第1回:「治一郎」のマーケティング戦略~ヤタローグループ~(2022年7月25日号)

■販売戦略も”ふんわり食感”

 1933(昭和8)年創業のヤタローグループ(本社=静岡県浜松市)は、スイーツやパンの製造、自社店舗での販売、量販店やサービスエリア等への卸売り、小中学校や病院・福祉施設の給食調理サービス、社員食堂や学生食堂の運営、県や市の公共施設の受託運営など、幅広い事業に挑戦している。

 グループの売り上げの半分強を占めるのが「治一郎のバウムクーヘン」で知られる治一郎事業だ。

 同社ではもともと、卸売り主体でバウムクーヘンを作ってきたが、事業の多角化を図る一環として、「もっとしっとりとして、飲み物がなくてもおいしく食べられるバウムクーヘンはできないものか」と試行錯誤を重ね、2002年に生まれたのが治一郎のバウムクーヘンだった。菓子職人たちが地道にこつこつと努力を重ねて生み出した、ひたむきな「ものづくり精神」に敬意を表し、当時の職人の一人の名をとって、治一郎と名付けた。

 直営店は、静岡県内をはじめ、仙台、埼玉、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡のショッピングモールや百貨店などにあり、今年6月現在で28店舗を展開している。コロナ禍で既存店の売り上げは減ったが、事業全体の売り上げは減らず、今年度は最高益になる見込みだ。

 「治一郎のバウムクーヘン」は、飲みものいらずで食せるほどの“しっとり感”と重厚で心ゆくまで堪能できる“ずっしり感”が味わえるのが特徴だ。

 職人が片時も離れることなく、生地の状態や火加減を調整しながらうすく層を重ね、24層とすることで、しっとりした食感ができあがる。卵を多く使用し「別立て法」(卵黄と卵白を分け別々に混ぜる方法)で混ぜ合わせているため、きめ細かい生地に仕上がり、ケーキのようなふんわりした食感を生み出す。

 ブランド戦略にも定評がある。「日々のありふれた幸せが積み重なって大きなものになる。人と人とのつながりの中で、心に感じる小さな幸せが積み重なってふくらんでいく。そうした、日常の暮らしの大切さや、人と人とのつながり、信頼と共感、感謝と挑戦をすべて『治一郎』のブランドコンセプトに入れた。それは、お客様に伝えたい言葉でもあり、社員に向けた言葉でもある」(太田雅之・ヤタローグループ代表取締役COO)。

 郊外のショッピングモールという、成長するチャネルに出店することでこれまで成長してきたが、顧客満足やものづくりの基盤などを重視し、出店は1年間に2店舗程度に抑えている。「売り上げの最大化を目指すのではなく、経営の質を重視しながら、身の丈にあった成長、やるべきことをしっかりやっていこうとする組織風土がある」(加瀬元日・日本生産性本部主席経営コンサルタント)。


 従業員の人材育成については、個々の従業員が持っている能力を引き出すことに力を入れている。「我々のような食品会社はどうしても保守的になりがちだ。そこで、『何を言っても怒られない』という雰囲気を意識的に社内につくり、新しいことにチャレンジすることを推奨している。そういうことを経営者や経営幹部が言い続けていると、従業員が自主的に動いてくれて、現場発のアイデアがたくさん出てくる。人とは違う意見や少し変わった発言をしても、とがめられないようになっている」(太田氏)。

 また、店舗の店長やスタッフを対象に、ロールプレイングコンテストを実施している。優秀者には、金一封とともに、プロのカメラマンとメークアップアーティストが来て、ファッションモデルのような写真を撮ってくれるという特典が付いており、現場のスタッフが大いに盛り上がるという。

 今後の課題としては、「治一郎」の生産能力の増強を図るとともに、「治一郎」に次ぐ、第2、第3のブランドを育てていきたいとしている。



■急成長は目指していない

(太田雅之・ヤタローグループ代表取締役COOの話)

 我々は、急成長は目指していない。当社は製販一貫体制であり、自分たちで作れるものしか売れないので、アイテムを増やし、出店を急激に増やすことはできない。生産体制を整えてから出店するので、1年間に2店舗程度の出店になっている。

 加瀬コンサルには15年ぐらい前から、ブランドコンセプトづくりやマーケティング戦略の策定、定期的なCS(顧客満足)調査の実施とマーケティング施策への活用などで支援いただいている。我々の漠然とした思いをきちんとまとめて、ブランドのコンセプトや、各施策に落とし込む支援をしてもらっており、大変ありがたい。

 また、定期的に実施しているCS調査によって、客観的なデータを把握している。お客様の認知度はどうなっているのか、お客様の持っているイメージはどのように変化しているのかは当事者ではわからないことも多い。客観的なデータを定期的に取ることで、我々のやっていることと、お客様が考えていることとの違いを確認しないと、独り善がりになってしまう。次のマーケティング戦略を検討していく際のヒントも得られる。

 お客様として「治一郎」のコンセプトに共感し、「治一郎」のファンになり、「こういう会社に入りたかった」という人が当社に入社してくれるようになったこともあって、人を起点にした「治一郎」ブランドが最近すごく良くなったと思っている。自分が本当に好きなものを販売するのは何よりも強いし、そこにはうそはない。当社に共感してくれて入社してくれる人が増えて、従業員のエンゲージメントというか愛着心が高まってきていることはとてもうれしい。



 

■謙虚な姿勢失わない経営スタイル

加瀬元日・日本生産性本部主席経営コンサルタントの話)

 治一郎事業の強みの一つは、事業として成功してもなお謙虚な姿勢を保ち続ける経営陣のマネジメントスタイルにあると思う。

 太田社長は事業の成長過程から「何で当社がこんなにも売れているのかよくわからない」という言葉を使われてきたが、一般的な経営者よりも遥かに業界や事業のことをよく理解されている。ここで意味しているのは深いレベルでの真の原因や消費者インサイト(お客様自身もはっきりとは気づいていないような潜在ニーズ)を重視しているからだと私は解釈している。定期的なCS(顧客満足)調査などによって外部の声を謙虚に聞き、自身の考えを深掘りしたうえで、経営における勝利の方程式を生み出してきている。CSやES(従業員満足)の向上が、結果的に業績向上や各種財務指標の改善にうまくつながっており、中長期にわたり、安定的に成長している。

 もう一つの強みは「幸せを重ねる」というブランドコンセプトだ。キーワード先行ではなく、自分たちの内面から出てくる言葉で作られている。これは「治一郎」のブランドコンセプトであるとともに、会社の経営理念や行動規範の源泉にもなっていて、多くのお客様や従業員にとっても共感できる理念になっている。経営のスタイルやお客様への接し方でも、無理をせず自然体で、自分たちらしさを大事にしている。これがビジネスモデルの源泉になり、他社の模倣困難性も高い。

 また、女性社員がいきいきと活躍していることも同社の特徴だ。経営陣に対しても気兼ねなく主体的にどんどんいいアイデアを提案している従業員のアイデアをしっかりと受けとめることができる経営者や経営幹部がいて、失敗を許容する風土も醸成されており、心理的安全性が高い企業といえる。

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