論争「生産性白書」:宮川 努 生産性白書小委員会委員長に聞く
生産性運動65周年記念事業として、日本生産性本部は2020年9月、「生産性白書」を発刊した。生産性改革を進めるうえでの道標となるもので、今後、課題の共有と解決に向けた基盤づくりに取り組む。日本経済が抱えるデジタル化やイノベーションの促進などの課題を共有し、解決へ向けた議論の活発化が求められており、「生産性白書」に関する論争が、繰り広げられている。
「生産性白書」は、新しい時代の要請に応え、生産性の理念を再確認し、白書を通じ生産性運動の進化を目指す諸方策を提案する狙いで、日本生産性本部が初めて発刊した。
経済界・労働界・学識者で構成する生産性常任委員会(委員長=福川伸次・地球産業文化研究所顧問/東洋大学総長)と、学識者で構成する生産性白書小委員会(委員長=宮川努・学習院大学教授)が議論を重ね、「生産性白書」としてまとめた。
2020年3月に65周年記念大会と白書の発表を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大により、9月に発表の時期がずれ込んだ。
新型コロナ危機によって、日本の経済社会が抱える課題がより浮き彫りになり、課題解決を早期に迫る形になっている。例えば、政府が「デジタル庁」を新設したように、行政・企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)はまさに待ったなしの状況だ。
また、生産性運動三原則(雇用の維持・拡大、労使の協力と協議、成果の公正な分配)の今日的意義では、「雇用の質」「産業、企業の枠を超えた経営と労働の協力と協議の充実」「企業のステークホルダーの広がり」など、時代の変化に応じて、三原則が示す方向性も多様化している。
日本経済の先行きは一段と不透明感を増している。政府の財政金融政策も打つ手が限られてきており、戦後復興に大きな役割を果たした「生産性運動」が新展開を見せ、新たな役割を担うことが期待されている。
「日本経済の再生には、生産性向上が必要だ」。生産性常任委員会委員で、生産性白書小委員会委員長を務めた学習院大学教授の宮川努氏が、「生産性白書」をめぐる論争の口火を切った。
財政金融政策の弾は尽きた 生産性が経済再生の切り札
学習院大学教授 宮川努氏に聞く
《アベノミクスによって、日本経済再浮上のきっかけをつくった安倍晋三政権を引き継ぐ形で、2020年9月、菅義偉政権が誕生した。日本生産性本部は2020年9月、生産性白書を発表。生産性運動が65周年の節目を迎えたことを機に、日本の経済社会のパラダイムシフトに対応した生産性運動の新展開が始まった。白書では戦後復興に続く第二の生産性運動推進の必要性を訴えている》
1955年に日本生産性本部が発足した時、戦後の経済を復興させるため、「生産性」に着目した。当時としては非常にユニークで、いいポイントを突いていたと思っている。
戦後復興のやり方はさまざまで、社会主義国は物量主義だった。米国に追い付き追い越せと言わんばかりに、生産量を増やせばいいという考え方で、多くの労働者を現場に配置した。
労働と資本だけを費やしたが、成果は思うように上がらない。労働、資本、生産性のうち、労働と資本の物量だけを増やしても、生産性が上がらないとうまくいかない。今になって考えてみると効率が良くなかったのだろう。
これに対し、復興の初期の段階で生産性に目を付けた日本は、ある種の幸運に恵まれたこともあり、その後、目覚ましい高度成長を実現した。その背景には高い生産性があったことは言うまでもない。
その日本生産性本部が、65年ぶりに原点に立ち戻り、「生産性白書」を刊行した。今の日本の置かれた状況は、戦後復興期とはやや違うが、1990年代以降の長らく続く停滞期にあり、ある種の危機的状況からの再生を目指したものであることは共通している。
日本政府は「生産性」の重要性を口にしながらも、アベノミクスが頼みにしたのは、もっぱら財政金融政策だった。日銀による異次元の金融緩和が為替を円安に誘導したことで、輸出産業を中心に業績が上向き、株価も上昇した。
しかし、そもそも財政金融政策は、経済学の中では短期効果も目指した経済政策であり、2~3年しか効果は維持できない。円安効果もすでに薄れ、財政金融政策は弾が尽き、今は頼るところが「生産性の向上」しかなくなっている。アベノミクスが途中から「働き方改革」へと舵を切ったのは、長期的な経済成長を目指すには、生産性を高めていくことしかないと悟ったからだろう。
《生産性白書は、今後の生産性改革のあり方に関する議論のベースとなり、生産性向上に向けて歩むべき道のりへの羅針盤となることが期待されている》
