第3回 生産性向上のために最善の努力―JPC創設
連載「JPC 70th クロニクル」③ 生産性向上のために最善の努力
「民間団体」として

「わが国産業の生産性向上運動の中核体たる〝日本生産性本部〟を民間団体として設立し、政府が行なう生産性向上対策と相呼応して、民間において、国民運動的規模において活発な運動を展開し、わが国産業の生産性の飛躍的向上を図らんとするものである。」
1954年、経済団体で設立した日本生産性協議会と主要関係官庁(通産省、外務省、労働省)、米国大使館との協議が行われ、組織の方向性が決定。同年9月24日に開かれた閣議で日本生産性本部の設立が承認された。冒頭の文章は閣議決定のもの。「民間団体」として設立し、生産性向上を「国民運動的に展開」としている点が注目される。
当時の通産省との交渉を郷司浩平が次のように回想している。「こういうものは二つできてはいかんし、またわれわれの考えでは、これは官製のものになったのでは運動にならない。」(「月刊生産性」1965年1月号)
努力と工夫如何
閣議に先立つ9月17日、日本生産性協議会は、通産大臣・愛知揆一の渡米を前に、「日本の生産性運動に対するアメリカ政府の援助に関して、協定締結を早急に実現するよう、積極的に話し合いを進められたい」旨の要望書を政府に提出。本部創設の下準備を整え、役割を終えた日本生産性協議会は12月16日に理事会を開き、自らを発展的に解消し、日本生産性本部として新発足することやその役員候補者を決定した。
翌55年2月14日、東京・丸の内の日本工業倶楽部で設立総会を開催。2月16日、事務局は通産大臣に「設立許可申請書」を提出。3月1日、通産大臣・石橋湛山名で財団法人の設立許可書が交付され、日本生産性本部は正式に発足した。
設立趣意書の文面からは並々ならぬ気魄が伝わってくる。「生産性向上の鍵は、かかってわれわれ自身の努力と工夫如何にある。われわれは、日本経済の担い手としての責任を強く自覚し、生産性向上のために最善の努力を尽さんとするものである。」
※文中・敬称略。【参考文献】『生産性運動50年史』(社会経済生産性本部、2005年)
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