第7回 生産性運動の最前線ー地方組織の設立
連載「JPC 70th クロニクル」⑦ 生産性運動の最前線
報告会と地方組織
海外視察団による報告会は、最初の3年間に5万人の聴衆者を集め、その後も3年間続けられた。視察成果の普及とともに報告会開催は事務局機能の充実が求められ、地方組織の設立を促した。
「同時に、地方都市に生産性運動の機運を醸成し、地方組織の設置を促進したことも見のがせない功績である。」(『生産性運動10年の歩み』)
1956年3月。名古屋、大阪、福岡の3都市で本部創設1周年の記念講演会が開かれ、同時期に、札幌、仙台、広島、高松の4都市でもコスト・コントロール視察団の報告会を開催。並行して、地方組織設立の動きが一斉に始まった。
よき理解者
設立された地方組織は次の通りだ。
地方本部(現ブロック本部)は56年に中部(名古屋)、関西(大阪)、九州(福岡)、四国(高松)。57年に中国(広島)と東北(仙台)。少し遅れて60年に北海道(札幌)で設立され、七つの地方本部が出揃った。
各地方本部は、日本生産性本部と同様に労・使・学識の三者構成による独立機関だが、東京の本部と共通の意識と目的の下、生産性運動を推進している。
同時に、生産性協議会(現県本部)も首都圏及び中部地方の主要都市に相次いで設立された。首都圏では56年に神奈川県(横浜)、60年に埼玉県(浦和)が発足。中部地方では58年に清水(清水)と新潟県(新潟)、59年に岐阜県(岐阜)、60年に静岡県中部(静岡)、遠州(浜松)、富山県(富山)、61年に石川県(金沢)と静岡県東部(沼津)。63年に群馬県(前橋)が続いた。
「これら地方組織の活動は、生産性運動の最前線であり、いわば草の根運動と同じように、よき理解者、よき支持者があって初めて根づくものである。」(『生産性運動50年史』)
「清水」とは旧清水市(現静岡市)のこと。当時、人口20万人ほどの同市にいち早く清水生産性協議会が設立されたのは、地元の物流企業・鈴与社長の七代鈴木与平がよき理解者だったからだ。鈴木は「日経連タイムス」55年1月号に「まず労使協調」と題して寄稿。「労働組合主義を堅持する健康な労組は、これを進んで育成し、また労組要望の経営参加問題とも真剣に取組む」と訴えた。清水生産性協議会の初代会長に選ばれた鈴木は、80年まで22年間にわたって会長を務めた。(文中・敬称略)
【参考文献】『生産性運動50年史』(社会経済生産性本部、2005年)
お問い合わせ先
公益財団法人日本生産性本部 広報戦略室(新聞グループ)
WEBからのお問い合わせ