徒然なれど薑桂之性は止まず⑰ 大変難しい死刑廃止論議
日本の多数派は「死刑制度」の存続論
日本政府が定期的に行っているアンケート調査によれば、日本人の8割が「死刑制度」の存続を肯定的に捉えている。死刑制度の廃止を求める世論が盛り上がっている訳ではない。
しかし、「死刑」即ち国家権力が人間の尊厳を否定し生命を断つ刑の存続に疑問を持つ人も多い。この「死刑」に関する疑問の最たる理由はどの国でも「冤罪」の問題がある。間違える裁判を首肯(しゅこう)的に捉えて「死刑」もやむを得ないというのも躊躇される。
世界各国の中で制度的に「死刑」制度が残っているのは、先進国の中では米国、韓国、日本くらいで韓国も形式的には「死刑」制度が存続するが、運営上の知恵を働かせ、執行はされていない。
アメリカでも「冤罪」問題の究極のための検討・研究を含め、訴訟による「冤罪」の発生を回避出来ない以上、「死刑」制度は廃止すべきだという方向性が示唆されている。
ヨーロッパでの「死刑」の廃止は、絶対王政と民主化を求める市民社会による欲求の挟間から生まれた政治的要求に端を発し、議会制度を通じて、あるいは市民革命などの手段を使って制度として定着してきた。
何故、日本では「死刑」制度廃止の議論が高まらないのか。日本の古代からの統治構造、刑事事件処理の手段・方法の歴史とその底流にある儒教的社会規範の存在などが挙げられているが、例えば江戸時代の「遠山の金さん」の話では事件を捜査する人と判決を言い渡す人が同一人物であったことが、現代の制度と比べ違和感がある。
ここ20年程、死刑囚の再審請求にもとづく裁判で「無罪」と判断されたケースが何件も見られた。具体的な再審無罪が出された事件は「免田事件」「財田川事件」「松山事件」「島田事件」であるが、再審裁判の結論を待たずに死刑執行に及んだケースもあった。
袴田事件の再審問題
静岡市清水区で起きた味噌製造会社の役員を殺害した罪に問われた袴田巌氏に死刑判決が下されている(袴田事件)。この事件についても無罪を求める再審請求が行われ、証拠の有効性等をめぐっての争いも二転三転。最高裁が下級審に差し戻し、今は東京高裁の差戻し審の結果を待つ状況にあるが、検察の対応が頑なに過ぎるのではないかという批判の声もある。(※)
現在も死刑囚による再審請求が数多く提起されているが、この再審請求事件の対応にあまりにも時間がかかりすぎではないか、ということで、与野党が呉越同舟で再審請求事件の手続きの簡素化について検討する議員懇談会がスタートした。日弁連(日本弁護士連合会)も有識者に呼びかけて「死刑廃止に向けての研究会」を立ち上げ、労働界からは神津里季生・前連合会長が参加している。「死刑」問題は考えれば考えるほど迷路に迷い込むような感じもあり、刑罰を下す教育刑論や被害者との関連等から「仕方ない」という感覚で受け止められる事象であろう。
然らば、現状のまま、さわらぬ神に祟りなし、ということで座視していて良いのか。「裁判員裁判」によって「冤罪」が根絶されるというのも楽観的にすぎる。ヨーロッパのように政党・政治家のリードで、「死刑廃止」になるとも思えないし、一般国民の「死刑」に関する認識にも大きな変化が見られないとしたら、さわらぬ神のまま見ているしかないのか、甚だ難しい問題である。お前は「廃止論」についてどっち側の主張に近いのか問われても、直ちには答え難い。しいて言えば「廃止論」に賛成という気分が少し強いと言ったところか。
(※)袴田事件は、2024年10月9日に無罪が確定しました。
(2024年10月25日号掲載)
執筆:髙木剛氏(連合顧問) 髙木氏のプロフィールとその他のコラムの内容はこちらをご覧ください。
おことわり
髙木剛氏は2024年9月2日に逝去されました(80歳)。謹んで哀悼の意を表します。本連載については、筆者より寄稿頂いた原稿(全22回)を最終回まで掲載してまいります。