第6回 人の心を動かし、世界を感動で満たす ソニーグループ

連載「ミライを変える革新力」⑥ 人の心を動かし、世界を感動で満たす ソニーグループ

東京・銀座、コンクリート打ちっぱなしの建物が異彩を放つ。開放的な吹き抜けの空間が数寄屋橋交差点に広がる。あの「銀座ソニービル」が建て替えられ、街とつながる「銀座ソニーパーク」になった。商業ビルのような常設テナントはなく、一階ではベンチでくつろぎ、スマートフォンを眺め、コーヒーを楽しむ人たち。テーマは、「余白」と「アクティビティ」。ソニーにしかできない、ユニークなことをやったという。 
5月下旬、開催中の「Sony Park2025」に入場した。アーティストがライブ演奏をする場に入り込んだかのようだった。音源と床の振動がシンクロ、ソニーの立体音響技術や触覚提示技術が駆使されていた。

小さな町工場からスタート、革新的な製品を次々開発

終戦直後の1945年、井深大氏が、ラジオの修理と改造を手掛け、短波放送の聴けるコンバーター(周波数変換器)を開発。この仕事を朝日新聞がコラムで取り上げたところ、愛知県の実家に戻っていた盛田昭夫氏が記事を読んで上京。盛田氏は東京工業大学の講師を辞職し、翌1946年に二人で小さな町工場「東京通信工業」を立ち上げ、研究開発がスタートした。「人のやらないことをやる」(井深氏)、「ユニークな製品をつくる」(盛田氏)を心がけた。
1955年、日本初のトランジスタラジオを発売。テープレコーダー、トリニトロン方式のカラーテレビ、ビデオカメラ「ハンディカム」、犬型ロボット「aibo」など革新的な製品を世に送り出した。ソニーの名を世界にとどろかせたのは、1979年に発売された、カセット利用の携帯用音楽プレーヤーの「ウォークマン」だ。

ウォークマン、社内の反対を押し切り発売

「録音機能が無いと売れない」という社内の反対を押し切って、盛田氏は「ウォークマン」を発売。「家にも車の中にも音楽があるが、外へ出たらなくなってしまう。それを満たしてくれる商品がこれだ」と考えた盛田氏の直観は的中、ウォークマンは大ヒットとなり、音楽を聴くスタイルに革命を起こした。ウォークマンに同梱するヘッドホンの大きさや重さが課題だった。技術研究所において、超軽量・小型ヘッドホンとして開発されていた「H・AIR(ヘアー)」がほぼ完成していたことから、これをウォークマンに付属させ、軽量小型化に成功。ヘッドホン開発の技術力は継承され、インイヤー型や肩掛け型などにも生かされている。この春、中身が透けて見える完全ワイヤレスイヤフォン「WF-C710N」をグローバルで発売。通話音質はAIを活用し、改良を重ねた。高音質ハイエンドモデルの最新ウォークマンも人気だ。

井深大氏(右)と盛田昭夫氏
ソニーグループ創業者の井深大氏(右)と盛田昭夫氏(ソニーグループ提供)
初代ウォークマン
初代ウォークマン(ソニーグループ提供)

テクノロジーとエンタメの融合

YOASOBIの「アイドル」がグローバルで大ヒットしている。ソニーミュージックが運営する小説投稿サイト「monogatary.com」に投稿された小説を楽曲化するプロジェクトが生み出したアーティストだ。
5月15日のソニーグループ経営説明会。社長CEOの十時裕樹氏は、「人々の心を動かし、世界を感動で満たすエンターテイメントの力にも突き動かされてきた」などと語った。ゲーム、音楽、映画などのコンテンツを拡充、アニメへの戦略投資に注力してきた。「これらすべての取り組みがソニーグループの変革に寄与した」(十時氏)。エンタメ事業は連結売上高の約61%を占め、24年度業績は好調だった。エンタメ事業を支えるのはテクノロジーの力だ。
「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」。東京通信工業の設立趣意書の「会社創立の目的」の項の一番上にある言葉だ。
「理想工場」で、テクノロジーは進化を続ける。高性能な半導体画像センサーや仮想背景を使った映像撮影システムは最先端を行く。クルマの中でエンターテイメントを楽しむ、新たなモビリティの世界も描く。

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