「 人的資本経営に関する基本認識 」慶應義塾大学大学院 商学研究科 教授 鶴 光太郎 氏

人的資本経営の2つのアプローチ

慶應義塾大学大学院商学研究科教授
鶴 光太郎 氏

日本生産性本部は2023年8月23日、第96期「人事部長クラブ」の8月例会を都内で開催(オンライン併用)した。当日は「人的資本経営の再考」をテーマに、鶴光太郎・慶應義塾大学大学院商学研究科教授が講演した。


鶴氏は、人的資本経営が注目される背景には、企業の付加価値の源泉がかつての工場や機械などの物的資産から、人的資産を含む無形資産に移行していることがあるとしたうえで、人的資本経営には「人的資本の水準拡大」と「人的資本の稼働向上」の二つのアプローチがあると述べた。


前者は、教育訓練や能力開発などで能力・スキルを向上させ、人的資本の水準を拡大していく考え方で、従業員のスキルのマッチングが難しく、投資効果が発揮されるまでには時間がかかり、高いスキルを持っていても現在の職務で生かされない場合もあって、どうやって一人ひとりの能力・スキルを高めていくのかは簡単な話ではない。

一方、後者は、人的資本の水準は一定でも、従業員のウェルビーイング(肉体的、精神的、社会的に良好な状態)の向上などによって、その稼働率を引き上げていく考え方で、前者に比べて即効性があるという。


鶴氏は「昨今は前者のアプローチが強調されすぎているが、後者の方がより確実で早い効果が期待できる」と述べ、もっと従業員のウェルビーイングの向上に注目すべきだと主張した。


リスキリングについては、日本の能力・スキル開発はこれまでは企業主導の訓練で、個人の専門スキルに着目した学びは少なかったことなどに触れながら、「リスキリングは、人によってどのようなスキルが必要かは異なるはずであり、日本企業の従来型の訓練では対応が難しい。企業がリスキリングを主導的に行う場合は、様々な訓練・研修のメニューを用意(カフェテリア方式)し、従業員各自の必要なリスキリングを選択できるような仕組みを用意することが大事だ。それは転職を増やしてしまう懸念もあるが、魅力的な制度が優秀な人材を惹き付ける吸引力になる。キャリアの自律性が確保できるような職務限定型のジョブ型を普及させることがリスキリングも含めた人的資本経営の前提条件だろう」と指摘した。


また、「日本の雇用人事システムは過去30年間の大きな環境変化にうまく対応できなかった。組織への忠誠心と自己犠牲が評価基準であったメンバーシップ型の人材は、『我慢大会』を勝ち抜いた従順な人材であり、抜本的なイノベーションを起こすことは不可能だ。キャリア形成も企業に委ねるのではなく、キャリアの『ジリツ』(自立・自律)が必要と考える人材が求められている。これはある程度、職務限定型のジョブ型になっていかなければならない」と述べた。


ジョブ型については、ジョブ型は解雇自由という誤解、ジョブ型は成果主義といった誤解の他に、「職務記述書があるからジョブ型」という誤解があり、職務記述書を作っただけで、企業側の都合の良いように書き換えられ、有名無実化する可能性のある「なんちゃってジョブ型」が横行していると説明した。


ジョブ型を根幹に据えながら、企業はパフォーマンスを高めるために何をしなければならないかについては、ウェルビーイングの向上と「パーパス経営」の推進の二つを挙げた。


ウェルビーイングの向上については、「従業員のウェルビーイングをしっかり高めることで、それを企業業績の向上に確実に結び付けていくという考え方がないと働き方改革は進まない」と指摘し、従業員のワークエンゲージメントが高い企業は利益率も高く、従業員のメンタルヘルスの不調は売上高利益率に負の影響を与えるといった調査などを引用しながら、従業員のウェルビーイングが高まると、企業の業績が高まると強調した。在宅勤務の利用や、多様で柔軟な働き方、各種テクノロジーの導入、勤務先の経営ビジョンや経営戦略への共感などは、従業員のウェルビーイングを向上させる可能性のある取り組みだと述べた。 


企業がどのような社会貢献を目指しているのかを従業員に伝え、企業のビジョンやパーパスに理解、共感を得てもらう「パーパス経営」については、「お金や地位によって従業員の根源的なモチベーションを高め続けることには限界がある。自らが提供する価値が誰かに必要とされ、社会的に評価されることのやりがいや喜びはそれらを超えるものがある。パーパス経営は、多様性を増す組織を束ねることだけではなく、優秀かつイノベーティブな人材を企業に引き寄せる効果も高い。そうなると、メンバーシップ型での『あうんの呼吸』や『以心伝心』ではなく、企業の目標や理念を従業員に伝え、理解や共感を得る『言葉の力』が経営者に求められる」と指摘した。


鶴氏は「従業員のウェルビーイング向上と、社会貢献を明示化するパーパス経営の推進は、企業利潤・価値最大化と矛盾せず、両立は可能だ。『情けは人のためならず』であり、一見、損しているように見えるが、最後は自分のところに返ってくる。そういう経営ができるかどうかが企業に問われている」と講演をまとめた。


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