第6回 「視察報告会に5万人参集」―海外視察団派遣〈下〉
連載「JPC 70th クロニクル」⑥ 「視察報告会に5万人参集」
「重任」と「念願」

海外視察団第4陣として第1次トップマネジメント視察団が1955年9月6日、渡米した。団長は日本生産性本部会長の石坂泰三(東京芝浦電気社長)。団員(14人)は、当時のわが国経済界を代表すると言われるメンバーで構成された。
一行はアメリカで石油会社や鉄鋼会社、投資会社などを視察、ハーバード大学で講義の聴講とディスカッション、ワシントンで各政府機関の訪問など40日間にわたる日程を精力的にこなした。
石坂は帰国後の報告会で、出発に当たっての心構え、団長としての責任を次のように表現している。
「ヨーロッパの各国は、この視察団の派遣によって非常な成功を収めている。われわれの場合、たいして効果がないということではまことに申しわけのない次第で、なんとか重任をうまく果たしうるようにという熱心な念願をもって五週間にわたる視察旅行をしてきたわけである。」(『生産性運動10年の歩み』)
170冊の報告書と関連団体設立
各チームは帰国後、東京をはじめ大阪や名古屋、福岡など各都市で視察報告会を開催した。最初の3年間の参加者数は計5万人。生産性向上に対する渇望ともいえる数字だ。
海外視察団は報告書の作成が義務付けられていた。各視察団は帰国後、1年ほどかけて視察内容をじっくり分析・検討し報告書をまとめた。56年から66年までの11年間で計170冊。それぞれB5判、平均240ページ、延べ4万1000ページに達する。
その成果は大きく二つの面があった。一つは「物の見方、考え方」といった「精神的側面」。もう一つは、経営組織やマーケティング、IE(インダストリアル・エンジニアリング)といった「技術的側面」だ。
さらに視察団派遣が契機となって、「日本マーケティング協会」(設立1957年)、「日本インダストリアル・エンジニアリング(IE)協会」(同1959年)、「日本消費者協会」(同1961年)、「日本包装技術協会」(同1963年)という関連団体が次々に設立された。(文中・敬称略)
【参考文献】『生産性運動10年の歩み』(日本生産性本部、1965年)、『生産性運動50年史』(社会経済生産性本部、2005年)
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