生産性に関する議論を白書という形でまとめて刊行すること自体に大きな意義があると思う。日本生産性本部の茂木友三郎会長が言うように、生産性運動の原点に戻り、国民にアピールする「やる気」や「意気込み」を示したものだ。本部として「今後も、生産性に真剣に関わっていく」というコミットメントであり、国民との約束の意味もある。
安倍政権の後半から、政府からも「生産性」という言葉が発信されている。「生産性白書」を出すということは、「生産性に関する知見を持っているのは、日本生産性本部なのだ」というこれまでの取り組みに対するプライドであり、生産性に関するシンクタンクとしての存在感を示す意義がある。
白書は広く国民に読んでもらいたいし、生産性運動に関わってもらえる方にも読んでいただきたい。第一線の生産性の専門家に議論していただいたので、生産性に関する知識について読者とのギャップを埋め、国民運動へつなぐことにも配慮した。
例えば、森川正之委員(一橋大学教授・経済産業研究所所長)が担当した第2部第3章の「価格形成と生産性」では、「価格が上がれば、生産性が上がったとほぼ同じようにみなす」という考え方をどう実質的な生産性向上につなげるかが課題になった。
質が上がっていることに伴う価格の上昇と、そうではない単なる価格の上昇とは明らかに違う。需要増などマクロ的な環境変化に伴い自社の製品の価格が上がったケースと、企業努力によって質が向上し、それを消費者が受け入れたことによる価格の上昇とでは、生産性の計算も違ってくる。その違いをどうすれば理解してもらえるかについて、森川委員も大変苦心された。
現場で仕事をしている人たちにとっては、要は価格が上がればいいわけで、それがマクロ的な要因なのか、質が上がっているためなのかは気にしないと思うが、「生産性」に関する議論の場合は、まさにそこが肝心である。
つまり、質を不断に向上させることができる企業は、持続性を高めることができる。需要だけで価格が上がった場合は、需要が減れば、厳しい経営状況に直面する可能性が高い。今から思えば、白書に書いておけば良かったのだけど、「生産性は持続性にも関わってくる」点は強調されるべきだ。
近所においしいケーキ店があり、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で全体の需要が減っていても、整理券を出すほど客足が途絶えない。逆に、単に需要が上がったときにだけ出店して、勢いで売れていた店は、コロナ禍で閉店を余儀なくされる場合もある。
この差は、消費者が質を評価しているかどうかであり、人気のあるケーキ店は価格も少し高い。質が反映されていると考えれば、その店の生産性は高いと言える。
専門家と一般の人が考える生産性に関するギャップは存在する。一般の人の中には、「生産性」という言葉を「リストラ」と同意と考える人もいる。実際に、労働者を減らせば、いわゆるミクロの段階での労働生産性は上がる。経済学者は、他の産業への雇用や、得られた収益が他の分野に投資される効果なども考えるので、意見は全く違ってくる。
生産性白書発表の記者会見で紹介したわかりやすい生産性向上の例えが、保健所職員一人当たりのPCR検査数だ。短時間で結果が出る検査キットの開発は技術革新であり、韓国で実施しているドライブスルー方式は手法のイノベーションであり、ファックスで伝達していた情報をデジタルに切り替えることはデジタル化だ。厚生労働省が民間に補助金を出して、疫学調査を委託するような場合は規制緩和による生産性向上だし、PCR検査の中には生産性に関するあらゆる要素が詰まっている。
結局、一人当たりのPCR検査数が増えると、ビジネス環境も良くなるわけで、生産性向上はすべての人にとって良いことがわかる。逆に、政府がやってきた保健所の数を減らすなどのリストラはうまくいかなかったわけで、生産性を上げるためには、それと合わせて技術革新やデジタル化、規制緩和などが必要であるということも示唆している。
《新型コロナウイルスの感染拡大で、生産性白書の発表時期が約半年遅れた。ほぼ編集を終えていた白書に、「新型コロナ危機の克服と生産性向上の道を探る」を追加し、第1部第1章に置いた》
PCR検査の例が象徴的だが、新型コロナウイルスのパンデミックが、日本の生産性の問題を浮き彫りにし、多くの人々が危機感を共有した。
白書がまとまりつつあった時点で、生産性常任委員会委員でヤマトホールディングス元社長の有富慶二氏が「デジタルトランスフォーメーション(DX)」という言葉を使っていたが、IT化やデジタル化とどう違うのか、私にはわかりにくかった。しかし、コロナ禍で政府や企業が他国と比べて大きく後れを取り、抱える最大の課題として浮かび上がったのがDXであり、今は知っていないといけない単語のように使われている。
