第4回 「労働は、商品ではない」―生産性運動三原則
連載「JPC 70th クロニクル」④ 「労働は、商品ではない」
三原則と八原則

三者構成がスタートした(1955年9月16日)。
日本生産性本部創設時の会長は石坂泰三(東京芝浦電気社長)、副会長は永野重雄(富士製鐵社長)と中山伊知郎(一橋大学学長)、専務理事は郷司浩平(経済同友会事務局長)。理事も含め役員は経営と学識のみ。労働側の足並みがそろわず、二者構成でのスタートだった。三者構成となるのはほぼ半年後のこと。カギとなったのは生産性運動三原則だ。
1955年5月20日、関係9省事務次官と日本生産性本部役員で構成する第1回日本生産性連絡会議が開かれ、「生産性向上運動に関する了解事項」として三原則を決定した。「雇用の維持・拡大」「労使の協力と協議」「成果の公正な分配」からなる三原則は、以後の生産性運動の基本方針となった。
これに対して、総同盟(日本労働組合総同盟)は同年6月の中央委員会で「生産性向上に対する基本原則」として八原則を決定。本部の三原則と八原則が同一趣旨であることが確認され、両者は9月16日、共同確認書に調印、総同盟の生産性運動参加が決まった。
続いて、全日本海員組合も参加を決定。総同盟・海員組合の二人の労働組合側理事を加えた初の理事会は11月18日に開かれた。
ILOのフィラデルフィア宣言
生産性運動三原則の端緒になったのは1944年5月10日に発表されたILO(国際労働機構)のフィラデルフィア宣言だった。「労働は、商品ではない」から始まるこの宣言には、「完全雇用及び生活水準の向上」「成果の公正な配分を保障」「生産性向上に関する経営と労働の協力」などが盛り込まれており、第二次大戦末期や戦後欧州の政府及び労使、ひいては日本で生産性向上を考える人々にも強い影響を与え、有力な指針となった。
※文中・敬称略。【参考文献】「生産性運動50年史」(社会経済生産性本部、2005年)
お問い合わせ先
公益財団法人日本生産性本部 広報戦略室(新聞グループ)
WEBからのお問い合わせ