏(連合顧問) 髙木氏のプロフィールとその他のコラムの内容はこちらをご覧ください。

おことわり

髙木剛氏は2024年9月2日に逝去されました(80歳)。謹んで哀悼の意を表します。本連載については、筆者より寄稿頂いた原稿(全22回)を最終回まで掲載してまいります。

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