もちろん、以前から、DXという言葉は使っていないものの、生産性を向上させる要素として、デジタル化やデジタル人材育成の重要性については指摘していた。それが、コロナ禍で省庁や地方自治体のお粗末な状況を見せつけられ、深刻な形で表面化した。
つまり、生産性白書が示している方向性は全く間違っていないということが、改めて確認できたわけだ。ITという言葉は古いから、DXに変えたらという議論もあったので、もう少し入れておけば良かったかなという程度で本質は変わらない。
コロナ禍で、多くの国民がそれぞれの立場でデジタル化に向き合っている。大学の授業でも、オンライン講義が一般的になり、試行錯誤でコロナ後の授業のあり方を模索しているような状況だ。学生にとっては、オンライン授業の便利さがある一方で、教育面では同世代の人たちと話したり、対面で議論を交わすなどのキャンパスライフの重要性を指摘する意見もある。一方、先生の側からすると、学内の会議が全部オンラインになり、研究のための時間が確保しやすくなった。
このように、すべての国民が、多かれ少なかれ、デジタル化する社会と向き合う機会を持つことで、DXの必要性や、生産性向上という課題に対する意識が高まっていると思う。
《菅政権は「デジタル庁」を発足させ、デジタルガバメントの推進を加速する。企業も生き残りをかけて、DX化へ向けた取り組みを進める。コロナ危機の行方が不透明感を増す中で、生産性改革は待ったなしの状況にある》
新興国などで通信網を整備するときも、固定電話、携帯電話、スマートフォンと段階を経て整備するよりも、いきなりスマートフォンにまで飛び越えるほうが効果的。地上の電話網を敷くためにお金をかけるよりも、いきなり基地局に投資した方がいい。
同じように、日本がDXを進めるなら、一番新しいシステムから整備することが大事だ。実験的な最新システムを整備して、国民が使いながら慣れていけばいい。今、日本は危機感が共有されているので、DXを進めるチャンスだ。
デジタル人材の育成も課題だが、日本の人材育成を難しくしているのは、実は設備投資を怠ってきたツケで、古い設備が残ってしまっていることが背景にある。設備を新しくすれば、それを使いこなすために人材も育つはずだ。
コロナ禍で注目された体外式膜型人工肺(エクモ)がいい例だ。コロナの重症患者に使用するために、緊急事態宣言が出た頃から、看護師や医師が一生懸命訓練したことで、病院崩壊を何とか防いだという話も聞く。
エクモの設備は置いているだけではダメで、扱える看護師、医師がいなければ無用の長物になる。装置が古ければ、古いスキルしか身についていないし、新しい設備を導入すれば、無理にでも習得しようとするので、人材も育つ。
《日本経済は緊急事態宣言が発出された2020年4~5月を底に持ち直しの動きがみられたものの、20年度は大幅なマイナス成長を予測する声が強い。これまでは雇用調整助成金などの支援策もあり失業の急増は回避されてきたが、今後は雇用調整圧力が強まる可能性がある》
世界金融危機の震源地になった米国のGDP成長率はマイナス2%だったのに対し、日本はマイナス5%台だった。2011年の東日本大震災の影響もあるが、日本経済が危機前の水準を回復するのに2013年までかかっている。
今回のコロナ危機でも、日本の経営者がL字型回復を予想しているのに対し、米国の経営者の半数はV字型回復を予想している。こうした意識の差を生む背景には、危機対応の政策の違いがある。
日本の場合、雇用調整助成金など雇用の継続を支援する政策がメーンだが、米国は失業者に対する補助金がセーフティネットになる。このため、米国の経営者は身軽になるのに対し、日本の経営者は需要がすぐには戻らない中で雇用を抱えながら走らなければならず、生産性が回復しない。日本政府も、事業継続を支援する政策を早く転換しないと、経済回復においても、アジアの国々に抜かれてしまうだろう。
米国では、民主党のバイデン政権が誕生しても、基本的にはアメリカファーストの経済政策は変わらないだろう。世界金融危機の時も、民主党のオバマ政権だったが、米国は円高・ドル安によって景気が落ち込んだ部分を埋め合わせることができた面もある。その結果、日本の輸出産業が割を食ったわけで、同じ政策をバイデン政権が取る可能性も否定できない。暗黙のうちにそうなると、円高によって外需が減り、日本の景気回復はさらに鈍くなる。
コロナのワクチンが開発され、日本でワクチン接種が始まった時点で、新しい産業の育成を目指す政策に切り替えるべきだ。その時には、先端的なビジネスから先に支援していく方法を取ったほうがいい。切り替えのタイミングが極めて重要になるだろう。
*2020年12月3日取材。所属・役職は取材当時。