第12回 歴史と未来を結び、都市を育てる 三菱地所
連載「ミライを変える革新力」⑫ 歴史と未来を結び、都市を育てる 三菱地所
ビジネス、文化、交流の拠点に
東京駅を背に、丸の内仲通りを歩く。緑あふれる並木道、路面に広がるカフェテラスの席、ギャラリーやブティック。背後には高層ビル群。これらすべてが共存しながら、人が集まり、働き、憩う、そんな街となっている。
135年前、丸の内一帯を政府から要請を受けて取得した三菱社社長の岩崎彌之助氏。その始まりは、誰もが見向きもしなかった「荒地」だった。無謀と言われる決断だったが、「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」と呼ばれた近代的なレンガ造りの街並みを築く。
大正期には、東洋一と称された「丸ビル」が完成。関東大震災や世界恐慌を経て、戦後、丸の内のビルの多くは連合国軍に接収されたが、時代や社会の要請に先駆け、街を創るという挑戦は続けられていた。
三菱地所は、高度経済成長期、オフィス需要の急増に伴い「丸ノ内総合改造計画」を推進、大型ビルが次々と建設された。さらに、1998年に公表した「丸の内再構築」のもと、2002年に「丸ビル」を建て替え、2007年には「新丸ビル」が開業。丸の内は、ビジネスオンリーの街を脱却し、文化・交流の拠点として、多様な魅力が生きる街へと変貌した。
歴史の記憶を継承し再構築
再開発は、最新の都市機能を取り入れると同時に、都市の文脈と歴史を踏まえたものだった。象徴的なプロジェクトは、1894年竣工の「三菱一号館」を現代に蘇らせた「丸の内パークビル・三菱一号館」プロジェクトだ。「三菱一号館」は英国人建築家ジョサイア・コンドル氏が設計し、三菱が丸の内で初めて建設した洋風事務所建築。復元に際しては、構造や間取り、建築部材に至るまで、可能な限り、忠実に再現、「三菱一号館美術館」として生まれ変わった。丸の内では、歴史的建造物を一部取り入れたビルによく出合う。


丸の内パークビルディング。(左)赤煉瓦の建物が三菱一号館美術館。(右)(三菱地所提供)
街全体を一つのワークプレイスに
丸の内はさらに進化し続ける。三菱地所が進める「丸の内まちまるごとワークプレイス構想」。街全体を一つの大きな〝ワークプレイス〟と見立て、テナント個社単独では実現しにくい取り組みをエリア全体で提供していく。
共用ラウンジやコミュニケーションスペース、休養室といった多様な機能を街全体に戦略的に配置。「ご入居企業には自社スペースを最適な用途に集中していただき、まち全体で生産性、ウェルビーイング向上を目指すことが狙い」(三菱地所)。
即日入居可能な什器つきオフィス、受付・会議室を共用で備えたオフィスなども用意し、スタートアップや企業の新規事業部門などのニーズにフレキシブルに対応。成長とイノベーションの拠点となる街を目指す。
東京の未来を照らす新たなランドマーク
再開発は、丸の内にとどまらない。東京駅北側の常盤橋(ときわばし)地区。2028年の完成に向け、地上385メートルの日本一高いビルとなる「Torch Tower」を含む「TOKYO TORCH(トウキョウトーチ)」街区の工事が進む。オフィスに加え、ホテル、住宅、展望台やホール機能を備え、多様な場を街に織り込む。
「TOKYO TORCH」に先立つ2026年には、「大手町ゲートビルディング」が完成。南側の日本橋川には歩行者専用の橋も新たに架かる予定、これにより大手町、丸の内、有楽町の「大丸有地区」を貫く「仲通り」の賑わいが神田エリアに延伸される。有楽町エリアでは、「(仮称)丸の内3―1プロジェクト」(国際ビル、帝劇ビル建替計画)も進む。
三菱地所は「場所の提供だけではなく、交流のきっかけづくりやコミュニティ運営といった、ユーザーに寄り添った付加価値の提供に全力で取り組んでいきます」と説明する。こうした再開発の推進は、公的機関や他の権利関係者との綿密な連携によって支えられている。 100年先を見据え、「大丸有地区」に集う人、企業の力を最大限に引き出す仕掛けをつくっていく。(次回は9月5日号に掲載)
- ※日本企業は世界を変えるイノベーションの数々を生み出してきた。企業の革新力の源泉に触れつつ、新たなビジネス展開の動きを探っていく。
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